葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

病院建設プロジェクト再始動。 2017年3月30日

 

 

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20歳の時に、「150万円でカンボジアに小学校が建ちます。」と偶然渋谷の郵便局でパンフレットをみたのが、カンボジアとの出会いだった。

 

でも、さすがに、こんなにカンボジアに通うものとは、思わなかった。

 

 

カンボジアのビザはパスポートの1枚を丁度使用するサイズだ。それほど海外に行く訳ではないけれど、僕のパスポートはカンボジアのビザだらけになっている。

 

NPOワールドビジョンと協議を重ね、サンブール保健センターが候補地に、上がったサンブールは、タイの国境沿いに位置していた。

 

今回も土日を利用して、一泊四日という謎のスケジュールで羽田空港から飛び立った。バンコクで乗り換え、カンボジアシェムリアップ空港に着くと、ワールビジョンジャパンから松岡さんが、迎えに来てくださっていた。

 

 

松岡さんは、青年海外協力隊ボリビアに赴任され、ワールドビジョンでケニアの事業を担当され、2016年夏頃から、カンボジアに赴任されたそうだった。30代で、お互い年齢が近く、高校生の時にHi standardが流行ってましたねーと、謎な会話をしながら、建設地に向かった。

 

 

 

シェムリアップから国道6号線を北西に進み、3時間ほどすると、建設予定地であるサンブール保健センターに到着した。

 

 

物腰の柔らかい、40代のヘルスセンター長と7人のスタッフが、出迎えてくれた。
既存のヘルスセンターは1990年に建設されたが、老朽化しており、たとえ傷病を抱えていたり、産前後健診のために通院する必要があったとしても、多くの住民は保健センターに足を運ばない、高額な医療費を払い私立病院を受診する現状が続いていた。
一部では、公的な病院を受診せず、危険な伝統的産婆介助での出産が残っていた。カンボジアの医療は年々改善傾向にあるが、都市部と農村部の格差は依然として顕著だった。

 

そういった状況の中、今回の病院の建設、水衛生設備の整備を通して、危険な伝統的産婆の立ち会いによる出産の増加等、新生児死亡の減少が見込めた。
挨拶をすませ、病院を見学させていただくと、確かに支える支柱が一部崩れていたり、天井が剥がれそうになっていた。

 

見学の後、病院長とスッタフ、村長、村民、保健ボランティア、妊婦さんとミィーティングを行い、お話を伺った。

 

雨期には病院自体が浸水し建物自体が揺れたりと、口々に既存の病院での出産は不安だと発言されていた。そんな不安を避け、自宅で出産したり、出産してもすぐに帰宅される妊婦さんがおられるため、病院長は、何度も州の保健省に建設の必要性を訴えたが、予算が降りなかった長年の経緯があった様だった。

 

 

出産中に、天井が起きて、あわてて妊婦さんと外に飛び出したというケースもあった。
ミィーティングの後、2008年に産後出血で、娘を亡くした女性に出会った。丁度熱帯地方独特のスコールが来て、バケツの水をひっくり返した様な雨が降り注いでいた。

 


その女性に話を伺うと、雨季で土砂降りの中病院で出産し、病院が倒壊しそうだと心配した娘さんが、スタッフの説得も振り切り、出産後2時間で自宅に帰った。帰宅後に出血が続き、急変し病院を再受診し、搬送途中に亡くなった。

 

出血などの合併症を観察するために、出産後最低でも一日は様子をみるべきとされている。

 

 

妊産婦死亡で原因は、産後出血、感染症、妊娠高血圧などがあるが、それらの中でも基本的な医療サービスがあれば救える命がたくさんある。そして、母親が亡くなれば、その子供も5歳までに亡くなる可能性が高くなる。

 

 

話を伺っていると、亡くなった娘さんを思い出した様で、泣いていた。

 

 

 

既存のヘルスセンターで、話を聞きながら、雨が止むようにお願いしながら、また、泣いている人がいるなーと思った。

 

 

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1990年から2015年にかけて、世界の妊産婦死亡率は約44%低下したが、
毎日約830人の女性が、妊娠と出産に関係する予防可能な原因で命を落としている。
妊産婦死亡の99%は、途上国で起こっている。


https://www.who.int/en/news-room/fact-sheets/detail/maternal-mortality

 

 

 

 

 

 


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もう一度、夢を。  2016年8月30日

 

 

 

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与那国島での、日本の地域医療の日々は、大切な事を、教えてくれた。

 

 

自分の行動で誰かが、行動を起こしてくれるかもしれない事。そして、戦後様々な方のおかげで、日本の僻地医療、赤ちゃんの命が守られてきた事を知った。

 

 

海外を通して、逆に日本の素晴らしさを知り、日本の先輩方が残してくれたものに感謝した。

 

