人と比べる幸せはやめたんよ。 2015年3月8日
人と比べる幸せはやめたんよ。 2015年3月8日
夢や目標に向かって生きるというのは、どんな生き方なんだろう。
それには、やっぱり特別な能力や才能が必要なんだろうか。
2010年、当時大学生だった僕は、一人暮らしのアパートで、スーダンで活動されている川原先生の活動を「行列のできる法律相談所」を 通して、見た。
内戦後のスーダンに飛び込み、医療活動をしていた姿をみて、単純にすごいなーと思った。
すごいなーと憧れた後、収入やキャリアや、安全を投げ捨て、一生続けられるのか、コンビニの大盛りペペロンチーノを食べながら考えると、残念ながら、僕にはできないだろうと、情けないけれど、諦めた。
あれから5年たち、国際協力をこの先、社会人になっても続けるか、正直に言えば人生に迷っていた僕は、何か参考にならないかと、憧れでもあった川原先生の活動を見せてもらうため、3泊5日の弾丸ツアーで
アフリカのスーダンに行く事になった。
行くといったが、まず最初に思った疑問は
スーダンって、どこ??である。
高校の時に地理で7点をとった事のある僕でも、なんとかアフリカという事はわかる。
アフリカで知っている国と位置を思い浮かべてみる・・・エジプト・・・南アフリカ・・・ルワンダ・・・残念ながら3つで早々 に終わってしまう。
パソコンで調べてみると、スーダンはアフリカ大陸の大体右上の方にあり、エジプトと紅海と接していた。
そして、恐る恐る外務省のスーダンの治安情報をみてみると、南スーダンの国境付近は別にして、首都のハルツームは、4つある危険度のうち、一番低いレベル1の「渡航に注意してください。」だった。外務省的には、それほど危険ではなさそうだった。
自分がもし死んでしまうと、もちろん家族も、スーダンや、川原先生や、日本国にまで迷惑がかかる。
川原先生に色々聞いたりして、エボラ出血熱の発生状況を確認し、現地で勝手な行動はやめようと心に誓い、川原先生指示に全て従おうとビビりの僕は決心して、スーダンに向かった。
日本からスーダンへ乗り換え一回で向かうには、ドバイ経由しか選択肢がなく、ドバイで川原先生に合流して、ハルツーム空港に入った。
入国審査で待っていると
「葉田くん、カメラはバックにしまって置いた方がいい。」
と、川原先生から、忠告が入った。
「な、何ですか?」
と聞き返すと
「スーダンは、NPOにスパイがいるんじゃないかって思っている。だから、空港や政府の施設をバシャバシャとっていると、スパイと疑われ、カメラは没収されるから。」
との事だった。
海外旅行に何度かいったことがあるが、自由にカメラを撮っちゃいけない国に、はじめてきた。
入国に少し時間がかかった後、スーダンのハルツーム空港に降りた。
はじめてのアフリカだ。人類発症の地である。
感慨深く、一歩目を考えていると、みんなはもうスタスタと前を歩いていた。
今回は、御子息の健太郎くんと、NPOをやっているドウジくんと、小説家志望の片桐くんの4人で訪れさせてもらっていた。
車に乗り込み、NPOロシナンテスの事務所まで向かう。車内から、スーダンの首都ハルツーム町並みを眺めた。
ATMもある、ショッピングモールもある、大きな病院もある。発展途上国といっても、首都は栄えている国がほとんどである。一方、地方では、水道も電気も整備されていない。
国全体が貧しいということでなく、貧富の差が非常に拡大している事を貧困というのかもしれない。
はじめて眺めるスーダンの景色に興奮しつつ、30分ほどで、リヤドという比較的に裕福な地域にあるNPOロシナンテスの事務所に着いた。
NPOのスタッフの方に、ご挨拶し、日本から持ってきたというソーメンをみんなで頂く。気温が常時30度を超えるスーダンでは、ソーメンが日本で食べる時より、8倍は美味しかった。
信じられないソーメンの後、ミィーティングが開かれた。
NPOロシナンテスが、行っている母子保健事業、教育事業、スポーツ事業について、話し合いが進められていった。
1時間ほどミィーティングが行われた後、みんなでお茶を飲みに行く事になった。
露店に、コーヒー、紅茶、カルカデと呼ばれるハイビスカステが売っているので、それを頼み、道端に腰掛け、みんなで、お茶を飲んだ。
お茶を飲むと、辺りには、夕日に包まれていた。
事務所に徒歩で帰っている時に、聞きたかった事を聞いてみた。
「川原先生、ちょっと聞いてもいいですか?」
「葉田くん、先生というのは、もうやめよう。川原さんって呼んでくれ。」
変な習慣だと思うけれど、大体お医者さんには病院の内でも外でも先生をつけて呼ぶ。
