葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

アフリカンマッサージと妊産婦死亡の3つの遅れ。 2018年4月30日

 

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まず、思ったのは、正直なところ、タンザニアってどこ??

 

 

である。

 

 

 

 

南半球、東アフリカに位置し、インド洋と接している。かつてイギリスの植民地だった様だ。

 

ザンジバルタンザニアの一部で、世界遺産ストーンタウンがある、有名なリゾート地だ。

 

 

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1ヵ月じゃ足りない!?ずっといたくなる街 ザンジバル(タンザニア)|COLUMN | MOTHERHOUSE MAGAZINE

 

 

(見てるだけで、行ってみたくなる!!!・・・視察や仕事など多すぎていける訳もなく・・・がーん)

 

 

www.mofa.go.jp

 

外務省のホームページを参考にすると

 

 

 面積は日本の約2.5倍

 

 

 

人口は約5600万人ぐらい

 

 

 

 

首都はなんだかややこくして

法律上の首都はドドマだけど

 

 

事実上の首都機能を有し,経済面でも中心となっているのはダルエスサラーム

 

 

となっている。

 

 

ダルエスサラームって、最近ようやく耳になじんできた・・・

 

 


民族は約130あり、多彩な言語はあるが、国語であるスワヒリ語は皆話せるという。

 

 

英語も役人や医師などは話せる様だ。

 

 

 

宗教はイスラム教(約40%),キリスト教(約40%),土着宗教(約20%)

 

 

 

治安も外務省のレベル1 十分注意程度で、それほど危険ではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

がっ

 

最近、こんなニュースもあるので、まずは公衆衛生的にも適切な情報集、報告を

タンザニア政府にして頂きたいと思います・・・

 

www.jiji.com

 

 

 

 

 

タンザニアダルエスサラームまでは、成田国際空港関西国際空港からエミレーツ航空(ドバイ経由)や、羽田や成田からカタール航空(ドーハ経由)で約24時間かかる。

 

 

最近、オンラインでビザが取得できる様になりました。

 

eservices.immigration.go.tz

 

 

 

 

2018年4月29日当時は、そんなものはなく、アライバルビザで1時間程度格闘した。

 

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午後4時ごろに、タンザニアダルエスサラームに長時間フライトで腰がバキバキになり到着した。

 

この日は、首都にあるホテルで一瞬だけ優雅なひと時を過ごさせて頂き。

 

 

 

翌日2018年4月30日に、建設予定地であるクエディモマ地区に首都ダルエスサラームから10時間ほどかかる道のりを出発した。

 

 

約4時間ほど、中継地点であるハンデニまではアスファルトの快適な道路だったし



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途中で、サルに遭遇したり、とても快適だったけれど。

 

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建設予定地のクウェディボマまで、中継地点でもあるハンデニを過ぎると道が劣悪になる。

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ワールド・ビジョンタンザニアのスタッフの方が

 

車内で頭と手をぶつけながら、小刻みにシェイクする僕をみて

 

「Dr Hada、イッツア、アフリカンマッサージ!!」

 

と言って元気をつけようとしてくれた。

 

 

 

 

 

道路が劣悪、そんな事、昔医療とは何ら関係ないと思っていたけれど、妊産婦の方や急病の時に、道路の道が整理されているか、移動できるかは直接医療と関係しているのだろう。

 

 

 

発展途上国の妊産婦死亡には、3つの遅れが関係していると言われている。

 

 

1.決断の遅れ

女性の社会的地位が低く決定権がないために、体調が悪くなっても、異常に気づいても、夫や家族の誰も病院や診療所に行くかどうかの決断ができないまま、手遅れとなってしまうことがある。

 

2.搬送・アクセスの遅れ
病院や診療所までの距離が遠く徒歩ではたどり着けない、代わりの交通手段もないという地域がたくさんあり、仮に交通機関があっても、料金を払えないケースもある。


3.治療の遅れ
やっとの思いで病院や診療所に着いても、適切な治療が受けられないことがある。
帝王切開などの手術や輸血が必要でも、必要な機材や医薬品が不足していたり、専門の医師がその場にいないことがある。そもそも、必要な医療費が払えないこともある

*1

 

 

 

 

 

道がガタガタ、雨季で利用できないなど、道路の環境は、医療と密接に関係している。

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、ヘロヘロになりながら、NPOあおぞらのスタッフの近藤とゲストハウスに到着した。

 

 

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当然の様に、シャワーや水はでないので、午後9時に薪の匂いがついたお湯が配られる。

 

 

 

リアルに100度近くあるので、冷めるを待って、小さ手桶で掬いながら、体を洗う。

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日本から24時間かけてタンザニアの首都、ダルエスサラームに着き。

 

そこから、10時間近くかけて、なんとか建設予定地であるクウェディボマの近くのゲストハウスに、腰がバキバキになって到着した。

 

 

ベットに入ると、全身に、お湯にしみつていた薪の匂いがした。

 

 

 

寝る前になんだか知らないけれど、自分はアフリカに来たんだと、笑った。

 

 

 

泥の様に眠り、明日の視察に備えた。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

経費を除き、NPO法人あおぞらを通じて、印税全額をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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葉田さん、タンザニアのクウェディモマ地区はどうでしょうか。 2018年2月

  


 

 

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小学生1年生の時に、国境なき医師団の活動を見た。

 

 

餓死している子供たちをみて、聴診器をあてている医師の姿をみて

 

 

いつか、自分もこんな活動をしてみたいと思う様になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっとあの時に見たテレビを20年以上、心の隅っこで思い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、医大に入り、カンボジアと出会い、本を出版させてもらい、映画にして頂き、新生児を亡くしたお母さんと出会い、長崎に行き、僻地で働かせてもらい、ワールドビジョンさんと出会い、NPOをつくり、カンボジアのサンブール保健センターを新設し、小児科の嶋岡先生と出会い、新生児蘇生法講習会をして、なんとか数字上も結果がでて

 

 

 

そんなすったもんだがあった。

 

 

 

 

3年半前、2016年5月に、ワールドビジョンの谷村さんに、夢をかたった。

 

 

 

「いつか、カンボジアの事が上手くいったなら、アフリカに対しても医療支援させて頂きたい。」

 

 

 

 

実際は、そんな事を忘れるほど、2年間かけたカンボジアのサンブール保健センター建設は大変だったけれど。

 

 

 

 

 

自腹をたくさんきり、色々な人に迷惑もかけながら、それ以上にたくさんの方にご協力頂き、カンボジアのサンブール保健センターのプロジェクトが落ち着いた、2018年2月頃に、国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンで会合を行った。

 

 

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病院、スタッフ、医療技術、医療機材があっただけでは、結果はでない。

 

 

教育、水衛生、貧困、保健ボランティアの要請、行政との結びつき、そんな複合的な要素にアプローチしなければ、病院を建てたところで意味がない。

 

