葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

諦めることはあの日辞めた。 2016年8月10日

 

 

 

 

日本の僻地でできる事をまずやろうと、島の診療所で働いていると、与那国島の警察官から、ある日、診療所の僕宛に電話がかかってきた。

 

何も犯罪は、してないはずなのに、若干なぜか、ドキドキしながら、電話にでた。

 

平良さんという警察官からだった。

 

他の離島がどうかは分からないけれど、平良さんは、ご高齢者の見守りにいったり、ボランティアで子供たちに勉強を教えたり、警察としての仕事以外も、たくさんやってくださっていた。

 

「葉田先生、今大丈夫ですか?」


「ちょうど、外来がおわったとこなので、大丈夫です。」

 

診察室の机の受話器を取りながら、答えた。

 

「ちょっと先生にあわせたい子がいるんです。」

 

日本の最西端の与那国島に、残念ながら、僕の知り合いはいなかった。
どんな人だろうと思案していると、平良さんは続けた。

 

「中学生三年生の女子なんですけど、葉田先生の映画をみて、そういった活動に憧れて、医者になりたくて、今勉強頑張っているみたいなんですよ。」

 

「本当ですか?それオーバーにいいすぎてませんか?」
謙遜とかではなく、本当に何か間違えているんじゃないかと、思って指摘してしまった。

 

「いや、本当にそうなんです。会ってくれますか?」
「はい。急患の患者さんが、いらっしゃらなかったら、いつでも大丈夫です。」
と返答し、電話を切った。

 

 

どんな中学生なんだろうと考えた後、診療所の所長先生に、警察の方から、僕に会いたがってる女子中学生がいる事を伝えた。

 

「いつでも、行ってきてください。さすが、葉田先生ですね」と嫌味ではなく、仏の様な優しさで、僕に言ってくれた。
診療所近くの抜群に美味しいカレー屋さんで、昼食を頂いた後、診療所で警察官の平良さんと、その女子中学生を待つことにした。

 

なぜか、葉田さんに会いたいですと、本を書いてから、連絡が来ることがあった。そして、映画化の後は、さらに数が増えた。

 

素直に嬉しい反面、葉田さんすごいですねー、尊敬します、といわれても、自分の臨床医としての実力や、他にももっと素晴らしい先生方がいることを、考えると、自己嫌悪に陥った。

 

本当の自分ではなく、美化された、過大評価された虚構の自分を見られているようだった。

 

診療所で20分ほど待っていると、診察室から、入口から平良さんとその女子中学生が来たことがみえた。

 

救急の患者さんは、いらっしゃらなかったので、待合室で、話すことになった。

 

ミクさんという女子中学生は緊張している様子だった。

 

変わりに、警察官の平良さんが、ミクさんを紹介してくださった。

 

 

与那国で生まれ、育ち、真偽はどうか僕はもう確かめる手段はないけれど、映画が一つのきっかけとなり、医者になりたいと思い、島には高校がないため、本島の高校に進学するという。

 

 

平良さんから、
「ミクさん、せっかくなんだから、何か話した方が良いよ」
と促されて

 

 

唯一、ミクさんは自分の口で


「医者になりたいです。勉強頑張ります」と、発言した。

平良さんはミクさんをフォローする様に、僕に気を使う様に
「全然話さなくてすみませんね、直さないといけないですね」と、言っていた。

 

 

そのあと、世間話をしながら、頭の片隅で、考えていた。

 

 

23歳のときに自費出版した本は、全国で映画化になった。
その本や映画は、日本の最西端の島の人口1500人ほどの島の、数十人しかいない、中学生の一人の心に、届いた。

 


そして、その中学生はそれがキッカケで医者になりたいと言ってくれている。

 

 

よくよく考えれば、映画や本できっかけで、カンボジアに行ってくださった方がいた。僕がきっかけで、青年海外協力隊に行ったと、いう人もいた。npoをはじめたと言っていた人がいた。国連に行きますと、いってくれた方がいた。末期ガンの患者さんで、葉田さんの本が大好きですと、言って下った方がいた。

 

警察官の平良さんと、女子中学生が帰った後、診療所で、ぼーっとしながら、考えた。

 

たしかに、自分の力は微力かもしれない。

病院を建てて、医療教育を行っても、ある国の、ある州の、ある地域の、ある事柄が改善されたに過ぎない。

 

でも、目の前の人になら、何かできるかもしれない。そして、その活動をみて、女子中学生のように、これから先も、行動をおこしくれる人がいるのかもしれない。
僕の変わりに、ミクさんが、代わりにたくさんの命を救ってくれるのかもしれない。

 

 

国連で働いていますと言った彼や、ngoで働いていますと言った彼女が、はたまた就職して頑張っているあの人が、世の中をより良くしてくれるのかもしれない。

 

 

自分の力は微力でも、その人たちがもたらした結果を積分すれば、もしかしたら、その影響まで考えれば、僕たちは世の中を、世界を少しだけよくできるのかもしれない。

 

 

だから、もう言い訳するのは、やめよう。自分の力は、微力だからと、逃げるのはやめよう。必ず自分にもできる事がある。

 

 

なんだか恥ずかしいけれど、そんな事を、一回り下の女子中学生が、僕に教えてくれた。

 

自分は足りないところだらけで、成長しなきゃいけないところだらけで、彼女が尊敬している僕と、現実の僕には乖離がある。

 

でも、そんな虚構みたいな、ピエロみたいな自分でも、影響を与えられる人がいる。その人が、救ってくれる人がいる。

 

 

自分がやっていたことが、日本の果ての島の、女子中学生に届いていたこと。

 

嬉しかったのか、悔しかったのか、何かがつながった様な気がしたのか、何でか分からないけれど、涙がでた。待合室で、バレない様に下を向いた・

 

 

顔をあげようと思っても、涙がこぼれそうで、顔をあげられなかった。

 

20代の時は、ガムシャラだった。国家試験の前に、カンボジアエイズ病棟に泊まり込み、素人からドキュメンタリー映画を仲間とつくり、本を出版した。移動時間を、食事の時間を、お風呂の時間を、ひどい時はトイレの時間を、起きている間はすべて、やりたい事にあてた。

 

 

大人になり、難しい言葉をたくさん覚え、小利口になり、いつしか、そのガムシャラを失った。

 

 

そのガムシャラさや、情熱があったからこそ、何か感じてくれた人がいた。形を変えても、年齢を重ねても、その馬鹿みたいな行動や思いはもっていて、良かったはずのなのに。

 

 

目の前の人になら、何かできるはずなのに、そんな可能性があったのに、僕は自分は無力だとか、力がないとか、聞こえの良い言い訳をして、行動する事から、いつの間にか逃げていたのだ。

 

 

夢や目標なんて、叶わない事が多い。憧れの人になれる事なんて、ほとんどない。

 

それでも、やっぱり、僕は僕にできる事を、目の前の人に対して、ただ心を込めてガムシャラに仕事をすればいいのだ。誰かみたいに素晴らしい人間になる事はできなくても、自分らしく生きる事はできるはずだから。

 

 

弱いからこそ、行動するのだ、だからこそ、それは誰かの希望になって、回り回って、必ず誰かを、時に自分を笑顔にしてくれるはずだから。

 

 

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