葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

22日間の命 2016年3月5日

 

 

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22日間の命 2016年3月5日

 

 

車で横道に何度も入り30分すると、1年半前に出会った、赤ちゃんを失くしたお母さんのご自宅に着いた。

 

 

車から降りると、お母さんと、その夫、4歳の男の子が、僕には分からないクメール語を話しながら、「おまえ、また来たのかー!」といった感じで驚きながら出迎えてくれた。

 

 

4歳の男の子は、髪の色が茶色で、お腹がぽっこりでている。クワシオコア(Kwashiorkor)という状態で、カロリーの問題でなく、タンパク質の不足等栄養のアンバランスで生じる様だ。途上国の低栄養は、様々な問題を引き起こす。中でも1歳半までの栄養をしっかり与えないと、生涯において低身長などの問題を引き起こし、それらは遺伝子レベルで、赤ちゃんが成長し将来子供を生んだ時に、その子供にすら影響を与えるとされている。

 

 

挨拶をして、ご家族の近況を伺った。

 

現在、家族は3人暮らしで土地は持たず、仕事は小作人として収穫時期は働き、仕事がない時は、虫などをとって食べるという。

 

 

村長は気を使ってくれたのか、挨拶だけすると、車の中に戻って、通約のブティさんと一緒に、お母さんと話をする事になった。

 

 

もちろん、センシティブな内容なので、しばらく、世間話をする事にした。

 

 

10年前と比べて、カンボジアの国道がとても快適になった事。10年前は、小学校だけポツンと建っていた土地が、今は中学校も、グランドも食堂も、図書館もできたねと、いうとお父さんとお母さんは少し笑ってくれた。

 

 

お母さんいわく、4歳の長男は、建設した小学校にいきたいという。なぜか、聞いたら、お父さんとお母さんは読み書きができないらしく、将来お金を稼げる様になって欲しいからだという。

 

 

しばらく世間話をした後、注意しながら、亡くなった赤ちゃんの話を聞かせて事にした。

 

 

 

お母さんは、一見特に気にする様子もなく、亡くなった赤ちゃんの事を話し始めた。
亡くなった赤ちゃんは、生まれた時には、問題なかったという。

 

生後20日目で、熱が、咳がでる様になった事に気づいた。お母さんは風邪かなと考え、近くの診療所(途上国ではヘルスセンターという。)に連れていかず、様子を見た。

 

 

生後21日になると、熱は上がり、咳はひどくなった。昼になると、ミルクも飲めなくなった。お母さんは救急車を呼ぼうとしたが、金銭的な理由(10ドル程度)で呼ぶのをやめた。その間にも、どんどんと赤ちゃんの呼吸は早くなるので、夜の12時ごろに、村長経由で、近くの診療所のスタッフに電話をした。

 

 

1時間ほどして、家に到着した診療所のスタッフは、「赤ちゃんは重症だから大きな病院に行った方が良い。」と、お母さんに伝えた。

 

 

それでも、10ドルのバイクタクシーの搬送費のだすお金がなく、誰に借りようか、迷った。すべての時間で赤ちゃんの様態は悪化していった。

 

 

 

生後22日目、午前2時頃に、村長が搬送代の10ドルを肩代わりする事になり、ついにバイクタクシーを呼んで、お母さんは赤ちゃんを抱えたまま、コンポントムの州病院に向かった。

 

その道中で、母さんは、赤ちゃんがあまり動いていない事に気づいていたという。
バイクタクシーで4時間ほどいったところで、ようやく早朝に州病院についた。すぐに医師に診察してもらったが、その医師から「すでに赤ちゃんは亡くなっています」と告げられた。

 

 

仕方なく、赤ちゃんのご遺体をそのまま抱えたまま、お母さんはバイクタクシーにのり、家の近くの土地に赤ちゃんの遺体を埋めた。

 

 


はじめは普通にお母さんに気さくに話していたが、途中から、お母さんはずっと、泣いていた。お母さんは時々、後悔に似た表情をうかべながら泣いていた。

 


年間560万人の子どもたちが5歳の誕生日を迎える前に亡くなっていて、5秒に1人、世界のどこかで幼い命が失われている。

 

 

そんな統計よりも、自分にとって重要だった事は、目の前で、心を痛めて泣かれた事だった。

 

きっと、僕はアフリカの子供の「誰か」が餓死していると聞いて、その時はかわいそうだと感じても、次の日には忘れているかもしれない。

 

中東の国で、兵士の「誰か」が紛争で亡くなっているとニュースで見ても、次の瞬間には忘れているかもしれない。

 

インドで、女性の「誰か」がレイプされていると知って、憤りを覚えても、やっぱり一週間後には忘れているかもしれない。

 

 

世界の苦しんでいる誰かに、向けて今すぐ行動しよう!と言われても、自分には少し難しいところがある。

 

 

それでも、目の前で泣かれた事により、苦しんでいる「誰か」ではなくなった。
苦しんでいる「誰か」ではなく、苦しんでいる「あの人」になった。自分にとって遠い存在ではなくなった。

 


国や、宗教や、色々な価値観や肌の色が違っても、自分の子供を亡くして、全く悲しくないお母さんは、世界中にほとんどいない気がした。

 

 

 

様々な事が世界中で違っていたとしても、母親が子供を思う気持ちは、根本的には、あまり変わらない様な気がした。

 

 

人を「幸福」にする事は難しくても、「おそらく不幸」な事なら、減らせる。

 

そして、それは、科学的に適切な手段をとれば、おそらく減らせる「涙」で、救える「命」だった。

 

 

しばらくすると、お母さんが、すみませんと言って、涙を拭いた。

 

4歳の長男が小学校に通える様に、継続してまた来るからね、と言うと、ようやくお母さんは、笑ってくれた。

 

気を使ってくれて、少し社交辞令的だった様な感じもして、なんだか申し訳もなくなった。

 

赤ちゃんのお墓が建設したgraphis小学校の近くにあったので、両親と一緒に手を合わせた。

 

赤ちゃんは、亡くなる時苦しかっただろうか。

赤ちゃんは、もう少し生きていたかっただろうか。

 

それとも、22日間でもこの世に生まれてきて、お母さんに抱っこされて、幸せだっただろうか。

 

 

結局のところ、赤ちゃんが幸せだったかなんて、誰にも分からない。人生の短さで人の幸せが決まるわけではない。人それぞれ、死にたいぐらい辛い瞬間だって、あるのかもしれない。

 

 

それでも、たった二つだけ確実だった事は、お母さんが「泣いていた」事と、赤ちゃんには、「生きる」という選択肢がなかった事だった。

 

 

ラーメンを食べて、友達と笑うチャンスも、好きな人ができた時のあの気持ちを、味わうチャンスはなかった。

 

お母さんに聞かせてくれて、ありがとうございましたと伝え
「これから何ができるか考えてみます。」
と伝えて、その場を別れた。

 

 

通訳のブティさんと、待ってくれていた村長と合流し、車に乗り込んだ。

時計をみると、夕方6時ごろになり、辺りはもう暗くなっていた。

自分は、まだ生きる事ができていた。


1) Improving Child Nutrition: The achieable imperative for global progress)

2) UNICEF:Levels and Trends in Child Mortality 2017

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(村の救急車)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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