 

そして、そんな膨大な多様な支援をされている国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンさんと一緒に活動できたからこそ、成り立ったプロジェクトだった。

 

 

突然、今回のタンザニアのプロジェクトがでた訳ではなく、2016年春の出会い、電話から一歩ずつ、信頼を得られる様に、時々色々な事がありながらでも、一緒にゆっくり歩かせて頂いた。

 

 

 

「お母さん、赤ちゃんを失い泣いている人の涙をとめたい。」

 

 

そんな非科学的なことを達成するためには、

 

 

科学的にロジカルに、現実的に、考える。

 

 

ひたすら、結果がすべてだと、言い聞かせて、自分のやりたくない事もやる。

 

医師として、できる事があればやるし、できないなら、誰かにプライドを捨てて頭を下げにいく。

 

 

 

そんな思いを達成するために、国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンさんが支援されていた、タンザニアのクエディモマ地区が支援の候補地に挙がった。

 

 

タンザニアの保健状況をみると、

 

妊産婦死亡 398人/10万人(日本の100倍)

*UNICEF:Maternal and Newborn Health Disparities

 

 

 

さらにJICA保健セクター情報収集・確認調査・保健セクター分析報告書(2012)を参考にすると、

 

妊産婦死亡の内訳は、2011 年の国連児童基金UNICEF)のCountry Profile 2010 [14]によると、産褥出血 (34%)、高血圧( 19%)、他の直接原因(11%)、敗血症(9%)、先天性疾患(1%)、間接的原因(17%)、 中絶(9%)となっており、産褥出血、高血圧による妊娠高血圧症候群妊娠中毒症)、敗血症など、医療施設での出産ならば死に至ることが予防可能な原因による死亡が全体の 60%を占める。 

 

 

保健人材も少なく、定着率も極めて低い 医療施設へのアクセスへの障壁:「治療費を捻出できない(24.1%)、「施設までの距離(19.2%) 「医療施設に行くのに許可を取ること」は2.4%のみ

 

 


PHC サービス供給の要の施設であるヘルスセンターの数が、他の施設に比べ圧倒的に少なく、一つの県 に対し、ヘルスセンターが 4 施設程度しかない計算となる。タンザニアの総人口推計が 43,739,000 人 (2011 年)であることから、1 つのヘルスセンターがカバーする人口が、単純計算では、96,700 人程度 となる。タンザニアPHC サービス供給施設の数が大きく不足していることがわかる。 

 

 *JICA保健セクター情報収集・確認調査・保健セクター分析報告書(2012

 

 

 

 

ヘルスセンターに置き換わる、適切な日本語がほとんどない。カンボジアタンザニアではヘルスセンターの規模もカバーする人口も全く違う。

 

 



カンボジアは8000人規模、今回はタンザニアで5万人、。

日本でいえば、二次救急、市中病院クラスの公的医療施設を、タンザニアの僻地に新設する事になる。


「きっと、大変だろうなぁ。」


当時、僕は漠然と思った。

 

 

 

 

大変だろうなぁと思っていたけれど、今思えば、ほとんど分かっていなかった。

 

 

すべてにおいて、余裕がなかった。

 

 

2018年春~2019年12月にかけて、ラオスカンボジアタンザニアの活動、メンバーの入院、クラウドファンディング、本出版などもあり、NPOあおぞらの活動もアップアップした。

 

 

 

 「きっと、大変だろうなぁ」

 

 

 

そんな思い以上に何倍も大変な、忘れられない2年間がスタートした。

 

 

 

2018年5月に、僕と近藤でタンザニアへ視察させて頂く事となった。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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16歳で学校に行けなくなったあなたと僕へ。東京イベント終了。

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昨日、東京で「僕たちはヒーローになれなかった」出版記念のイベントがあった。

 

 

aozorasaisho.peatix.com

 

 

設営でアタフタしながら、なんとか開場し、先に税所 篤快(特例認定NPO法人 e-Education創業者)君にご講演頂いた。

 

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税所くんの講演をはじめて、拝見したんだけど、まぁすごかった。

次から次へと、行動に起こしてそれを実現していく。

そして、25歳までの事、それからの事、その悩みを等身大で語ってくれた、その姿になんだか、税所くんの事がもっと好きになった。

 

 

余計なお世話かもしれないけれど、税所くんも色々考えている。

僕も30歳の時に、散々悩んだ。

30歳前後は、そんな時期なのかもしれない。

 

 

 

良い時は、たくさんの人が来る。

悪い時は、多くの人が離れていく。

 

 

けれど、その中でも、離れない人がいる。

 

色々な方に感謝しているけれど、その時にそばにいてくれた人は、本当に感謝している。

 

だから、僕は、税所くんと講演がしたかった。

 

 

良い時じゃなくて、悪い時に、側にいる人間になりたい。

 

 

税所くんは、これからも何かをする人だ、それは大小に関わらず、きっと誰かを笑顔にしてくれると、僕は今も思う。

 

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続いて、僕の講演の番になった。

 

相変わらずだった様に思う、その場その場で思いつく言葉を話した。

 

ただ一つ違ったのは、中村哲先生へ黙祷を捧げて、中村先生のほんの一部の意思を

誰かに伝えていこうと思った事だった。

 

 

 

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アフタートークでは、この日のために、愛媛から講演のために来てくれた方がいた。

 

 




ちょっと、個人情報もあるから、事実を少し変えるけれど。

 

 

 

家庭内で暴力があり、中学に行けなくなり、愛媛を飛び出し、関東でマックの790円のバイトをしながら

 

シェアハウスで暮らしている16歳の男の子がいた。

 

 

 

 

打ち上げで一緒にウーロン茶をすこし一緒に飲みながら、自分の高校時代を思い出した。

 

 

 

僕は高校時代、友達が一人もいなかった。

 

 

 

今思えば、僕がほとんど、悪かったんだけど、関西学院という大学までエレベーター式の学校で、医学部を目指していた僕は、なぜか周囲となじめなかった。

 

 

休み時間は、いつもヘッドホンをして、音楽を聴いて

 

フロイトとか、アランとか、ラッセルとか、中島らもとか、ウィリアム・バロウズとか、カフカとか、サリンジャーを分かった様な気になって読んでいた。

 

 

 

 

高校生時代は、めんどくさい、からみたくないやつMAXだった。

 

 

 

別に誰のせいでもなく、当時の自分のせいなんだけど、当時は自分なりに辛かった。

 

 

 

誰も友達がいない高校生活は、いつも空を見上げて、音楽を聴いて、監獄にいる様だった。

 

 

高校をやめるわけにもいかず、鳥かごの中で生活している様だった。

 

 

 

時々お腹が痛くなった。学校も休みがちになって、具体的な数字は覚えてないけれど、50日ぐらい年間休んで、内申書もたしか、2.4だった。

 