診療の間に、NPOワールドビジョンメールや電話で、打ち合わせを重ね、スタッフの問題から頓挫経験したから、老朽化した施設を新設し、医療教育を行い、貧困層でも基礎的な保健サービスを享受できる方を増やす方向性で、プロジェクトを進めていった。

 

そしてカンボジア僻地の病院新設費用は大金で、「僕たちは世界を変えることができない。」「それでも運命にイエスという。」二冊の著書の印税全額や、映画化の印税全額、僕の貯金をつぎ込んでも、残り400万円弱を、寄付金から集めるしかない状況だった。

 

 

小学校建設の時は150万円だったのに、400万という大金を集める事なんて、できるだろうか。

 

きっと、与那国島での診療がなければ、諦めていた様にも思う。何か最もらしい理由をつけて、先にのばして、やらなかった様に思う。

 

病院建設の先の、赤ちゃんの笑顔、お母さんとお父さんの笑顔、そのおじいちゃんと、おばあちゃんちゃんの笑顔、さらにいえば、その活動をみた日本の方の笑顔。

 

 

そんな未来の笑顔を想像すると、これは自分がやりたいとか、メリットがどうとか、デメリットがどうとか、そんな話じゃなく、自分がこの世界でやらなきゃいけない仕事の様な気がした。

 

 

勘違いだと思う。でも、一方で、勘違いしたからこそ、自分の背中を教えてくれた。

 

NPOワールドビジョンの谷村さんにもう一度、電話をかけた。

 

プロジェクトとして、僻地での病院新設での話がでていたが、400万と聞いて、自分の中で迷いが生まれていた。

 

僕は、物事を隠したり、人によって態度を変えたり、駆け引きが苦手だ。絶対ビジネスマンや政治家になれないのだろう。

 

そのまま、離島での日々を伝えた。

 

離島で中学生にあった事。病院建設のその先には、カンボジアだけではなく、日本にも見たい笑顔がたくさんあること。

 

 

そんな事を伝えた。

 

 

谷村さんは、電話越しにただ感謝を伝えてくれた。ワールドビジョンの谷村さんがいなければ、実現しなかったプロジェクトでもあった。僕はどれだけの人にお世話になっているのだろう。

 

 

生後22日目で赤ちゃんを亡くしたお母さんと出会って、2年以上がたち、ようやく病院建設がスタートした。

 

 

今度は、「思い」だけではなく、ちゃんとした「結果」がでる様に祈った。

 

 

 

 

 

 

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支援事業名: カンボジア王国サンブール保健センター新築支援事業
支援事業地: バンティ・ミエンチャイ州モンゴル・ボレイ郡サンブール地区
支援事業期間: 第1期:2017年2月1日~2018年1月31日(12ヶ月)
  第2期:2018年2月1日~2018年7月31日(6ヶ月)
受益者数: サンブール地区の住民7947人(1722世帯)
  このうち885人は5歳未満児
支援事業費: 15,000,000円
  啓発教育費及び地域開発援助事業管理費など18%を含む
内   容: 第1期:保健センターの新築(1棟)
第2期:雨水タンク(20,000ℓ)1基の支援
ワールド・ビジョン作成「事業企画書」より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【第3章まとめ】

 

与那国島の橙カフェのカレーはめちゃくちゃ美味しい。

 

・キャリア形成を考えるからキャリアが作られるのではなく、原体験と情熱がキャリアを作る。

 

・途上国では、出産後赤ちゃんとお母さんを薪でいぶす等、母子共に伝統的産婆の文化が残っており、助産師介助での分娩がすすめられている。

 

・看護師助産師の割合は人口1000人あたり、日本は11.2人に対して、カンボジアは0.95人と医療者のスタッフ数や質の問題がある。

 

・国際社会では、2030年までにすべての国で『すべての人が支払いに困ることなく、自分が必要とする基礎的な保健医療サービスを受けられる。』ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成を目指すという目標を掲げ、推進している。

 

・日本は戦後22年で、たくさんの方の尽力で、1967年に国民皆保険を達成した。

 

・保温、感染予防、栄養をといった基本的な対策で、SDGsの目標でもある新生児死亡の目標12人/出生1000を、日本は政治家や国民の尽力で1967年に達成していた。

 

・是正されるべきだけれど、ワークライフバランスを無視した働き方で、日本の僻地を守ってこられた医療者の方がいた。

 

・日本の新生児死亡は、0.9人/出生1000あたりと、世界1位。

 

・まずは、目の前の事に、やりがいを持って、ガムシャラに行動する事。
それが、きっと幸せを運んできてくれるはず。

 

 

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幸せって何でしたっけ? 2016年8月15日

 

 

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人口1500人の島で、何か緊急的な問題が起これば、もちろん夜中でも、土日でも24時間対応しければならない。

 

 

生死に関わる様な急変は、時々あるが、軽傷の方も、多く受診される。

 

 