この時の僕には、なぜ、「川原さん」と呼ばせたのか理由が分からなかった。
「川原先生・・・じゃなく川原さん、なんでこういう活動をされているんですか?」
川原先生は間髪いれずに答えてくれた。
「俺はね、ドキドキしていたいのよ。不謹慎かもしれないけれど、こうやって活動する事で、笑ってくれる人がいて、それがとても楽しいんだよ。」
その一瞬で返したストレートな答えに、なんだか驚いた。
「川原さん、失礼な事言ってすみません。僕も人の笑顔をみられたら、嬉しいです。でも、僕は先生の様に、医務官の収入を捨てて、無給でNPO活動をはじめたなのなら、1~2年は頑張れるかもしれません。それでも、10年も活動すれば、お金を稼いでいる人が羨ましく思えたりするかもしれません。やめたいと思うかもしれません。川原さんは、やめたいと思ったり、誰かを羨ましく思ったりする時はなかったんですか?」
微妙な質問だと思ったけれど、単純に聞いてみたかった事をストレートに聞いてみた。
川原先生は、また間髪いれずに、こたえてくれた。
「うーん。人と比べる幸せは、やめたんよ。」
「はい。」
アフリカのスーダンを歩きながら、その次の言葉に、全身神経を集中させた。
「たしかに、友たちにはたくさん稼いでいる人もいる。教授になった人もいる。でもね、もう、人と比べる幸せはやめたんよ。お金は大事だけれど、ある程度稼ぐとそれ以上に稼いでも、幸せには比例しない。今はこうやって、活動しているのが、俺の幸せなんよ。」
その答えを聞いて、次の質問がでてこなくなった。
ただ、笑顔で、まっすぐ僕の目を見て、答えてくれたその言葉に、嘘はない様に思えた。なんとなくだけれど、嘘を言っていないのは、表情や言葉のトーンで分かった。
そして、言葉通り、「幸せ」そうに見えた。
その後、「同じ様な事を慈恵医科大学の血管外科の教授も同じ様な事言っていたなぁ」と話をした後、事務所に帰った。
部屋に入り、汗を拭き、新しいTシャツに着替えた後、みんなで近所のレストランに向かった。
スーダンは基本的にイスラム教を信仰されている方が多いので、お酒はなく、コーラを飲んだ。お酒が飲めない僕には丁度良かった。
ご飯を食べていると、レストランのお客さんや、通行人が一斉に、一方向を向いて、お祈りをしはじめた。
イスラム教では、1日に5回メッカの方を向いて、祈る。その一回の様だった。
入国の時の緊張感は抜けていた。
夜でも熱い気温とコーラで、なんだか酔っ払った様な気分になった後、事務所にもどった。
移動時間も長く疲れていたので、シャワーを浴びずに、ベットに飛び込んだ。
「俺はね、ドキドキしていたいのよ。こうやって活動する事で、笑ってくれる人がいて、それがとても楽しいんだよ。」
今日、川原さんに教えてもらった事を思い出していた。
ドキドキするから。ワクワクするから。大人になっても行動する理由はそんなシンプルな事で、本当は良かったのかもしれない。
やりたい事をやる。好きなことを、一生懸命やる。むしろ、そんなシンプルだからこそ、良かったんだろう。
自分が本当に幸せだなーと、ふと思う瞬間は、いつも、誰かにありがとうと言われた時や、好きな人と公園を歩いた時や、仕事の後に温泉にぶわーっと入って素敵な景色を見た時や、いつも、そんなにお金が、かからない事だった様な気がした。その生活のベースにお金が必要だとしても、その幸せ自体は、お金で買えるものではなかった。
こんな気持ちは、負け惜しみなのだろうか。
それでも、ある程度の収入でその幸せに上限がくるなら、大人になっても、川原先生の様に、人と比べず、ドキドキする事を、その自分の決めた幸せに向かって、シンプルに自分の人生を生きていっても良いのかもしれない。
輝かしいキャリアよりも、やっぱり自分はこうやって、小さい頃に思った様に、海外でも日本でも、医療の届きづらい所で、その方のために、きっと何かしてみたかった様な気がしたから。
夢や目標を追うというのは、特別な才能というよりは、多分ドキドキする事を、ただ
真っすぐ追いかける事なんだろう。だからこそ、たくさんの困難を乗り越えられるのだろう。
そんな事を思いながら、NPOロシナンテスの事務所で、灼熱の中、トランクス一枚で眠りについた。
まとめ:人と比べる幸せはやめる。
ドキドキする事を追いかける。
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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。
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