葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

日本の僻地へ。 2016年7月3日

 

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日本の僻地へ。 2016年7月3日
 

 

自分なりにガムシャラに行動したけれど、大きな結果はだせなかった。行動を通して、たくさん素晴らしい先輩方にも出会えた。

 

夢や目標を諦めたとしても、現実は続く。その中で、自分ができる事を探すしかない。

 

 

長崎大学熱帯医学講座を終えて、日本の僻地でもできる事をやろうと、自治医大の先生方が作られた日本の僻地で医療を行う団体に所属していた僕は、沖縄の離島である与那国島の診療所で臨床医として働かせてもらうことになった。

 

 

三か月過ごしたアパートの片づけを1時間ですませ、路面電車に乗り長崎駅からバスで長崎空港を目指した。

 

 

「何か自分でもできるんじゃないか」、三か月前に抱いていた感情は、ほとんど無くなっていた。長崎空港からの行きと帰りのバスから見えた景色は、全く違って見えた。

 

 

長崎から自宅の賃貸東京に戻り、羽田空港から石垣島へ向かった。

 


石垣島空港で与那国島への乗り換えの搭乗口に向かっても、いつまでもたっても搭乗案内されなかった。

 

 

どうやら、パイロットの方の体調不良で2時間到着が遅れた様だった。
小説を読みながら2時間をやり過ごし、プロペラ機で、与那国島へ向かった。プロペラ機は最新機で思ったよりも、全然揺れずに安心感があった。

 

 

与那国島に到着すると、診療所スタッフの方が、迎えにきてくれていた。
到着初日に、診療所所長の先生から、与えられた任務は、最西端にある与那国島での国際カジキ大会の救護班らしかった。

 

 

直接空港から、久部良という港に車を走らせた。久部良の港には、100Kg級のカジキマグロが上がっていて、みんなでマグロを食べ、気づいたら祭りが終わっていた、なんとも、のんびりとした仕事だった。

 

 

久部良という港町から、外周をなぞる様に海を眺めながら、車を走らせ20分ほどして、島の中心地にある祖納に移動した。

集落の祖納に位置していた診療所に着くと、3人の看護師さん、事務の方、診療所の所長先生に挨拶をした。

 

 

30代後半の、背の高いすらっとした先生で、1歳の患児を診察されていた。
今日は、もう診療が終わったとの事で、ご飯を食べてきたら?と勧められ

 

 

近くの女酋長というレストランで、沖縄そばを食べた。
診療所にもどる途中、関東ではみた事のないサイズのゴキブリに3匹遭遇し、悲鳴をあげながら、診療所に帰った。

 

 

勤務中は、救急患者さんにいつでも対応できる様に、診療所に併設されている宿舎で寝泊りする事になった。

 

 

寝る前に、歯ブラシをしようと、洗面台に向かうと、また見たことのない、自分の顔を超えるサイズの、蜘蛛が鏡にはりついて、虫が苦手な僕は、一人で悲鳴をあげた。

 

部屋に戻り、電気を消してベットに入り、寝る前になんだか、すごいところに来た様な気がした。

 

「たくさんの素晴らしい団体や人物がいる中で、自分が行動する意味は、あるだろうか。」

 

 


日本の最西端である与那国島で働かせてもらった日々が、島民との出会いが、そんな自分の迷いを消してくれるなんて、この時本当に思ってもいなかった。

 

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