その日は、そろそろ寝ようかなと、夜の12時ぐらいに、診療所のベットに寝そべっていると、窓の外に人影見えた。

 

 

島民の方が、明かりがついている診療所のベットがある部屋を、トントンとノックし、「先生、急患―!!」とこちらに、向かって呼びかけている。

 

 

自分の寝ている部屋の窓を、患者さんにノックされるなんて、都会じゃまずない。

 

大抵は救急隊か、看護師さんから、こういう救急患者さんが受診されますと情報を頂いてから、診察させて頂く。

 

 

「なかなか、都会じゃ味わえない経験をさせてもらっているなぁ」と思いながら、そのまま白衣を来て、外にでて、ノックをした患者さんに会いにいく。

 

 

「どうされましたか」と聞くより前に、右足からダラダラと血が出ているのに、気づく。

 

 

足の怪我をされた50歳代の男性が
「先生、酔っ払って、転んでガラスの瓶で切っちゃったんですよ。診てくれないかい。」
とおっしゃったので

 

 

「縫った方が良さそうなので、どうぞ中に入ってください。大変でしたね。」
と夜中の診療所に通した。

 

 

診療所の所長先生もまだ、残っていたので、二人で傷を縫うことにした。わざわざ看護師さんを夜中に呼ぶのも悪いので、所長先生に介助して頂き、傷口を洗い、レントゲンで異物やガラス片がないことを確認して、縫合を始めた。

 

 


足の傷は深くはないけれど、範囲が広く、10針ほど縫うことになった。

 

 

縫合の途中に奥様が来られて、約30分ほどで、縫合と破傷風ワクチンが終わり、ありがとうございましたと言ってくださり、お二人で帰宅された。

 

 

患者さんが帰る頃には、もう深夜の1時前になっていた。カルテを書いて、仕事は全部終わっているはずなのに、所長先生となぜか、二人で会話を続けた。

 

 

所長先生からの質問が導線だった様に思う。

「葉田先生、将来どうするつもりなんですか?」

カンボジアに行き、長崎に行き、自分のやっていることが、正しいことなのか、意味のあることなのか、わからなくなっていました。でも、ここにきて、女子中学生と出会って色々と考える事がありました」

 

 

カルテに目をやりながら、正直に答えた。

 

 

「本当に、現地での人が必要としているのは、臨床医として活躍するというよりは、水だったり、施設や機材だったり、教育だったり、保健ボランティアの養成でといったり狭い意味の医療以外にありました。自分がやっている事も、病院建設の調整、本を書いたり、講演したり、教育を考えたり、医者っぽくない仕事が多いんですよね。」
苦笑いしながら、付け加えた。

 

 

 

そんな僕の発言を、所長先生は否定する様に返答した。

志があるなら、別にいいじゃないか。それが医者っぽい仕事であろうが、なかろうが、人の幸せに貢献しているのなら、いいじゃないか。」

単純にその返答はすごいなぁと思った。所長先生は、腰痛などに対して筋膜リリースを習得したり、島民の健康のため、散歩コースを作成したり、下痢が多発している時はその発生状況を調べたり、胃腸炎でお腹が痛いお子さんが来られた際には、暖かいタオルでお腹をあたためたりしていた。

 

 

それらは、すべて患者さんのため、という一言に集約されていた。その姿勢は、スーダンの川原先生に似た点もあった。

 

日本の新生児死亡は、戦後20年で、アメリカを抜いた。人口呼吸器がまだなかった時代に、新生児死亡を下げる保温、感染防止、栄養を徹底し、時にワークライブバランスを無視した働き方で、僻地でも、命の格差を守ってくれた医療者がいた

 

 

戦後の焼け野原から、経済の発展、識字率の高さ、政治的な決断、医療者の献身などがあり、日本は1967年に、日本は国民皆保険制度を達成した。「だれ一人取り残さない」といったSDGsの概念を60年前に不完全ながらでも形式上は達成している。

 

 

テレビやニュースにでなくても、今日も地域で、都会で、医師でなくても、看護師さんや、薬剤師さん、受付の方、清掃の方、ME、リハビリの方、すべての方のおかげで、人の命を守る行為を日本の、医療者の先輩方が、時々問題もありながら、それでも一歩ずつ前に進んでくださり、僕は成長し、大人になる事ができた。

 

 

僕自身も与那国島の診療所で一人で働いた時、心が休まる瞬間はひと時もなく、一か月で休みが1日もなかった。現代では、そんな働き方は美化できないし、自分自身が頑張ったなんて言う気はサラサラないけれど、やっぱりそうやって、今も昔も、日本で日夜頑張ってこられた医療者に、手前みそだけれど、尊敬の念を抱いてしまう。

 

 

日本の新生児死亡は、今も0.9人/出生1000と世界で最も赤ちゃんにとって安全な国の一つだ。

 

海外の事をやっているつもりが、いつしか、日本という国が好きになり、日本の先輩方に、僕が気づかないうちにして頂いた事に感謝した。

 

