葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

カンボジア 赤ちゃんを亡くしたお母さんから、8千人の命を守る病院を建てるまで。

大人になった僕たちは。カンボジア病院建設編、終了。

当たり前だけれど、ここに書いた事は一字一句僕が書いた。でも、その内容のほとんどは、日本やカンボジアで、NPO活動を通して出会った方、指導してくださった先生、診させて頂いた患者さん、関わって頂いたすべての方が、僕に教えてくれたものだ まだまだ自…

カンボジア病院建設 その後。 2018年10月18日

医学は科学だから、論理的に数字で示さなきゃいけない側面がある。 お腹が痛い患者さんがいたら、可愛そうだなぁ楽にしてあげたいなと思う気持ちと、胆嚢炎だろうか腸閉塞だろうかと、冷静な科学的な気持ちと、片方ではなく両輪がきっと大切だ。 「色々言っ…

亡くなった赤ちゃんとお母さんが教えてくれたこと。 2018年10月20日

開院式の後、ワールドビジョンスタッフ、支援者のみなさんと一緒に、カンボジア名物の焼き肉を頂いた。 なぜか分からないけれど、そのレストランで、ギターをひきながら、嶋岡先生と「青空」を音程を外しながら熱唱した。講習会や開院式が一応うまくいって、…

僕たちは一体何のために働いているのだろう? 2018年2月11日

開院式の後、現地の助産師さん向けに、カンボジアの新生児死亡のおおよそ四分の一を占めている新生児仮死に対応するための講習会が行われた。 生まれた時赤ちゃん10人のうち1人は、吸入や刺激、人工呼吸などの処置を要する。それに対応して頂くために、現…

カンボジアの僻地に病院を建設し8000人の命を守りたい。 2018年2月11日 

建設のお手伝いをさせてもらったサンブール保健センターは、カンボジア北西部のバンティメェイチェンイ州に位置している。 前日に、世界遺産プレアビヒアから新設した保健センターの最寄りのホテルまでに移動した。 カンボジアに到着した際に、開院式スピー…

未来は今さ。   2018年2月9~10日

第五章 笑顔の開院式へ 2014年2月に赤ちゃんを亡くしたお母さんに出会い、そこから、何かできないかと、探し回ったら、四年も経っていた。 四年の間で、スーダンの川原先生に出会った。長崎での日々があった。ワールドビジョンと出会った。離島の島民との出…

虹をみたかい。 2018年1月30日

クラウドファンディング公開までの準備の日々は、地獄だったけれど、対照的に公開してからは、驚きと感謝と嬉しさがたくさんあった。 やれる事はやりきったが、公開して誰も寄付をして下さらなかったら、あまりに惨めなので自分で1万円寄付して、体裁を少し…

不安しかないクラウドファンディング。 2017年12月28日

初めてのクラウドファンディング。 2017年12月28日 新生児蘇生法を教えてもらえる嶋岡先生、事務の仕事を近藤に手伝ってもらえる事になり、なんとか残り400万円を集める事ができれば、病院を建設し赤ちゃんとお母さんの命を守る事ができる状況にようやくな…

奇跡と運とシンクロニシティ 2017年8月26日

生まれた時の赤ちゃんは、呼吸がとまって、心臓がとまる事が多い。 心臓がとまった時に蘇生するのはとても難しいのだけれど、呼吸がとまった時に呼吸をもどす方法はそれほど難しい訳ではない。 赤ちゃんは生まれたときに、100人中10人は自分でうまく呼吸がで…

絶望の数。  2017年6月3日

視察を終え、NPOワールドビジョン協力の元、サンブール保健センター建設がスタートした。400万の寄付金を集め病院を建設し、現地の医療従事者の方に医学教育をすれば、理論的には命を救う事ができる。 建設後、医療教育を継続していく事、今後もGRAPHIS小学…

赤ちゃんを亡くし、お母さんは泣いていたこと。 2017年3月31日

建設予定のサンブール保健センターは、11の村を、住民7947人(1722世帯)、5歳未満は885人の医療圏カバーしている。 新生児の赤ちゃんを失った家庭があるとの事で、お話を伺いに行かせて頂く事となった。 サンブール保健センターから、そのご家庭までは、少…

病院建設プロジェクト再始動。 2017年3月30日

20歳の時に、「150万円でカンボジアに小学校が建ちます。」と偶然渋谷の郵便局でパンフレットをみたのが、カンボジアとの出会いだった。 でも、さすがに、こんなにカンボジアに通うものとは、思わなかった。 カンボジアのビザはパスポートの1枚を丁度使用す…

もう一度、夢を。  2016年8月30日

与那国島での、日本の地域医療の日々は、大切な事を、教えてくれた。 自分の行動で誰かが、行動を起こしてくれるかもしれない事。そして、戦後様々な方のおかげで、日本の僻地医療、赤ちゃんの命が守られてきた事を知った。 海外を通して、逆に日本の素晴ら…

幸せって何でしたっけ? 2016年8月15日

人口1500人の島で、何か緊急的な問題が起これば、もちろん夜中でも、土日でも24時間対応しければならない。 生死に関わる様な急変は、時々あるが、軽傷の方も、多く受診される。 その日は、そろそろ寝ようかなと、夜の12時ぐらいに、診療所のベットに…

諦めることはあの日辞めた。 2016年8月10日

日本の僻地でできる事をまずやろうと、島の診療所で働いていると、与那国島の警察官から、ある日、診療所の僕宛に電話がかかってきた。 何も犯罪は、してないはずなのに、若干なぜか、ドキドキしながら、電話にでた。 平良さんという警察官からだった。 他の…