 

 

医大生時代に仲良かった、佐野ちゃんにその話を言っても信じてくれなかった。

 

 

医学部に入学する人はほとんど、内申書は4以上ある。

 

「いや、医学部入ったのに、内申書2.4はないw」と信じてもらえなかった。

 

 

 

おかげで、自分のせいだけど、入試の時にだいぶ苦労した。

 

 

 

 

その時、高校の先生に言われた一言が、僕は強烈に覚えている。

 

 

 

「葉田な、おまえ学校よく休むけど、世の中いったら、社会人になったなら、今の何倍も辛い事あるからな。」

 

 

高校生だった、僕は、世の中が地獄に思えた。

 

 

 

誰も友達がいない、学校でもほぼ空気の様におしだまり、1秒1秒過ぎていくのを祈る様な気持ちだった僕は、大人になる事が恐怖になった。

 

 

 

 

でも、出版イベントで、昨日であった16歳に伝えたい事が、あった。

 

 

 

自費出版した時に、何度も何度も怒られながら、書店員さんに頭を下げた。

 

カンボジアの小学校建設の時に、偽善者とののしられた。

 

医師国家試験の勉強しながら、ドキュメンタリーつくって、全ての時間をつかって本を書いた。

 

 

地域医療で火曜日と木曜日しか家に帰れず、週100時間以上働いた事があった。

 

40時間以上一睡もできず、フラフラになりながら、働いた時があった。

 

 

タンザニアの新病院プロジェクトで、圧倒的な仕事量で、夜ほどんど寝れない時があった。

 

 

 

どれも、大人になりしんどかったけれど、高校時代の悩みや、苦しさに比べたら、明らかに楽だった。

 

 

 

 

逃げ場所もない、居場所ない、光も見えない苦しさに比べれば、社会人になって身体的には色々辛かったけれど、あの時の比べると楽だった。

 

 

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悩んで悩んで、学校を辞めた16歳の男の子がいた。

 

 

 

今なら、言える気がする。

 

 

 

社会人の方が、学生より苦労しているだなんて、言い切る事はできない。

 

 

 

 

 

そんな事を彼に伝えると、彼は言った。

 

 

 

少年「地元で、中高生のためにプログラミングを教えたい」

 

 

葉田「おー、それいつにする?」

 

 

 

少年「・・・・・うーん、じゃあ二月で」

 

 

 

葉田「五月に愛媛で講演があるから、その時に、じゃあどうなったから聞くからね!」

 

 

 

 

その後、少しだけ彼の目標をかなえるために、どうすればいいか一緒に考えた。

 

 

 

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関西学院高等部だった16歳の僕が、今の自分をみたら、どう思うだろうか。

 

 

大学で友人がたくさんできた、

 

NPOをつくった、本を3冊書いた、医師となり診療させて頂いた。本が映画になった。ドキュメンタリー映画をつくった、アフリカに支援を開始した。

 

 

 

今の僕は当時からしたら、信じられない場所にいる。

 

 

1日頑張っても何も変わらないかもしれない、。

1年頑張っても何も変わらないかもしれない。

だけど、5年頑張れば、きっと人生を大逆転できる時がある。

今では考えられない場所にいけるかもしれない。

 

 

 

 

だから、僕は彼を応援する。

 

学校辞めた事に対して、色々言う人がいるかもしれない。

 

 

99%の人が笑ったとしても、僕は彼の未来を信じたい。

 

 

時間をかければ、今からは考えられない場所に行けるかもしれないから。

 

 

 

頑張れ、負けるな。

 

 

 

またどうしたらいいか一緒に考えよう。

 

 

 

 

 

 

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なんだか、話が重たくなってしまった。どこにも言ってない話を書いてしまった。

 

 

 

 

明日からもうちょいライトなやつを書きたいと思います。

 

 

協力頂いたすべての方々ありがとうございました!

 

 

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『僕たちはヒーローになれなかった。』
目標10万部!出版記念 47都道府県全国ツアー 第1弾

葉田甲太(医師 NPO法人あおぞら代表)× 税所 篤快(特例認定NPO法人 e-Education創業者)
ー大人になった僕たちの今。 国際協力×本出版ー

日時:12月6日(金)18時30分~20時30分

場所:東京・入谷
   SOOO dramatic!(ソードラマチック)
   http://sooo-dramatic.com/

ポスターカード・写真提供:NPO法人あおぞら理事中西貴大
47都道府県「僕たちはヒーローになれなかった」出版ツアーメンバー:寺村 ひろか
当日スタッフ:鈴木さえみ 吉盛絵里加 大竹恵実 
Thanks: 税所くん 来場者のみなさま

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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大人になった僕たちは。カンボジア病院建設編、終了。

 

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当たり前だけれど、ここに書いた事は一字一句僕が書いた。でも、その内容のほとんどは、日本やカンボジアで、NPO活動を通して出会った方、指導してくださった先生、診させて頂いた患者さん、関わって頂いたすべての方が、僕に教えてくれたものだ

 

 

 

まだまだ自分自身も成長していかなくちゃいけない。今でも日夜頑張っている医療者の方を考えると、とても大それた事を書いたかもしれない。

 

 

 

有名になりたい気持ちになんて、本当はない。臨床医として有名になる事にほとんどメリットはない。でも、誰かに何かを伝える、ファンドレイズの観点から、ある程度こうやって本を書いたり、ピエロかもしれないけれど、世にでる事も必要な部分もあるのかもしれない。

 

 

 

NICU、僻地医療など、医療者の先輩方のある意味ワーキングバランスを無視した働き方で、命や健康を守ってこられた方がいた。

 

 

 

やっぱり僕は、その人たちに、頭が上がらない。珍しい事をやっているが故に、時々すごいといわれるけれど、そんな先輩方の事を考えると、僕はまだまだ足元にも及ばない。

 

 

 

 

個人的な思いを言わせてもらうと、正直なところ、ガッカリされるかもしれないけれど、本当は自分は国際協力をしているという感覚も、世界を良くしようとか、そんな崇高な心はない。

 

 

 

 

ただ目の前に困っている人がいて、出会って泣いている人がいて、その人の力になれたら、何か嬉しいなと思って、涙を止めたいと思って、日本やカンボジアで、働いている。

 

 

 

普段、僕は10ヶ月ほど日本の僻地などで働かせてもらい、2ヶ月ほどNPO活動をやらせてもらっている。

 

 

 

 

僕の今の日常を円グラフにすれば、臨床医、NPO活動、家族との時間の3つしかほぼ項目がでてこない。皆が羨むキャリアではないかもしれない。それでも僕は、僕でとても満足している。

 

 

 

綺麗事かもしれないけれど、やっぱり人が笑顔になった瞬間が、僕は好きだ。

 