 

「そうですね。きっと、自分ができる事で、人が笑ってくれたら、嬉しいですし、本当はシンプルにそれだけでいいのかもしれないですね。」

 

 

僕が勝手に思っているだけかもしれないけど、所長先生と馬が合った僕たちは、深夜2時まで、幸せって何なんすかねと、謎な哲学的な話を続け、次の日に診療に支障がでない様に午前3時に就寝した。

 

 

次の日、縫合させて頂いた患者さんが来院され、お酒は抜けた様で、「先生、昨日は悪かったね。」とコーヒーを頂いた。

 

 


コーヒーを飲みながら、誰かに勝つから、誰かよりたくさんのお金を稼ぐから、幸せな気持ちを味わえるのではなく、自分ができる事で、人が笑ってくれるから、自分は幸せな気持ちになれる様な気がした。

  

 

 

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ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ
『すべての人が支払いに困ることなく、自分が必要とする基礎的な保健医療サービスを受けられる状態』。
国際社会では、2030年までにすべての国でユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成を目指すという目標を掲げ、推進している。

参考:https://shingakunet.com/journal/career/20170327184903/

 

 

 

 

 

 

 

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諦めることはあの日辞めた。 2016年8月10日

 

 

 

 

日本の僻地でできる事をまずやろうと、島の診療所で働いていると、与那国島の警察官から、ある日、診療所の僕宛に電話がかかってきた。

 

何も犯罪は、してないはずなのに、若干なぜか、ドキドキしながら、電話にでた。

 

平良さんという警察官からだった。

 

他の離島がどうかは分からないけれど、平良さんは、ご高齢者の見守りにいったり、ボランティアで子供たちに勉強を教えたり、警察としての仕事以外も、たくさんやってくださっていた。

 

「葉田先生、今大丈夫ですか?」


「ちょうど、外来がおわったとこなので、大丈夫です。」

 

診察室の机の受話器を取りながら、答えた。

 

「ちょっと先生にあわせたい子がいるんです。」

 

日本の最西端の与那国島に、残念ながら、僕の知り合いはいなかった。
どんな人だろうと思案していると、平良さんは続けた。

 

「中学生三年生の女子なんですけど、葉田先生の映画をみて、そういった活動に憧れて、医者になりたくて、今勉強頑張っているみたいなんですよ。」

 

「本当ですか?それオーバーにいいすぎてませんか?」
謙遜とかではなく、本当に何か間違えているんじゃないかと、思って指摘してしまった。

 

「いや、本当にそうなんです。会ってくれますか?」
「はい。急患の患者さんが、いらっしゃらなかったら、いつでも大丈夫です。」
と返答し、電話を切った。

 

 

どんな中学生なんだろうと考えた後、診療所の所長先生に、警察の方から、僕に会いたがってる女子中学生がいる事を伝えた。

 

「いつでも、行ってきてください。さすが、葉田先生ですね」と嫌味ではなく、仏の様な優しさで、僕に言ってくれた。
診療所近くの抜群に美味しいカレー屋さんで、昼食を頂いた後、診療所で警察官の平良さんと、その女子中学生を待つことにした。

 

なぜか、葉田さんに会いたいですと、本を書いてから、連絡が来ることがあった。そして、映画化の後は、さらに数が増えた。

 

素直に嬉しい反面、葉田さんすごいですねー、尊敬します、といわれても、自分の臨床医としての実力や、他にももっと素晴らしい先生方がいることを、考えると、自己嫌悪に陥った。

 

本当の自分ではなく、美化された、過大評価された虚構の自分を見られているようだった。

 

診療所で20分ほど待っていると、診察室から、入口から平良さんとその女子中学生が来たことがみえた。

 

救急の患者さんは、いらっしゃらなかったので、待合室で、話すことになった。

 

ミクさんという女子中学生は緊張している様子だった。

 

変わりに、警察官の平良さんが、ミクさんを紹介してくださった。

 

 

与那国で生まれ、育ち、真偽はどうか僕はもう確かめる手段はないけれど、映画が一つのきっかけとなり、医者になりたいと思い、島には高校がないため、本島の高校に進学するという。

 

 

平良さんから、
「ミクさん、せっかくなんだから、何か話した方が良いよ」
と促されて

 

 

唯一、ミクさんは自分の口で


「医者になりたいです。勉強頑張ります」と、発言した。

平良さんはミクさんをフォローする様に、僕に気を使う様に
「全然話さなくてすみませんね、直さないといけないですね」と、言っていた。

 

 

そのあと、世間話をしながら、頭の片隅で、考えていた。

 

 

23歳のときに自費出版した本は、全国で映画化になった。
その本や映画は、日本の最西端の島の人口1500人ほどの島の、数十人しかいない、中学生の一人の心に、届いた。

 


