素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part4
向井さんの事を、書いたらブログのアクセスが跳ね上がった。
さすが向井さん・・・
向井理さん主演が決まると、映画化までのスピードがそれまでと比べられないほど、すすんでいった。
そんなある日、東映ビデオの佐藤さんから電話がかかった。
「映画の関係者の方に葉田くんの思いを話してくれませんか?」
パソコンをもって、練馬にある東映の撮影所に向かった。
若気の至りと言いたい。今はそんな事しないと言い切れる。
その時の僕は、少し変だった。
カンボジアを舞台にした映画をつくる、HIVと共に生きる方々の事も映画にでる、ツールスレンも通訳のブティさんのお父さんが亡くなった事も、ポルポトの大虐殺の事も映画にでる。
その方たちに、迷惑をかけてはいけない。人の命にふれる場面がある。
講演を聞いて頂き、「良かったですよ。」気をつかって頂いたそんな感想より
心に刺さって、色々批判があったり、感動しましたとか、そんな感想が欲しかった。
向井理さん、松坂桃李さん、窪田正孝さん、柄本佑さん、映画関係者の方々に真剣に聞いて頂きたかった。
東映の撮影所に通して、頂き、入り口から最も奥にある建物にある入り、二階に通され、俳優の方々、映画の関係者の方々待ってくださっていた。
もう一回言います。
若気の至りと言いたい。今はそんな事しないと言い切れる。
その時の僕は、少し変だった。
挨拶もそこそこに、僕は服を脱いだ。
トランクスだけになって、服を脱ぎすてた。
自分には、何もない。とにかく、自分の話を聞いてくださいと、自分の覚悟を当時は見せたかったんだと思う。(今の自分でも、カバーできない・・・)
服を脱ぎ捨て、叫ぶ様に講演をはじめると、深作監督は笑顔で、僕をみつめていた。
向井さんは、鋭い眼光でみていた。
僕は、なんだか恥ずかしくなった。
脱ぎ捨てた服を拾いなおしたか、裸のまま講演したかは、もう覚えていない。
きまずくて、俳優の方々の顔はみれなかったけれど、全身全霊をかけて講演した。
どれだけこの映画がカンボジアの影響をあたえるか、当事者の方々が大きな悲しみを背負ってきたか。
20分程度講演して頂き、着衣し、打ち合わせの会場をあとにし、外に用意してくださったタクシーに乗り込んだ。
向井さんの鋭い眼光が忘れられなかった。
怒らせたかな?はー、どうして僕は事しちゃうんだろうな。
普通に講演すれば、良かったかな。
タクシーのまま、ため息をなんどもつきながら、最寄りの駅にむかった。
後日、向井さんに「怒ってましたか?」と聞くと、「いや、映画で演じる人を仕草とか動きをしっかり見ていた。」
と、どこまでもプロ意識が高い方だった。
後日、深作監督とまた、お話させて頂く機会があった。
葉田くんが最後のシーンで伝えたい事は何かありますか?という事だった。
僭越ながら答えた。
「小学校を一つ建てたところで、子供たちの人生が変わるか分かりません。僕たちが全面的にとても良い事をした、といえば嘘になります。でも、開院式で、僕たちと子供たちが笑った事だけは、誰に何を言われても真実です」
(学生時代。)
(医師になってから)
まさか、映画で向井さんたちが服を脱ぐことも、最後のナレーションで僕の意見を採用して頂けるとは思っていなかった。
まとめ:大人になれば凄い人をたくさん知り、できなくなる事がある。
若いからこそできる事がある。
向井理さん推薦!
~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~
映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。
NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。