 

 

そんな瞬間をつくれる様に、まだまだ努力が必要だけれど、頑張ってみたいと思う

 

 

 

そんな思いを教えて頂いたすべての方に、感謝します。

 

 

 

僕の事を嫌いな人がいたしても、その方にも感謝します。こうやって何かのきっかけで、知ってもらえただけでも、意味がある様な気がするから。

 

 

大人になった。おじさんになった。お腹もでてきた。あつい事も言わなくなった。難しい事もたくさん覚えた。

 

 

それでも、僕は、僕たちはやっぱり、誰かの笑顔がみたかった。

 

 

 

そして、それ以上に嬉しい事など、ありそうな気がしたけど、やっぱりあんまりなかった。

 

 

 

読んでいただき、どうもありがとうございました。普段の僕は、ここに書いた様な事はなんだか恥ずかしくて、こんな事言わない。どこかで出会ったら、その時はどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

元気にしてますか?未だに僕はあの日と変わらずに、こんな事をやっています。無責任だけれど、あなたの人生が、幸せであります様に。

どうも、ありがとう。

 

 

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そして、今日、「僕たちはヒーローになれなかった」の出版記念イベントが東京である。

 

aozorasaisho.peatix.com

 

満員御礼です。ありがとうございます。

 

 

 

そして、お亡くなりになられた中村哲先生に、大変恐縮ながらコメントをださせて頂きました。

www3.nhk.or.jp

 

 

 

辛い事がある、未来が明るいかなんて誰にも分からない。

惨めで哀れなこれからが待っているかもしれない。

 

それでも、これから素晴らしい未来が待っていると信じたい。

信じるかどうかだけは、自分で決められる事だから。

 

 

 

 

 


NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語

 

 


 
向井理主演『僕たちは世界を変えることができない。』から8年後
映画化後、有名人の様にチヤホヤされて一方で
建設したカンボジアを再訪すると、生後22日目の赤ちゃんを亡くして泣いてるお母さんがいた。
 
自分の無力さ、偽善、キャリアや、収入、なぜ僕たちは働いているのか?
本当の幸せ、自分らしい人生と向き合いながら
カンボジアに病院を建設し、世界の果てに医療を届ける活動を広げるまで。

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自分の力は微力でも、力を合わせれば、自分たちだけの力だけじゃなく影響を受けて頂いた方まで含めれば、世界は少しずつ良くなっていくんじゃないか。


そんな願いや、夢を込めて、この本を出版しました。

 


印税は、NPO法人 あおぞら を通してタンザニア新病院プロジェクト、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動、ラオスの新生児蘇生法講習会に使用させて頂きます。


誠に恐縮ですが、ご購入頂けると大変幸いです。

お忙しい中読んで頂きありがとうございました。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

peraichi.com

 

 

カンボジア病院建設 その後。 2018年10月18日

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医学は科学だから、論理的に数字で示さなきゃいけない側面がある。

 

 

お腹が痛い患者さんがいたら、可愛そうだなぁ楽にしてあげたいなと思う気持ちと、胆嚢炎だろうか腸閉塞だろうかと、冷静な科学的な気持ちと、片方ではなく両輪がきっと大切だ。

 

 

「色々言っているけど、結局実際に、赤ちゃんは救えているのか?」

 

 

「自分がやった事は、意味があったのだろうか?」そんな根本的な疑念は建設後も自分の頭から消える事はなかった。

 

 

2018年10月18日、開院式から概ね半年後に、建設したサンブール保健センターを再訪した。

 

 


病院の新設、水衛生設備の整備を通して、 2017年と2018年2~7月の半年の期間で比較すると、外来患者数は3903人から5209人と1306人増加し、分娩数は22人から40人と約2倍に増加し、ワクチンの摂取者数も約1.3倍と増加した。

 

 


以前、赤ちゃんを亡くして泣かれていたお母さんも、新しい病院で無事に次の赤ちゃんを出産する事ができ、新生児仮死で産まれた赤ちゃんは講義で教えた新生児蘇生法により、救われた命もあった。

 

 

 

 



そして、これからも医療技術支援、病院の水衛生設備の改善など、裏方から現地で、持続的に、現地の方の手で、赤ちゃんの命が救われる様なお手伝いを、みんなで継続していきたいと思っている。

 

 

 

そしてGRAPHIS小学校の小学校検診、2歳以下のちゃんを持つお母さんへの栄養指導も助産師さんと続けている。

 

 

 

もし「葉田おまえのやっている事なんて、全く意味ないよ。」と言われたら、今なら言える気がする。

 

 

 

 

 

 

多くはないけれど、少なくとも一人以上の赤ちゃんをみんなの力で救えたのは事実だから。一人の命が救われて、全く意味のなかった事なんてはきっと、絶対ないだろうから。

 

 

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(2018年に新しい保健センターで 無事に双子の赤ちゃんが生まれました)

 

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 (赤ちゃんを亡くしたご両親は新しい命を、新しい保健センターで安全で出産する事ができました。)

 

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

 

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亡くなった赤ちゃんとお母さんが教えてくれたこと。 2018年10月20日

 

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開院式の後、ワールドビジョンスタッフ、支援者のみなさんと一緒に、カンボジア名物の焼き肉を頂いた。

 

 

 

なぜか分からないけれど、そのレストランで、ギターをひきながら、嶋岡先生と「青空」を音程を外しながら熱唱した。講習会や開院式が一応うまくいって、お互いタカが外れた様だった。ツアーの参加者にはプロのドラマーの方もいて、むちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 

 

よく分からない飲み会の次の朝、午前4時に起きて、2006年に建設したGRAPHIS小学校に向かった。

 

 

 

今回の開院式のツアーに参加して頂いた方からは、「普段の私たちの暮らしとの違いにびっくりして、衝撃を受け人生が変わりました。」とか「諦めかけていた助産師の夢を追ってみようと思います」等の嬉しい感想を頂いた。

 

 

4時間ほどバスを走らせると、午前10時頃にコンポントム州にあるGRAPHIS小学校に到着し、衛生指導を子供たちに行った。

 

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建設した小学校では、今も子供たちが通っていて、日本の支援者の方が楽しそうに綱引き等のアクティビティを通して、笑顔で交流してくれていた。

 

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騒がしい声が小学校に響いていた。

 


2005年4月、大学二年生の時に、渋谷の郵便局で「150万円あれば小学校が建ちます」とのパンフレットを見つけ、人生が良いか悪いかは今となっては、よく分からないけれ

ど、それまでの人生が僕なりには変わっていった。

 

 

カンボジアと出会うまで、僕は普通の人生を歩んできた様に思う。何が普通かは難しいけれど、少なくとも何かで一等賞をとった記憶もないし、


何か特別秀ででいる事もなければ、特殊な経験もしてなかった様に思う。

 