そして、その中学生はそれがキッカケで医者になりたいと言ってくれている。

 

 

よくよく考えれば、映画や本できっかけで、カンボジアに行ってくださった方がいた。僕がきっかけで、青年海外協力隊に行ったと、いう人もいた。npoをはじめたと言っていた人がいた。国連に行きますと、いってくれた方がいた。末期ガンの患者さんで、葉田さんの本が大好きですと、言って下った方がいた。

 

警察官の平良さんと、女子中学生が帰った後、診療所で、ぼーっとしながら、考えた。

 

たしかに、自分の力は微力かもしれない。

病院を建てて、医療教育を行っても、ある国の、ある州の、ある地域の、ある事柄が改善されたに過ぎない。

 

でも、目の前の人になら、何かできるかもしれない。そして、その活動をみて、女子中学生のように、これから先も、行動をおこしくれる人がいるのかもしれない。
僕の変わりに、ミクさんが、代わりにたくさんの命を救ってくれるのかもしれない。

 

 

国連で働いていますと言った彼や、ngoで働いていますと言った彼女が、はたまた就職して頑張っているあの人が、世の中をより良くしてくれるのかもしれない。

 

 

自分の力は微力でも、その人たちがもたらした結果を積分すれば、もしかしたら、その影響まで考えれば、僕たちは世の中を、世界を少しだけよくできるのかもしれない。

 

 

だから、もう言い訳するのは、やめよう。自分の力は、微力だからと、逃げるのはやめよう。必ず自分にもできる事がある。

 

 

なんだか恥ずかしいけれど、そんな事を、一回り下の女子中学生が、僕に教えてくれた。

 

自分は足りないところだらけで、成長しなきゃいけないところだらけで、彼女が尊敬している僕と、現実の僕には乖離がある。

 

でも、そんな虚構みたいな、ピエロみたいな自分でも、影響を与えられる人がいる。その人が、救ってくれる人がいる。

 

 

自分がやっていたことが、日本の果ての島の、女子中学生に届いていたこと。

 

嬉しかったのか、悔しかったのか、何かがつながった様な気がしたのか、何でか分からないけれど、涙がでた。待合室で、バレない様に下を向いた・

 

 

顔をあげようと思っても、涙がこぼれそうで、顔をあげられなかった。

 

20代の時は、ガムシャラだった。国家試験の前に、カンボジアエイズ病棟に泊まり込み、素人からドキュメンタリー映画を仲間とつくり、本を出版した。移動時間を、食事の時間を、お風呂の時間を、ひどい時はトイレの時間を、起きている間はすべて、やりたい事にあてた。

 

 

大人になり、難しい言葉をたくさん覚え、小利口になり、いつしか、そのガムシャラを失った。

 

 

そのガムシャラさや、情熱があったからこそ、何か感じてくれた人がいた。形を変えても、年齢を重ねても、その馬鹿みたいな行動や思いはもっていて、良かったはずのなのに。

 

 

目の前の人になら、何かできるはずなのに、そんな可能性があったのに、僕は自分は無力だとか、力がないとか、聞こえの良い言い訳をして、行動する事から、いつの間にか逃げていたのだ。

 

 

夢や目標なんて、叶わない事が多い。憧れの人になれる事なんて、ほとんどない。

 

それでも、やっぱり、僕は僕にできる事を、目の前の人に対して、ただ心を込めてガムシャラに仕事をすればいいのだ。誰かみたいに素晴らしい人間になる事はできなくても、自分らしく生きる事はできるはずだから。

 

 

弱いからこそ、行動するのだ、だからこそ、それは誰かの希望になって、回り回って、必ず誰かを、時に自分を笑顔にしてくれるはずだから。

 

 

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日本の僻地へ。 2016年7月3日

 

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日本の僻地へ。 2016年7月3日
 

 

自分なりにガムシャラに行動したけれど、大きな結果はだせなかった。行動を通して、たくさん素晴らしい先輩方にも出会えた。

 

夢や目標を諦めたとしても、現実は続く。その中で、自分ができる事を探すしかない。

 

 

長崎大学熱帯医学講座を終えて、日本の僻地でもできる事をやろうと、自治医大の先生方が作られた日本の僻地で医療を行う団体に所属していた僕は、沖縄の離島である与那国島の診療所で臨床医として働かせてもらうことになった。

 

 

三か月過ごしたアパートの片づけを1時間ですませ、路面電車に乗り長崎駅からバスで長崎空港を目指した。

 

 

「何か自分でもできるんじゃないか」、三か月前に抱いていた感情は、ほとんど無くなっていた。長崎空港からの行きと帰りのバスから見えた景色は、全く違って見えた。

 

 

長崎から自宅の賃貸東京に戻り、羽田空港から石垣島へ向かった。

 


石垣島空港で与那国島への乗り換えの搭乗口に向かっても、いつまでもたっても搭乗案内されなかった。

 

