葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

不安しかないクラウドファンディング。 2017年12月28日

 

 

 

 

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初めてのクラウドファンディング。 2017年12月28日

 

 

 

新生児蘇生法を教えてもらえる嶋岡先生、事務の仕事を近藤に手伝ってもらえる事になり、なんとか残り400万円を集める事ができれば、病院を建設し赤ちゃんとお母さんの命を守る事ができる状況にようやくなった。

 

 

 

残りの400万円をどうやって集めるか考えた時に、きっと色々な手法があるのだろうけど、今回はインターネットで寄付を募るクラウドファンディングという手法で集めようと考えていた。

 

 

 

キングコングの西野さんは、クラウドファンディングは、信頼を集めるものだとおっしゃっているが、信頼が自分にあるか、かなり不安だった。

 

 

それでも、与那国島で出会った女子中学生の様に、誰かに何かを感じてもらえる様に、幅広く関わって頂ける様にクラウドファンディングという形にしたかった。

 

 

クラウドファンディングをやる前に、一つだけ決めていた事がある。400万円を達成しなければ、自分が借金して苦しむ事しかない。でも、寄付してくれー!!とメールで知り合いに言われたら、あまり良い気がしない。もちろん、プロジェクト達成のために必要だからこそ、やらなきゃいけない事なのかもしれない。でも、久々に連絡がきたと思って、メールをあけたら、寄付してくれー!ならきっと、友人や知り合いにも申し訳ない。失敗しそうになっても、誰かに脅迫的に寄付してださいと連絡しない、ダメなら自分で苦しもうと覚悟を決めた。

 

 

 

僕は個人的に、北風と太陽の話を信じている。人が手伝ってくれる時は、必ず奪い取るようにお願いした時ではなく、その人が、手伝いと思う何かがある時だ。お願いします!!よりも、良かったらーぐらいのゆるい感じの方が、人は協力してくれる事が多い。

 

 

 

 

だから、自分が最も注力すべき所は、寄付のお願いをたくさんするのではなく、誰かに協力してもいいなと思える様な、寄付して頂いた後も寄付して良かったなと、協力が広まる様なプロジェクトを考える事であった。

 


ただ、それを実行する道は険しかった。自然と協力しても良い思える様なプロジェクトって、文章って、どんなものだろう?

 

 

考えても答えがでないので、とりあえず人生初めてクラウドファンディングの文章を書いて、スタッフの近藤に見せてみた。

 

 

彼は底なしに優しいから。
「うーん、まぁいいんじゃない?」という反応だった。

 

 

これじゃあ、ダメだと、何回も推敲するも、納得する文章が書けなかった。スタッフの近藤にすら伝わらない文章なら、誰かの心に届く訳がない。

 

 

後から考えると、下手な知識がついた事で、書きたいことが多すぎて、うまく書こうとしすぎて、何が伝えたいか、分からない文章になっていた。

 

 

自分でも文章を書く時に、一つだけ、基準がある。それは自分が感動するか?である。
文才がある方なら、その感動をする文章をスラスラ書けるのだろうけど、僕はその文章の書き方が分からない。残る道は、一つである。

 

 

 

書き続ける事。

 

 

その基準を達成するまで、何十回でも、書き続けるという、ガッカリするほどの、ものだった。

 

二冊の本を出版した時も、文章を書く時、梅酒をがぶ飲みして、酔っ払って書こうとした。走って息を切らしたら、書けるかもしれないと。ダッシュを繰り返して、パソコンに向かった。爆音で聴いたら何かインスピレーションをもらえるかと、ヘットボンを、ガンガンにして、書いた。

 

 

馬鹿みたいと笑われて然るべきものだ。そして、どれも、完全に失敗した。ただ、ただ、書き続けた。それだけだった。

 

 

 

今回もそうだった。
でも、段々とその辛さが嫌になり、スタッフの近藤の優しさに甘え、自分が感動するか?の基準を段々下げ始めた。

 

 

 

もうこれでいいかなと、クラウドファンディングの文章を一旦書き上げ、スタッフの近藤以外に、与那国島の所長先生に文章を読んでもらう事にした。

 

 

「多分多くの人は良いと言うかもしれませんが、これは葉田先生の文章じゃないですよね。」となんとも核心をつく事を言われた。

 

 

 

そこから、永遠に悶々とする日々がはじまった。朝起きてから、寝るまでいい文章書かなくちゃと、取り憑かれる。診療に支障がでない範囲で、夜中まで文章を書き直すも、できない。

 

今回はお酒を飲み訳にいかないので、悶々としながら、それでも書き続けた。

 

 

 

もう寝よう。2017年12月27日午前3時に、診療所の電気を消し、ベットに向かった。
寝ようとしても、文章を考えてしまう。

 

暗闇の中、ベットから見上げた天井の木目を眺めながら、慢性的な睡眠不足で一瞬どうでも良くなった。

 

 

もういいや。もう、難しくなるのは、やめよう。ベットの中で思考を巡らせた。

 

 

1番大事なことはなんだろう?それさえ言えれば、もうどうだって、いいじゃないか。

 

 

コストエフェクト、サステナリビリティ、プロジェクトの有用性、医療教育?新生児仮死teaからsbaへの移行、保健ボランティアの強化、産前産後検診の増加、ワクチン接種の増加。

 

 

 

難しい事はいくらでも難しく言える。大人になって、社会人になって、そんな難しい用語はたくさん覚えた。でも、そもそも、なんで、自分はこんな事をやっているんだろう。何のために頑張っているのだろう。

 

 

 

そんな時に泣いていたお母さんを思い出した。
泣いている人がいたんだ。赤ちゃんの命が亡くなっていたんだ。それをどうにかしたかったんだ。
いつも方法論は難しかったけれど、目的はいつも単純明快で変わらなかった。
ただ、単純に、赤ちゃんの「命」を救って、お母さんの「涙」を止めたかったんだ。

そのために、アホみたいに恥をさらしながら、やってきたんだった。

 

 

 

 

 

早く気づけよと今なら、突っ込みたくなるが、そんな事に気づき、電気をつけ、もう一度パソコンに向かい取り憑かれた様に、大部分の文章を書き直した。

 

 

 

超えなきゃいけない壁が何度もあって、嫌になるが、乗り越えなきゃいけないんだから、乗り越えるしかない。いつだって、後になってこうすれば良かったと気づくけど、その時は諦めずに、最速で壁にぶつかり、方法を変え、失敗の中から成功の種を探して行動を続けるしかない。

 

 

 

 

あーすれば良かったと気づくのはいつだって、行動の後の結果から考えた時の、後ろ向きな視点だ。
行動がなければ、そんな事にすら気づかない。

 

 

 

文章の大部分を書き直して、クラウドファンディングの文章を同日に所長先生に、見せた。

すぐ読んで下さった先生は
「葉田先生らしい文章になりましたね。」と感想をもらい泣きそうになった。

スタッフの近藤にも見せると、
「今回のすごい、イイね!」と気を使った様な感じではなくなった返事が返ってきて、この文章で、公表してもいいような気がした。

 

 

その後も、クラウドファンディングの会社であるレディーフォーの丹羽さんに、年末にも関わらず、大変お世話になった。レディーフォーは手数料を少し高かったけれど、僕にとって、彼女がしてくれた事を考えると、十分価値があるものだった。

 

 

 

祈る様な気持ちで、「カンボジアの僻地に病院を建設し、8000人の命を守りたい!」プロジェクトページを公開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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