 

 

 

 

2014年、小学校の継続支援を続けていた時に新生児を亡くしたお母さんがいた。また、そんなお母さんとの、出会いから人生が変わっていった。カンボジアに小学校を建てて、その本が映画になり、色々あったけれど、一方では生後22日目に亡くなっている方がいた。

 

 

 

 

4年間、自分なりにガムシャラに行動したけれど、もっとすごい人なら大きなアウトカムをだせた方もしれないし、もっとスマートに行動できたかもしれない。

 


建設した小学校には、たくさんの子供たちが集まってくれていた。

 

 

与那国島で出会ったミクさんを中心に、開院式のツアーの参加者と、小学校の子供たちに手洗い指導を行った。

 

 

手洗い指導の一貫で、小さい子供たちにも必要性を分かってもらえる様な寸劇をまずは行う事になった。

 


子供たちの前で、奮闘するミクさんを見ながら、きっと、良いお医者さんになって、たくさんの患者さんを救ってくれる。医師でなくても、将来きっとたくさんの人を笑顔にしてくれる。

 

 

 

そんな思いで、日本から持ってきた白衣と聴診器を、手洗い指導の時にミクさんに貸した。

 

 

 

 

ミクさんは、「やばいです」と照れていた。

 

 


寸劇では、たくさんの子供たちの、笑い声が聞こえていた。

 

 

 


そんな声を聞きながら、小学校の近くの、生後22日目で亡くなった赤ちゃんのお墓に手を合わせた。

 

 

 

 

 

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22日間の人生は、どうだったでしょうか。

 

 

少しでもお母さんに抱っこされて、幸せだったでしょうか。

 

 

もう少し長く生きたかったでしょうか。

 

 

20才の時に、渋谷の郵便局でパンフレットをみてから、まさかこんな人生になるとは思ってはいませんでした。

 

29才の時に、お母さんに出会いました。

 

 

人を幸せにすることは、とても難しい事です。

 

 

人の幸せは、もちろん人それぞれです。

 


ただ一つだけ確実だった事は、お母さんは、ワンワン泣いていました。

 

 

話をされる時、ずっと泣いていました。

 

 

 


お母さんの涙を減らせるように、救える「命」をすくえる様に

 

 

僕だけの力じゃ、到底無理だけれど、力を合わせて、これからも続けていこうかなと、思います。

 


そんな事をしても、意味ないよと笑う人がいるかもしれないけれど

 

 

どれだけ、小さい行動だったとしても、日々の日常の中でも、目の前の人なら、きっと笑顔に貢献できる事もあるのかもしれません。

 

 

世の中には、いろいろな価値観があって、人それぞれの幸せがあります。

 

 

 

高級料理を食べたら、嬉しいし、きっと幸せな気持ちになれます。

スポーツカーに乗れたら、幸せな気持ちになれるかもしれない。

 

 

 

でも、そういった種類の別の、幸せがある様な気がします。

 

 

医療的な、国際保健の難しい話なんて、すべて置いておいて

 

 

泣いていた人が、笑ってくれた時に

 

 

辛かった人が、笑ってくれた時に

 

 

 

時々だけれど、生きていてよかったなと思う時があります。嬉しくて涙がでそうな瞬間があります。

 

 

 

変な笑顔がとまらなくなる瞬間があります。

 

 


その瞬間は、いつも、自分ができることで、人が笑ってくれた事で、誰かがそばにいた時でした。

 

 

 

もうおじさんになって、経験も知識も増えて、お腹も少しでてきて、色々な幸せも俗物的な幸せも正直増えましたが、でもやっぱり、そういった種類の幸せは、あまり変わりませんでした。

 

 

 

綺麗事だと、中二病だと、イタイ奴だと笑われたって、そんな瞬間は、やっぱり変わりませんでした。

 

 

 

世界なんてものは広大で、国も、地域ですら変える力は僕にはないかもしれません。

 

 

 

それでも、日常の中で、たくさんの思いをこめれば、それをみた人が、何かを感じて行動してくれる事を

 

 

離島で出会った中学生が、もう一度僕に教えてくれました。

 

 

 

そしてそんな大切な気持ちを、もう一度、あなたや、あなたのお母さんが、色々な経験を通して、教えてくれてくれました。

 

 


自分の能力に限界がある事も知っています。自分自身がこんな偉そうな事を言える立派な人間ではない事を、矛盾を抱える存在である事も知っています。

 

 


でも、こんな事を、伝えていこうと思います。

 

こんな文章でも、楽しみにしてくれている人が、一人はいるだろうから。

 

 

 

どこかの学校で、どこかの病室で、どこかの会社で、何かを感じてくれる方が、一人いるかもしれないから。

 

 

その一人が、何かを変えてくれるかもしれないから。

 

 

恥をしのんで、そんな活動を、やっていこうと思います。今は、アフリカの病院建設プロジェクトの話をでています。

 

 

 

大変そうだけれど、色々な人が色々な事をいうけれど、

 

 

生きたくても、生きられなかった人に比べれば、僕の苦労など、足元にも及ばないだろうから。

 

 

 

そして、そんな生き方が、本当は、自分がなにより、幸せな気もするから。

 

 

 


その時まで、やっぱり僕は、笑われても、真剣に生きてみようと思います。

 

 


大切な事を、教えてくれて、どうも、ありがとうございました。

 

 

笑顔を、みんなのチカラでつくれる様に、頑張ってみます。

 

 

どうもありがとう。

 

 

おそらく、50年もしないうちに、そっちにいきます。

 

 

 

いつか会ったら、その時は、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

小さかった頃に医者さんになろうと決めた、お医者さんを目指した大切な気持ちを、思い出させてくれてありがとうございました。

 

 

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

カンボジア保健センター継続支援、栄養指導、検診活動、タンザニアでの5万人の命を守る新病院プロジェクト、JICAと連携したラオスでの新生児蘇生法講習会等、母子の命を守る活動を広げるためマンスリーサポーター募集中です!

