葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

幸せって何でしたっけ? 2016年8月15日

 

 

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人口1500人の島で、何か緊急的な問題が起これば、もちろん夜中でも、土日でも24時間対応しければならない。

 

 

生死に関わる様な急変は、時々あるが、軽傷の方も、多く受診される。

 

 

その日は、そろそろ寝ようかなと、夜の12時ぐらいに、診療所のベットに寝そべっていると、窓の外に人影見えた。

 

 

島民の方が、明かりがついている診療所のベットがある部屋を、トントンとノックし、「先生、急患―!!」とこちらに、向かって呼びかけている。

 

 

自分の寝ている部屋の窓を、患者さんにノックされるなんて、都会じゃまずない。

 

大抵は救急隊か、看護師さんから、こういう救急患者さんが受診されますと情報を頂いてから、診察させて頂く。

 

 

「なかなか、都会じゃ味わえない経験をさせてもらっているなぁ」と思いながら、そのまま白衣を来て、外にでて、ノックをした患者さんに会いにいく。

 

 

「どうされましたか」と聞くより前に、右足からダラダラと血が出ているのに、気づく。

 

 

足の怪我をされた50歳代の男性が
「先生、酔っ払って、転んでガラスの瓶で切っちゃったんですよ。診てくれないかい。」
とおっしゃったので

 

 

「縫った方が良さそうなので、どうぞ中に入ってください。大変でしたね。」
と夜中の診療所に通した。

 

 

診療所の所長先生もまだ、残っていたので、二人で傷を縫うことにした。わざわざ看護師さんを夜中に呼ぶのも悪いので、所長先生に介助して頂き、傷口を洗い、レントゲンで異物やガラス片がないことを確認して、縫合を始めた。

 

 


足の傷は深くはないけれど、範囲が広く、10針ほど縫うことになった。

 

 

縫合の途中に奥様が来られて、約30分ほどで、縫合と破傷風ワクチンが終わり、ありがとうございましたと言ってくださり、お二人で帰宅された。

 

 

患者さんが帰る頃には、もう深夜の1時前になっていた。カルテを書いて、仕事は全部終わっているはずなのに、所長先生となぜか、二人で会話を続けた。

 

 

所長先生からの質問が導線だった様に思う。

「葉田先生、将来どうするつもりなんですか?」

カンボジアに行き、長崎に行き、自分のやっていることが、正しいことなのか、意味のあることなのか、わからなくなっていました。でも、ここにきて、女子中学生と出会って色々と考える事がありました」

 

 

カルテに目をやりながら、正直に答えた。

 

 

「本当に、現地での人が必要としているのは、臨床医として活躍するというよりは、水だったり、施設や機材だったり、教育だったり、保健ボランティアの養成でといったり狭い意味の医療以外にありました。自分がやっている事も、病院建設の調整、本を書いたり、講演したり、教育を考えたり、医者っぽくない仕事が多いんですよね。」
苦笑いしながら、付け加えた。

 

 

 

そんな僕の発言を、所長先生は否定する様に返答した。

志があるなら、別にいいじゃないか。それが医者っぽい仕事であろうが、なかろうが、人の幸せに貢献しているのなら、いいじゃないか。」

単純にその返答はすごいなぁと思った。所長先生は、腰痛などに対して筋膜リリースを習得したり、島民の健康のため、散歩コースを作成したり、下痢が多発している時はその発生状況を調べたり、胃腸炎でお腹が痛いお子さんが来られた際には、暖かいタオルでお腹をあたためたりしていた。

 

 

それらは、すべて患者さんのため、という一言に集約されていた。その姿勢は、スーダンの川原先生に似た点もあった。

 

日本の新生児死亡は、戦後20年で、アメリカを抜いた。人口呼吸器がまだなかった時代に、新生児死亡を下げる保温、感染防止、栄養を徹底し、時にワークライブバランスを無視した働き方で、僻地でも、命の格差を守ってくれた医療者がいた

 

 

戦後の焼け野原から、経済の発展、識字率の高さ、政治的な決断、医療者の献身などがあり、日本は1967年に、日本は国民皆保険制度を達成した。「だれ一人取り残さない」といったSDGsの概念を60年前に不完全ながらでも形式上は達成している。

 

 

テレビやニュースにでなくても、今日も地域で、都会で、医師でなくても、看護師さんや、薬剤師さん、受付の方、清掃の方、ME、リハビリの方、すべての方のおかげで、人の命を守る行為を日本の、医療者の先輩方が、時々問題もありながら、それでも一歩ずつ前に進んでくださり、僕は成長し、大人になる事ができた。

 

 

僕自身も与那国島の診療所で一人で働いた時、心が休まる瞬間はひと時もなく、一か月で休みが1日もなかった。現代では、そんな働き方は美化できないし、自分自身が頑張ったなんて言う気はサラサラないけれど、やっぱりそうやって、今も昔も、日本で日夜頑張ってこられた医療者に、手前みそだけれど、尊敬の念を抱いてしまう。

 

 

日本の新生児死亡は、今も0.9人/出生1000と世界で最も赤ちゃんにとって安全な国の一つだ。

 

海外の事をやっているつもりが、いつしか、日本という国が好きになり、日本の先輩方に、僕が気づかないうちにして頂いた事に感謝した。

 

 

「そうですね。きっと、自分ができる事で、人が笑ってくれたら、嬉しいですし、本当はシンプルにそれだけでいいのかもしれないですね。」

 

 

僕が勝手に思っているだけかもしれないけど、所長先生と馬が合った僕たちは、深夜2時まで、幸せって何なんすかねと、謎な哲学的な話を続け、次の日に診療に支障がでない様に午前3時に就寝した。

 

 

次の日、縫合させて頂いた患者さんが来院され、お酒は抜けた様で、「先生、昨日は悪かったね。」とコーヒーを頂いた。

 

 


コーヒーを飲みながら、誰かに勝つから、誰かよりたくさんのお金を稼ぐから、幸せな気持ちを味わえるのではなく、自分ができる事で、人が笑ってくれるから、自分は幸せな気持ちになれる様な気がした。

  

 

 

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ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ
『すべての人が支払いに困ることなく、自分が必要とする基礎的な保健医療サービスを受けられる状態』。
国際社会では、2030年までにすべての国でユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成を目指すという目標を掲げ、推進している。

参考:https://shingakunet.com/journal/career/20170327184903/

 

 

 

 

 

 

 

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