 

どうやら、パイロットの方の体調不良で2時間到着が遅れた様だった。
小説を読みながら2時間をやり過ごし、プロペラ機で、与那国島へ向かった。プロペラ機は最新機で思ったよりも、全然揺れずに安心感があった。

 

 

与那国島に到着すると、診療所スタッフの方が、迎えにきてくれていた。
到着初日に、診療所所長の先生から、与えられた任務は、最西端にある与那国島での国際カジキ大会の救護班らしかった。

 

 

直接空港から、久部良という港に車を走らせた。久部良の港には、100Kg級のカジキマグロが上がっていて、みんなでマグロを食べ、気づいたら祭りが終わっていた、なんとも、のんびりとした仕事だった。

 

 

久部良という港町から、外周をなぞる様に海を眺めながら、車を走らせ20分ほどして、島の中心地にある祖納に移動した。

集落の祖納に位置していた診療所に着くと、3人の看護師さん、事務の方、診療所の所長先生に挨拶をした。

 

 

30代後半の、背の高いすらっとした先生で、1歳の患児を診察されていた。
今日は、もう診療が終わったとの事で、ご飯を食べてきたら?と勧められ

 

 

近くの女酋長というレストランで、沖縄そばを食べた。
診療所にもどる途中、関東ではみた事のないサイズのゴキブリに3匹遭遇し、悲鳴をあげながら、診療所に帰った。

 

 

勤務中は、救急患者さんにいつでも対応できる様に、診療所に併設されている宿舎で寝泊りする事になった。

 

 

寝る前に、歯ブラシをしようと、洗面台に向かうと、また見たことのない、自分の顔を超えるサイズの、蜘蛛が鏡にはりついて、虫が苦手な僕は、一人で悲鳴をあげた。

 

部屋に戻り、電気を消してベットに入り、寝る前になんだか、すごいところに来た様な気がした。

 

「たくさんの素晴らしい団体や人物がいる中で、自分が行動する意味は、あるだろうか。」

 

 


日本の最西端である与那国島で働かせてもらった日々が、島民との出会いが、そんな自分の迷いを消してくれるなんて、この時本当に思ってもいなかった。

 

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自分が行動する意味なんてないのだろう。 2016年6月30日

「世界の僻地に医療を届けたい」

 

 

そんな聞こえの良い、崇高な思いを掲げたところで、一介の臨床医にはやっぱり限界があった。

 

建設した小学校で泣いていたお母さんは、ツクツクの寄付、小学校の継続支援、その村にすでにある病院への支援を行う事で、一応笑ってくれた。

 

カンボジアから帰国した次の日に、長崎大学熱帯医学講座の終了試験を受け、大学院のグローバル棟で18人の同期と共に修了式に参加した。

 

 

1時間程度の式典の後、教授陣と、生徒で振り返りが行われた。みんなが感動を言い合って、終始和やかなムードで進んだ。僕自身も、同期の方に、何度も話を聞いて頂いたし、教授陣からもたくさんの事を教わった。

 

 

最後に、一人の教授が、口を開き修了生に質問した。

 

 

「この熱帯医学講座の三か月間、楽しかったですか?」

 

僕意外の17人の生徒は楽しかったと手を挙げた。

 

 

僕自身も長崎の地で三か月はもちろん心情的には楽しかった。

 

「では、楽しくなかった人は?」

 

 

一人だけ、とっさに手をあげてしまった。教授は僕自身を指さし、さらにつづけた。

 

「なぜ、楽しくなかったんですか?」

 

 

「自分にも何かできるはずだと思って、長崎大学に来ました。理論を教わり、自分なりに実行しましたが、ほとんど、うまく行きませんでした。そして、NPO,大学、行政の分野で、たくさん素晴らしい活動をされている先輩方を拝見して、自信がなくなりました。」

 

と正直に答えた。

 

 

その教授は、諭す様に

 

「国際協力は99%がうまくいかず辛い事が多いです。ごくたまに経験する1パーセントが素晴らしくて、続けられる事があります。うまく行かない事が当たり前なので、そのままでいいんですよ、それが正解なんですよ。」と答えて下さった。

 

 

午前中に全てのプログラムが終わり、長崎大学から続く長い長い坂をゆっくり下っていた。

 


日夜研究に励んでいる大学の先生方がいた。NPOで何十年も活動されている方がいた。国立国際医療センター国際医療局、JICAなど行政の分野でも活躍されている方がいた。医療系でなくても、ビルゲイツの様に何百億のお金をだして、人の命を救っている先人たちがいた。

 

 

確かに、新しくカンボジアの僻地に病院を建設し、医療教育を施し、地域開発と並行すれば、赤ちゃんの命は確かに救える可能性が高くなる。

 

 

それでも、ある意味、自分が行動を起こして病院を建てたとしても、ある国の、ある州の、ある村の、ある事象が改善されたところで、世界的にみれば、ごくごく微力でしかない。