日本の僻地へ。 2016年7月3日

日本の僻地へ。 2016年7月3日 自分なりにガムシャラに行動したけれど、大きな結果はだせなかった。行動を通して、たくさん素晴らしい先輩方にも出会えた。 夢や目標を諦めたとしても、現実は続く。その中で、自分ができる事を探すしかない。 長崎大学熱帯医…

自分が行動する意味なんてないのだろう。 2016年6月30日

「世界の僻地に医療を届けたい」 そんな聞こえの良い、崇高な思いを掲げたところで、一介の臨床医にはやっぱり限界があった。 建設した小学校で泣いていたお母さんは、ツクツクの寄付、小学校の継続支援、その村にすでにある病院への支援を行う事で、一応笑…

泣いていたお母さんは少し笑ってくれたけれど。  2016年6月23日

新設の病院建設は残念ながら医療スタッフの継続性の観点から頓挫した。 病院建設予定地視察と共に、赤ちゃんを亡くしたお母さんと会うために、一旦ワールドビジョンのスタッフと別れて、通訳のブティさんと合流して、コンポントム州のGRAPHIS小学校があるBEN…

病院建設地視察 2016年6月22日

基本的な保健サービスを導入すれば、赤ちゃんの命を半分ほど救うことができる。 そんな科学的な事実から、ワールドビジョンの谷村さんと、やり取りを繰り返し、カン ボジアとタイの国境沿いにあるバンテイメンチェイ州トモプオ郡が、建設候補地に上が った。…

たくさんの失敗を積み重ねていつか僕たちは。2016年5月31日

第二章 たくさんの失敗を積み重ねていつか。2016年5月31日 目標を定める。情報をトコトン集める。情報を組み合わせて、戦略を立てる。やると宣言して期限を決め逃げられない環境をつくる。やると決めたら、最後までやる。 医学部受験の五ヶ月前の模試ですべ…

本日は誠に申し訳ありませんでした。 2016年5月30日

行動しない時ほど、評論家ぶって、井の中の蛙状態で、自分はやればできる、なんて思っていた。 でも、実際に行動すればするほど、自分はなんて平凡なんだと気づいた。そんなスタートの日だった。 2016年5月30日に、長崎大学大学院熱帯医学講座の中で、先生に…

行動すれば救える赤ちゃんの命が必ずある  2016年5月10日

「途上国の僻地での赤ちゃんを救う方法」を学ぶために、一番楽しみにしていた授業がある。 カンボジアに国立国際医療センターの国際医療局から派遣され、母子保健の事業で働かれていた先生の授業だ。これ以上のものはなかった。 授業を通して、基本的な事柄…

いざ、長崎大学熱帯医学研修過程へ 。 2016年4月3〜4日。

とりあえず、飛び込む。大体僕の人生はそんな感じだ。大学受験も志望校はE判定しかとった事なかったし、本の出版も、とりあえず書いた。何でもやってみる事が人生を時々切り開いてくれた。小さな勇気が時々大きな結果をくれた。 帰国後、「途上国の僻地での…

メリットより、デメリットが多いのに、なぜ行動するのか。 2016年3月5日夜

「途上国の赤ちゃんの命を救いたい」なんて、聞こえの良い、格好良いことを、いっても、自分の実力を考えると、現実はむちゃくちゃ厳しい。 一介の臨床医である自分に何ができるのか。車中で自分の現在地と目標を考えた時に、絶望的な気持ちになり、ため息を…

22日間の命 2016年3月5日

22日間の命 2016年3月5日 車で横道に何度も入り30分すると、1年半前に出会った、赤ちゃんを失くしたお母さんのご自宅に着いた。 車から降りると、お母さんと、その夫、4歳の男の子が、僕には分からないクメール語を話しながら、「おまえ、また来たのかー!…

マイナスからの再出発  2016年3月3~4日

一からの再出発。 2016年3月3日 明日、自分が亡くなるとしたら、自分は何をするだろう? 「医療の届きずらい地域に、医療を届ける事」 川原先生と出会い、自分に聞くと、やっぱり、そんな事が素直に昔から、自分が一番やりたかった事だった。 夢や目標をすぐ…

カンボジア小学校建設10年後。 2016年3月5日

プノンペンの空港から車を北西に3時間30分ほど走らせると、僕たちがお手伝いさせてもらっているコンポントム州ストーン群ベン村にあるGRPAPHIS小学校に着いた。 2005年、大学2年生の時に、渋谷の郵便局でパンフレットを見た。 「150万あればカンボジアに小…

心の中に平穏を。 2015年3月11日

未だに西部のダルフール地方では戦闘が勃発しているスーダンの首都ハルツームにある NPOロシナンテスの事務所で 「葉田さん、ご飯ですよ~!」と川原さんの息子である健太郎くんの声で起きる。 夜中でも30度を超える気温も、なんとか慣れてきた。 最終日の…

日清カップラーメンと、スーダンの夜空 2015年3月10日

日清カップラーメン。 2015年3月10日 スーダンは、イギリスの植民地時代を経て、1956年に独立したが、南を中心に内戦が続き、1980年代に、飢餓も発生し、地域全体の住民が栄養失調に陥る事もあった。 栄養不足で、うずくまった子供を獲物として、ね…

戦争の後で。 2015年3月9日

戦争の後で。2015年3月9日 あつい、暑い、熱い。 これは、もはや自分が30年近くの人生の中で、経験してきた朝の温度ではない。 スーダンでは、昼間太陽に照りつけられた家の壁が熱を蓄えてしまうので、明け方になっても室内は軽く30度を超えてしまうらし…