自分が行動する意味なんてないのだろう。 2016年6月30日
「世界の僻地に医療を届けたい」
そんな聞こえの良い、崇高な思いを掲げたところで、一介の臨床医にはやっぱり限界があった。
建設した小学校で泣いていたお母さんは、ツクツクの寄付、小学校の継続支援、その村にすでにある病院への支援を行う事で、一応笑ってくれた。
カンボジアから帰国した次の日に、長崎大学熱帯医学講座の終了試験を受け、大学院のグローバル棟で18人の同期と共に修了式に参加した。
1時間程度の式典の後、教授陣と、生徒で振り返りが行われた。みんなが感動を言い合って、終始和やかなムードで進んだ。僕自身も、同期の方に、何度も話を聞いて頂いたし、教授陣からもたくさんの事を教わった。
最後に、一人の教授が、口を開き修了生に質問した。
「この熱帯医学講座の三か月間、楽しかったですか?」
僕意外の17人の生徒は楽しかったと手を挙げた。
僕自身も長崎の地で三か月はもちろん心情的には楽しかった。
「では、楽しくなかった人は?」
一人だけ、とっさに手をあげてしまった。教授は僕自身を指さし、さらにつづけた。
「なぜ、楽しくなかったんですか?」
「自分にも何かできるはずだと思って、長崎大学に来ました。理論を教わり、自分なりに実行しましたが、ほとんど、うまく行きませんでした。そして、NPO,大学、行政の分野で、たくさん素晴らしい活動をされている先輩方を拝見して、自信がなくなりました。」
と正直に答えた。
その教授は、諭す様に
「国際協力は99%がうまくいかず辛い事が多いです。ごくたまに経験する1パーセントが素晴らしくて、続けられる事があります。うまく行かない事が当たり前なので、そのままでいいんですよ、それが正解なんですよ。」と答えて下さった。
午前中に全てのプログラムが終わり、長崎大学から続く長い長い坂をゆっくり下っていた。
日夜研究に励んでいる大学の先生方がいた。NPOで何十年も活動されている方がいた。国立国際医療センター国際医療局、JICAなど行政の分野でも活躍されている方がいた。医療系でなくても、ビルゲイツの様に何百億のお金をだして、人の命を救っている先人たちがいた。
確かに、新しくカンボジアの僻地に病院を建設し、医療教育を施し、地域開発と並行すれば、赤ちゃんの命は確かに救える可能性が高くなる。
それでも、ある意味、自分が行動を起こして病院を建てたとしても、ある国の、ある州の、ある村の、ある事象が改善されたところで、世界的にみれば、ごくごく微力でしかない。
それはやっぱり、自己満足の領域をでない。そして、その病院建設プロジェクトすらうまくいかなくなった。
自分なりにガムシャラに行動したけれど、大きな結果はだせなかった。行動を通して、たくさん素晴らしい先輩方にも出会った。
世の中に、すごい人はいっぱいいる。滑稽にもあーだこーだ騒がずに、その人たちにまかせておけばいい。
自分も自分なりに頑張った。30歳を超えて、夢や目標なんて、言う年でもなくなった。
国際協力はもう辞めた方が良いのだろう。
坂を下りた時に、漠然とそんな事を考えていた。
★NPO法人あおぞら
カンボジア、ラオス、タンザニアで母子の命を守る活動を広げるためマンスリーサポーター募集中です!
①最新の年次報告書、活動報告会にご参加頂けます。
②月に一度、限定メールマガジンをお送りいたします。
③マンスリーサポーター限定グループへのご招待、
④あおぞらの活動に合わせて、カンボジアのGRAPHIS小中学校、サンブール保健センターを現地で見学いただく事ができます!
クラウドファンディング挑戦中!ご支援、シェア、リツイート等、有形無形に関わらず
ご協力頂ければ誠に幸いですm__m