 

 

それはやっぱり、自己満足の領域をでない。そして、その病院建設プロジェクトすらうまくいかなくなった。

 

自分なりにガムシャラに行動したけれど、大きな結果はだせなかった。行動を通して、たくさん素晴らしい先輩方にも出会った。

 

 

世の中に、すごい人はいっぱいいる。滑稽にもあーだこーだ騒がずに、その人たちにまかせておけばいい。


自分も自分なりに頑張った。30歳を超えて、夢や目標なんて、言う年でもなくなった。

 

国際協力はもう辞めた方が良いのだろう。

 

 

坂を下りた時に、漠然とそんな事を考えていた。

 

 

 

 

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泣いていたお母さんは少し笑ってくれたけれど。  2016年6月23日

 

 

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新設の病院建設は残念ながら医療スタッフの継続性の観点から頓挫した。

 

病院建設予定地視察と共に、赤ちゃんを亡くしたお母さんと会うために、一旦ワールドビジョンのスタッフと別れて、通訳のブティさんと合流して、コンポントム州のGRAPHIS小学校があるBENG村を目指した。

 

BENG村は首都であるプノンペンと、世界遺産アンコールワットがあるシェムリアップの概ね中間に位置している。

 

午前5時、ブティさんのTOYOTAの車に乗り込み、バンティミェンチェイ州から南東にすすみ、午前10時ごろに、コンポントム小学校のBENG村に到着した。

 


長崎滞在中に、通訳のブティさん、村長と連絡を取り合いながら、保健ボランティアとヘルスセンターのスタッフと赤ちゃんの急変時の対応、出産後の家庭訪問等について確認を行い、自腹で15万円ほどだして、救急車として使用するツクツクの購入を行っていた。

 

 

もちろん、ツクツクの使用には、維持費がかかるため、貧困層の村人と話し合いを重ね、一回の搬送使用につきを2.5ドルをもらい、それをガソリン代などにあてる事とした。

 

日本で走っている様な救急車を購入すれば、何百万もするが、搬送に使えれば言い訳で、高価な寄付は逆効果に思え、大人が一人横になっても問題ないサイズのツクツクを購入した。

 

 

買ってきたツクツクを、建設した小学校に持っていくと、集まって頂いた村人は歓喜の声を上げていた。その中に、以前出会った赤ちゃんを亡くしたお母さんもいらっしゃった。

 

村人に少しでも愛着、オーナーシップをもってもらうと、妊産婦のお母さん、赤ちゃんを持つお母さんから、ペンキをつけて、ツクツクに手形をつけるというイベントを行った。

このイベントが、予想以上に盛り上がり、2年前に出会った、泣いていたお母さんも、たくさんの村人と笑っていてくれたのが、遠くから見えた。

 

救急車として使うツクツクの前で、保健ボランティアや村人、ヘルスセンター、今回の事例を共有し、次回からの搬送手段、産後の家庭訪問について、話し合し、連携を強化できる様に図った。

 

話し合いが終わり、村人が各々の家に帰っていく中、以前出会ったお母さんが、僕が一人になったタイミングで僕に話しかけてくれた。

 

なんて言ってもらえるだろうと、なんだか心配になった。

 

「遠い日本の国から、来てくれてありがとう。亡くなった、赤ちゃんを誇りに思います。」

 

誇りに思うという発言をさせてしまった事に申し訳なくなった。何度も感謝を伝えてもらい、お母さんは旦那さんと、4歳のお子さんがいる自宅へ笑顔で帰っていった。

 

 

赤ちゃんの命を救うためには、ツクツクを救急車と利用する事は一助になったとしても、それだけでは、問題が完全に解決しない事はこの時、自分でも分かっていた
医療費を捻出できない貧困、水衛生など、それ以外にも、もちろん問題はあった。

 

問題がすべて解決する訳ではないと分かっていたけれど、少しでも、自分のせいで赤ちゃんを亡くしてしまったという、アウトカムでは測れない、お母さんの「後悔」や「涙」を減らして、「笑顔」も増やしたかった。

 

 

自腹で買ったこのツクツクは、2016年~2018年に、この地域で年に約5回ほど、主に母体や赤ちゃんの救急搬送に今でも使用されている。

 

 

泣いていたお母さんを少しだけ、笑顔にできた事。そんな少しの満足感を得ながら、次の日、帰国し、長崎大学熱帯医学講座の修了試験を受けた。

 

 

 

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病院建設地視察 2016年6月22日

 

 

 

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基本的な保健サービスを導入すれば、赤ちゃんの命を半分ほど救うことができる。

 

そんな科学的な事実から、ワールドビジョンの谷村さんと、やり取りを繰り返し、カン

ボジアとタイの国境沿いにあるバンテイメンチェイ州トモプオ郡が、建設候補地に上が

った。この地域の現状として、近くにそもそもヘルスセンターがなく、高額な費用を支

払いタイで出産するなどの現状もあり、候補地を視察する事になった。

 