 

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僕たちは一体何のために働いているのだろう? 2018年2月11日

 

 

 

 

 

 

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開院式の後、現地の助産師さん向けに、カンボジアの新生児死亡のおおよそ四分の一を占めている新生児仮死に対応するための講習会が行われた。

 

 

 


生まれた時赤ちゃん10人のうち1人は、吸入や刺激、人工呼吸などの処置を要する。それに対応して頂くために、現地のプロトコールに合わせた研修を行う事となった。

 

 


受講者の方が、知識を得て理解して、行動を変えて頂いて、赤ちゃんの命を救うまでがゴールだ。

 

 

その達成のために、教育学にも精通した経験もある先生じゃないと、僕では全く太刀打ちできない。

 

 

 

日本の新生児蘇生法を長年教えている、小児科医の嶋岡先生にお世話になる事になった。

 

 

 

そもそもこの講義を作る事自体が、大変だった。

 

 


現地の方は、クメール語しか話せない。スライドを一旦英語にして、またその英語をクメール語にする翻訳作業、分かりやすい様に図面やイラストを作成する事、現地のプロトコールに合わせた新しい新生児蘇生法講習会をつくる必要があった事、何人もの医師や関係者に関わって頂き、ようやく、この講習会を行う事ができた。

 

 

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開院式を終え昼食を食べた後、新設された病院の一階部分で、即席のスクリーンにクメール語で書かれたパワーポインターが投影され、まず嶋岡先生から、生まれた赤ちゃんに対して、どの様な処置をするか、座学の授業があった。

 

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その後、バックマスク換気の練習、赤ちゃんが生まれてから蘇生までの流れを、シュミレーションを現地の助産師さんと共に、勉強した。

 

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当初は8名ほどを予想していたが、噂を聞きつけた近隣の助産師が当日飛び入り参加して、受講生は20名ほどに膨れ上がった。

 

 

 

既存のサンブールでは、蘇生の道具も壊れていて、10年を越える臨床の中で、助産師さん達はバックマスクによる人工呼吸の経験が一つもなかった。

 

 

 

 

嶋岡先生のおかげで、座学も、シュミレーションは多いに盛り上がり、皆真剣に学んで下さっている様に見えた。

 

 

 

 

 

すべてのプログラムを終え、夕方になった時、嶋岡先生の顔が少し引き締まり、講習会のクロージングをはじめた。

 

 

 

 

なぜ、新生児蘇生法を行うかという、質問が発端だったと思う。

 

 

 

その関連の中で、新生児蘇生法を辞めていい基準、つまり赤ちゃんが亡くなったと判断し医療的な処置を辞める基準を、現地の助産師さんに質問していた。

 

 

 

残念ながら、心臓マッサージや、人工呼吸をしても助からない赤ちゃんがいる。その辞めていい、科学的な基準はどこにあるか、ただそれを知っているか、問いたいのかとその時僕は感じた。

 

 

 

現地の助産師は、パラパラ手を挙げて、答えた。

 

 

「20分蘇生してダメだったら、諦めます」「人工呼吸が・・・「心拍数が・・・」などの答えがでたが、その答えを嶋岡先生は黙って聞いていた。

 

 

 

 

現地の助産師さんも、僕も意図が読めずに、困惑した。

 

 

 

嶋岡先生は、さらに聞いた。

 

 

 

「もし自分で生んだ赤ちゃんが20分蘇生法を行って、反応がないから辞めますと言われれたら、納得して同意しますか?」とも聞いていた。

 

 

 

 

 

 

現地の助産師さんからは、「いや、続けて欲しい。」「20分たって心臓が動いていないなら諦める」等の意見がでた。

 

 

 

 

嶋岡先生は、またそんな、やりとりをじっと聞きながら、最後に口を開いた。

 

 

 


「確かに、赤ちゃんを見送っていい基準は20分と一部決められています。でも、その20分の中で、最善の準備をして、最新の知識を持って、その赤ちゃんの蘇生にあたったなら、僕はその赤ちゃんの命を見送れるかもしれない。だけど、それができていないのに、赤ちゃんを見送る事には、僕は賛成できない」

 

 

 

と、優しい顔をしながら、現地の助産師さんに伝えていた。

 

 

 

そして、座学とは違うスライドを使いながら、説明を続けた。

 

 

 

 

 

大きな構造物が空高く伸びている一枚の写真に、how high is it?と書いてあった。

 

 

 

 

「でも、そう言ったところで、実際に赤ちゃんを救うという行為は、どれだけ難しいのか、どれだけわたし達の目標は、実際に高いのでしょうか。」

 

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次のスライドには、広大な荒野の写真に、how far is it?と書いてあった。

 

 

「でも、実際に、赤ちゃんを救うにあたって、私たち医療者が身につけなくちゃいけない知識はどれだけ広いのでしょうか。」

 

 

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カンボジア人も、後輩医師二人も、僕も真剣な顔をして聞いていた。

 

 

次のスライドには、子供がイライラして、頭を掻きむしっている写真と共に
We are lost sometimes, conflict and drop of motivationと英語で文字が書いてあった。

 

 

 

「そんな高い目標や、最善の知識や最高の技術を身に付けるのは、もちろん大変でしょう。全力を尽くしても、結果がでず、ご家族に厳しい言葉を投げかけられる辛い瞬間もあるでしょう。私たちは、時々なぜかよく良くわからなくなって、モチベーションが下がりそうになる事も時々あるかもしれません。」

 

 

 


「そんな時は、どうか自分自身に聞いてみてください」

 

 

 

 

「What are you working for?(あなたは、何のために、働いているのか?)」

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のスライドでは、お母さんが赤ちゃんを抱きながら笑顔になっている写真が、うつしだされていた。そこには、This is what we are working forと書いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕たちが働いている意味は、僕たちが新しい技術や知識を身につけるのは、このお母さんと赤ちゃんや、家族の笑顔のためです。僕たちが働いているには、この笑顔のためです。もし、色々な困難な事があり、忘れそうになったら、どうか、この事を思い出してください。僕たちは、赤ちゃんやお母さんのために、技術や知識を身につけているんです。」

 

 

英語からクメール語に翻訳しながら講義をしていたにも関わらず、現地の助産師さんが、泣いている音がした。

 

 

 

 

最後に嶋岡先生が

 

 


赤ちゃんの命を救う事は、この国の未来を救う事です。だから、あなたたちの仕事は、この国の未来を救う仕事です。だから、僕はあなたたちの仕事を誇りに思います。一緒に続けて勉強して行きましょう。これからも赤ちゃんを救って下さい。」

 

 

 

 

と言って講義を終えられた。

講演の後、修了書を一枚一枚、現地の助産師さんにお渡しした。

 

 

 

ある助産師さんが、修了書を取りながら、一言言わせてくださいと話し始めた。

 

「遠いところからわざわざ教えに来てくれてありがとうございました。これから教えて頂いて技術や知識で、赤ちゃんの命を救おうと思います。」と泣きながら話してくれた。

 

 

その現地の助産師さんが、今までの辛い経験や、色々な事があって、泣いていたのかもしれない。

 

 

 

言語も経験も、プロトコールも違う中で、講演をしさらに、泣いている現地の医療者がいる。自分では絶対にできない講演だろうし、アンケートも併せると、その思いと技術が伝わった気もした

 

 

 

 

そして、嶋岡先生の

 

 

「あなたは何のために、はたらいているのか。」それは、自分自身にも問われている様な気がした。

 

 

 

 

そんな単純な事も、時々日々の忙しさで、実際は見えなくなる事があった。医学的な難しい方法論ばかり目について、それが目的化する事もあった。何のために働いているのか、何のために行動しているのか、「現実は・・・」「実際は・・・」「世の中は・・・」と何回も僕は言い訳をしたかもしれない。