 

長崎大学熱帯医学講座の修了試験があるため、それまでに返ってこられる様に、6月22

日午後の授業を終えた後、そのまま路面電車に飛び乗り、バスで長崎空港へ向かい、羽

田空港は1日6便ある内の午後5時5分初の便に乗り、羽田空港から深夜便でバンコク

経由にして、6月23日の早朝に世界遺産のアンコールがあるシェムリアップに到着し

た。

 

 


NPOワールドビジョンはジャパンの他にも、世界に支店があり、空港にはワールドビジ

ョンカンボジアのスタッフのサリンが迎えに来てくれていた。今回は通訳のブティさん

がいない、親から離れた小鹿状態である。

 

 

サリンは20代後半のカンボジア人で初対面だったので、お互い自己紹介しながら、道

中に。僕の拙い英語で苦労をかけながら、サリンがなぜNPOで働いているかを伺った。

 


国際協力を仕事にする場合、国連などの行政機関で働く、JICAで働く、国立国際医療センターの国際医療局で働く、NPOで働く、大学で研究に従事する、開発コンサルティング会社に就職するなど、いくつかの形態があって、その経緯は本当に人それぞれでキャリア形成にほとんど法則性はなかった。

 

 

そんな中で、長崎大学熱帯医学過程で出会った先生方の中から法則性を見つけようと、オーバーではなく100人ぐらいの人生を研究した。その中で唯一共通していたのは、「原体験」と「情熱」だった。まず初めに、各々の「原体験」があって、それをキッカケに、「情熱」をもちすすんでいき、結果として、キャリアを形成していた。

 

 

キャリアや待遇を気にするから、それらに結びつくのではなく、「原体験」や「情熱」がそれらを結果的につくっているようにもみえた。

 

座学を学べた事も大きかったけれど、そんな先輩方の一人一人のライフストーリーを聞けたのが、何より貴重だった。

 

国連や、NPOや、JICAなど働き方は内容で、難しく見えるけれど、最後はシンプルに原体験に対する情熱を持ち、道を切り開き進んでいった様にも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シェムリアップから、北西に5時間ほど車を進めたところで、タイの国境ぞいにあるバンテイメンチェイ州トモプオ郡の町に着いた。
ここは、世界遺産プレアビヒアをめぐって、2011年まで紛争があった場所だ。

 

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タイとの国境に山に囲まれた景観の景色も眺めながら、この地域の村人と、ワールドビジョンカンボジアのスタッフから現状を伺った。

 

 

 

 

最寄りのヘルスセンターにはバイクタクシーで1時間ほどかかってしまい、出産時に受診せず、少数であるけれど自宅で、伝統的産婆(Traditional Birth Attendant)の介助の下、出産する文化も残っていた。日本では、助産師(Skilled Birth Attendant)が出産介助を行うが、途上国では清潔でない機材でへその緒を切断したり、カンボジアでは出産後のお母さんを温めるためにベットの下に薪を炊いて一週間燻したりする文化も残っていた。

 

 

村人も、伝統的産婆が絶対に良いという反応ではなく、近くに施設がなく、出産時は仕方なく伝統的産婆を利用されている方もいた。

 

 

お話を伺った後、最寄りのヘルスセンターを視察しに行こうと、車に再び乗り込んだ。
ヘルスセンターに向かう道中に、サリンから、この計画はもしかしたら、失敗するのかもしれない。と聞かされた。

 

 

英語を聞き取れたかった不安だったので、もう一度聞き直した

 

 

「公立だから、看護師などのスタッフを政府が派遣してくれるけれど、ここは僻地すぎて、スタッフが継続して、来てくれるか分からない。」

 

 

「・・・・・」

 

 

究極に当たり前だけれど、人の命を救うのは、機械や建物ではなく、人だ。人がいなければ、いくら医療教育やハコモノを建設しても全く意味がない。むしろ、建設して一旦期待させた分だけ、現地にとって有害かもしれない。

 

 

ヘルスセンターの視察を3時間ほどで終え、2時間ほど車を走らせ、最寄りのホテルに到着した。

 

 

酸素、保育器、分娩台、抗生剤、ワクチンそのものが赤ちゃんの命を救うわけではない。

 

 

人が、適切な知識を持ち、その機械を適切に使って、初めて人の命を救う事ができる。
最終的に、病院建設は、政府と話し合いを重ね、持続可能性の可能性から、残念ながら、トモプオ郡病院建設計画はその後、頓挫した。

 

 

病院スタッフの問題という、大きな問題がのしかかった。

 

 

 

 

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看護師助産師の割合
人口1000人あたり、日本は11.2人に対して、カンボジアは0.95人
International Data & Economic analysis(IDEA)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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