 

 

 

でも、そんな難しい方法論の前に、僕たちはいつだって、患者さんの笑顔のために行動しているのだ。

 

 

 


そんな単純な事を、だけども本当は大切な事を、いつまでも覚えていたいと思った。

 

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 (写真の赤ちゃんは新生児蘇生法講習会に使用した人形です。)

【アンケート集計結果】
アンケート提出者 9名

A.参加者の背景
・何年、助産師として働いていますか
25,24,18,25,2,0.5,10,24,23(年)

平均16.83年

・出産にどの程度関わりますか
年に3-5回 1人、月に1度以上 6人、回答なし2人

B.講習
時間は適切か
短い 3人、適正 3人、長い 0人、回答なし 3人

内容は適切か
5,5,4,4,5,5,4,5,5
5点中 平均4.66点 中央値

C.スキルトレーニン
時間は適切か
短い 4人、適正 4人、長い 0人、回答なし 1人

内容は適切か
4,5,5,5,5,5,5,5,5
5点中 平均4.88点 中央値

D.シナリオトレーニン
時間は適切か
短い 4人、適正 5人、長い 0人

内容は適切か
5,5,5,4,5,4,5 回答なし2人
5点中 平均4.71点

E. 総合評価
講習参加前と講習参加後の自信度
講習参加前 2,2,2,3,2,2,3,3 平均 2.44
講習参加後 4,4,4,5,5,4,4,5 平均 4.44

平均2.00点の向上

・他の方に講習を推薦するか
5,4,4,4,5,4,4,5,5
5点中 平均4.4点

<コメント>
次のトレーニングを教えてもらいたい。
もっと実習の時間が欲しい。
看護師関係の新しい知識を教えてほしい。
新しい知識で赤ちゃんの健康を守りたい。

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

カンボジアラオスタンザニアで母子の命を守る活動を広げるためマンスリーサポーター募集中です!

 

僕たちはヒーローになれなかった。

2019年11月22日発売

印税は全額、カンボジアタンザニアラオスの活動に寄付させて頂きます。
出版社 あさ出版
発売日 2019年11月22日
価格 1430円
https://00m.in/5Eku6
 
 
 
向井理主演『僕たちは世界を変えることができない。』から8年後
映画化後、有名人の様にチヤホヤされて一方で
建設したカンボジアを再訪すると、生後22日目の赤ちゃんを亡くして泣いてるお母さんがいた。
 
自分の無力さ、偽善、キャリアや、収入、なぜ僕たちは働いているのか?
本当の幸せ、自分らしい人生と向き合いながら
カンボジアに病院を建設し、世界の果てに医療を届ける活動を広げるまで。

 

 

向井理さん推薦!
〜献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語〜
 


『僕たちはヒーローになれなかった。』
出版記念 47都道府県全国ツアー 第1弾
葉田甲太(医師 NPO法人あおぞら代表)× 税所 篤快(e-education創設者)
ー大人になった僕たちの今。 国際協力×本出版ー
12月6日イベント詳細

aozorasaisho.peatix.com

12月7日@大阪イベント詳細× 松本浩美(認定NPO法人Homedoor 理事 兼 事務局長)×座間慶彦(NPO法人 NGOクワトロ 理事 兼 事務局長/THE BONDS/株式会社DeNA

aozoraosaka.peatix.com

12月15日@東京イベント ×荒井昭則(NPOコンフロントワールド代表)
ー社会人になってもNPOを続けることー

peatix.com

12月21日@栃木イベント ×嶋岡鋼(新生児科医)

peatix.com

カンボジアの僻地に病院を建設し8000人の命を守りたい。 2018年2月11日 

 

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建設のお手伝いをさせてもらったサンブール保健センターは、カンボジア北西部のバンティメェイチェンイ州に位置している。

 

 

前日に、世界遺産プレアビヒアから新設した保健センターの最寄りのホテルまでに移動した。

 

 

カンボジアに到着した際に、開院式スピーチを、国際NGOワールド・ビジョンさんから、依頼された。
これが中々思いつかない。

 

 

到着してから、考える時間はかなりあったはずだけれど、夕食をすませ、時刻が深夜0時を回っても、どうしてもスピーチの原稿が思いつかない。

 

 

 

一緒に考えてくれていた、めちゃくちゃ優しい近藤ですら、さすがにこんな直前にもなって、まだ完成してないのかといった感じで、若干不機嫌になっているほどで、申し訳なかった。

 

 

通訳のブティさんや近藤と、その後も夜通し考え、午前2時頃、もう自分の気持ちに素直になるしかないと覚悟を決めて、朝方4時頃になって、原稿のスピーチをなんとか完成させた。

 

 

 

二時間睡眠で、午前6時に起床し、ホテルの横にあった中華料理屋さんで、朝食のフォーをたべ、サンブール保健センターにバスで向かった。

 

 

 

1時間半ほどすると、老朽化した保健センターの横に新築の保健センターが立っていて、村人が150人ほど集まってくださっていた。

 

 

 

保健センターの前で、バスから降りると、病院スタッフ、国際NGOワールド・ビジョンのスタッフ、村人など何人にも握手を求められた。

 

 

 

その中に、前回訪問時に。生後28日目の赤ちゃんを亡くした、29歳の両親がいた。お腹がふっくらしているので、どうしたんですかと聞くと、今新しい赤ちゃんがお腹にいて、この新しい保健センターで産むつもりだと、ありがとうとおっしゃってくれて、眠気も吹き飛んだ。

 

 

 

もうなんだか、ここで泣きそうになりながら、準備してくださった式典に出席するために、壇上に用意して頂いた席に腰掛けた。
開院式の参加者は200人を越え、盛大なものだった。

 

 

現地の保健省の副大臣も出席され、スピーチを30分ほどしてくださった。

 

 

 

カンボジアは、近年、与党が野党の代表を逮捕するなど、選挙で不正な動きがあり、政治的な問題を多く抱えている。

 

 

 

もちろん、本来なら医療に直接アプローチするより、そういった政治的な問題や、経済的な問題を直接解決した方がより良いアウトカムを、もたらせるかもしれない。

 

 

 

本当は医療よりも、政治や経済が世の中を動かしている事に自分だって気づいている。

 

 

そんな事が今すぐできたら、素敵だけど、そんな力が残念ながら今の自分にはないので、できる事をコツコツと進むしかない。嘆いて何もしないぐらいなら、嘆きながらでも、今できる事していたい、

 

 

 

 

色々な困難がある中、それでも自分のできることを、1mでも前に進めるたに、進むしかない。

 

 

 

厚生省の副大臣、尽力して下さったワールド・ビジョン・ジャパンの松岡さん、嶋岡先生、与那国島で出会った女子中学生がスピーチしてくださった。

 

 

 


よく晴れた青空だった。

 

 

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【開院式スピーチ】(全文)

 

チョムリアップソー(はじめまして)

 


クニョムチュモールコータ(私の名前は甲太です)

ソクサバーイ(元気ですか?)
(会場:ソクサバーイ)

 

はじめまして、僕の名前は葉田甲太といいます。


今日はお忙しい中お集まりいただき、本当に有り難うございました。


今日という日を迎えられたことをとても嬉しく思います。

 

たくさんの方のおかげで、ここに立っています。


なぜ僕がここに立っている少しだけ説明させてください。

 

僕は2005年に、あるNPOを通して、コンポントム州に小学校を建てました。

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それが、カンボジアとの出会いで、今も昔もカンボジアと言う国、カンボジア人が大好きです。

 

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2005年から、継続支援のためカンボジアに来ていましたが、2014年にあるお母さんに出会いました。

 

 

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そのお母さんは、生後22日の赤ちゃんを亡くしていました。
そのお母さんは赤ちゃんをなくした話をする時、ワンワン泣いていました。

 

 

僕は日本人です。
あなたたちはカンボジア人です。
信じている宗教とか、話している言葉も少し違うかもしれません。

でもそのお母さんの涙を見て、赤ちゃんを失った悲しみは日本でもカンボジアでも、世界共通なんだと、その時僕は思いました。

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自分の赤ちゃんをなくして、悲しくないお母さんはきっとこの世界にいません。
その涙を、ただ単純に減らしたいと思いました。

 

 

 

でも、そんな思いを持ち、色々行動しましたが、結局自分ではなかなかうまくいきませんでした。

 

 

 

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そんな時にワールド・ビジョン・ジャパンに出会いました。谷村さんという方です。
ワールド・ビジョン・ジャパン、国際NGOワールド・ビジョンのスタッフ、たくさんご協力いただき今回のヘルスセンター(サンブール保健センター)の建設がスタートしました。

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今回のプロジェクトを進める時も、また、赤ちゃんを亡くしたお母さんに出会いました。


今日も来てくれています。

やっぱりそのお母さんもお父さんもその赤ちゃんの話をするときには泣いていました。

 

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残念ながらその赤ちゃんが戻る事は現代の医学ではありえません。
だけど、その赤ちゃんが、僕に教えてくれた気がします。

その命を持って、次の赤ちゃんの命を助けてほしいと、僕たちに教えてくれたんじゃないかと僕は思います。

そんなお母さんや赤ちゃんの悲しみを減らすには、ヘルスセンターが建って終わりではありません。

ここに来ていただいた住民、ヘルスボランティア、ヘルスセンタースタッフ、政府の方、NPOの方、全ての方の力が必要です。

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ヘルスセンター建設のお手伝いをさせていただきましたが、僕はヒーローではありません。

ヒーローは、赤ちゃんの命を守る、ここにいる、全ての人たちです。
僕は、その中のたった1人にしか過ぎません。

 

 

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亡くなってしまった赤ちゃんがいます。

今、天国で僕たちを見てくれているでしょうか?

どんな気持ちで今見ていますか?

元気にしていますか?


今のこの景色はあなたが僕を通して作ったものです。

このヘルスセンターでうるさい位の赤ちゃんの健康の鳴き声が聞こえて、赤ちゃんを見て、お母さん、お父さんが笑顔になって、そして、兄弟、親戚が笑顔になることを僕は今夢見ています。


僕の事は忘れてもらって構いません。


村のみんなが健康に幸せに生きるサポートできたなら、僕は幸せです。

 

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僕自身が赤ちゃんの時、とっても体が弱くて、僕のお母さんは神様に頼むために何回も神社に行ったそうです。

そんな体の弱かった僕が今ここにいるのはそれはもしかしたら、神様が、僕を、産んでくれた意味なのかもしれません。
僕を産んでくれた神様と、母親にも感謝します。

そして関わっていただいたすべての方々に感謝します。

 

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あなた方の幸せと健康とそして涙が1つでも減ることを祈ります。
たくさん受診してください。健康診断にも来てください。

もう分娩中に天井が落ちることも、建物がグラグラゆれることもありません。

今日は赤ちゃんの命を救う技術を教える日本の偉い先生も教えにきてくれました。
そして変わらず素晴らしいヘルスセンターのスタッフの方々もいらっしゃいます。

だから安心して受診してください。
いっぱいきてくれますか?

ここのヘルスセンターが建つまでも、ヘルスセンターの人は一生懸命頑張ってきました。是非、今、拍手してあげてください。
(会場:拍手)

あなたたちが、笑って、それに健康に貢献できたなら満足です。
僕の人生の中でそのお手伝いをさせていただきありがとうございました。

あなたたちに涙ではなく笑顔が溢れるようになります。

そして亡くなった赤ちゃんたちが今、天国から笑顔で見てくれていることを望みます。

ソクサバーイ(お元気で)

オークン(ありがとう)

ソクサバーイ(お元気で)!

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

カンボジアラオスタンザニアで母子の命を守る活動を広げるためマンスリーサポーター募集中です!

 

僕たちはヒーローになれなかった。

2019年11月22日発売

印税は全額、カンボジアタンザニアラオスの活動に寄付させて頂きます。
出版社 あさ出版
発売日 2019年11月22日
価格 1430円
https://00m.in/5Eku6
 
 
 
向井理主演『僕たちは世界を変えることができない。』から8年後
映画化後、有名人の様にチヤホヤされて一方で
建設したカンボジアを再訪すると、生後22日目の赤ちゃんを亡くして泣いてるお母さんがいた。
 
自分の無力さ、偽善、キャリアや、収入、なぜ僕たちは働いているのか?
本当の幸せ、自分らしい人生と向き合いながら
カンボジアに病院を建設し、世界の果てに医療を届ける活動を広げるまで。

 

 

向井理さん推薦!
〜献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語〜
 


『僕たちはヒーローになれなかった。』
出版記念 47都道府県全国ツアー 第1弾
葉田甲太(医師 NPO法人あおぞら代表)× 税所 篤快(e-education創設者)
ー大人になった僕たちの今。 国際協力×本出版ー
12月6日イベント詳細

aozorasaisho.peatix.com

12月7日@大阪イベント詳細× 松本浩美(認定NPO法人Homedoor 理事 兼 事務局長)×座間慶彦(NPO法人 NGOクワトロ 理事 兼 事務局長/THE BONDS/株式会社DeNA

aozoraosaka.peatix.com

12月15日@東京イベント ×荒井昭則(NPOコンフロントワールド代表)
ー社会人になってもNPOを続けることー

peatix.com

12月21日@栃木イベント ×嶋岡鋼(新生児科医)

peatix.com