葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part7

正直に書かないと意味がない気がするから、今日もそうしてみる。

 

 

あの時、そう思っただけで、その時に嫌だった事も悩んだ事も、今は全部良かった事だと思えているから。


そして、今から書くのは誰のせいでもなく、僕のせいだから。

 

 

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佐藤さんと出会い、深作監督と話をして、向井さんたちに出会えて

「僕たちは世界を変えることができない」が映画になり、公開するまでは

僕の中で文化祭の様な生活で、とても楽しかった。

 

 

 

映画が公開してから、突然、ちょっとした有名人の様になり、周囲の環境が変わっていった。

 

 

 

 

あなたと一緒に、精神世界から世界

 


を変えましょうと、よく分からない手紙をもらったり

 

 

カフェでお茶をしていますとツイートしたら、実際にツイートを見た人がいらっしゃったり

 

 

幼稚園時代の同級生からも、映画をみたよ!と、たくさんの人から連絡がきて、人生ではじめて返せないぐらいのメールが来た。

 

 

 

 

 

 

ある日を境に、人からすごいね!!と何回も言われる様になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

www.youtube.com

 

 

今でも良く覚えている光景があって。

 

 

 

「僕たちは世界を変えることができない」映画のPRで明治大学に行き、たくさんの人がいて、色々な人に、すごいですねと言ってもらった。

 

 

数えきれないフラッシュを浴びた後、一般人の僕は、電車にゆられながら、一人で帰った。

 

 

明治大学からの帰り道に、電車にゆられながら

 

 

 

「こんな状況は普通じゃない、長く続かない。調子に乗らないでおこう。調子に乗らないでおこう。調子に乗らないでおこう。自分の実力以上に評価されている。きっと、僕にはこれから深い闇が待っているだろう。」

 

と自分の未来を予測しながら思った。

 

 

 

 

でも、人間というのは、難しい生き物で、人はゆっくりゆっくり調子にのっていく。

 

 

まるでぬるま湯につかったカエルの様に、調子に乗らないでおこうと謙虚に自分は思っているつもりでも、調子にのっている事に自分は気づかない。

 

 

 

 

自分の予想より、深くて長い闇というか、色々考えてしまった時期が僕には待っていた。

 

 

 

あの時僕は、心の底では「映画化になった本を書いた自分はすごいやつだ。」もっといえば、「人と違うすごいやつだ」と思う様になっていた。

 

 

あんまり書きたくないけれど、当時、初めて会う人には、「いつこの人に映画の事を言おう?」「いつ、この人は映画の事を聞いてくれるだろう?」と思っていた。

 

 

 

 

それは今思うと、自分に自信がなかったからだった。

 

 

 

医師としても、国際協力として、本を書く人としても、自信も実力もなくて、ましてや一番最悪なのは、これから何がやりたいかもはっきりしていなかった。

 

 

 

あの時の、僕はペラペラだった。(い、今もそうかもしれないが・・・でも前より確実に良くはなった。)

 

 

 

出会った可愛い女の子に、食い気味で映画化について、話す事もあった。

 

自分は人と違うと、謙虚な姿勢を忘れて、自分から人に話しかける事も少なくなった。

 

 

 

でも、実際は気づいていた。ペラペラな自分に。でもどうしていいか分からなかったから、ぬるま湯からでるのが怖くて、見てみないふりをした。

 

 

 

 

 


映画化以降、向井理さんは、ますます映画やテレビで見かける事が増えていった。


松坂桃李さんも、窪田正孝さん、映画や雑誌でたくさん見る様になった。

 

 

映画化から時間がたつと、徐々に徐々に、人からすごいね!と言われる事も少なくなっていた。

 

 

 

はっきりとした時期は忘れたけど、2014年頃に、市の講演会で僕はゲストで呼ばれ1時間話しただけで、約20万円講演費として頂いた。

 

 

 

 

僕は、なぜか知らないけれど、その20万をもらった事に申し訳なさすぎて、講演会の帰り道に泣けた。電車の中で、周りがドン引きするぐらい泣いた。

 

 

 

自分は何がしたかったんだっけ??

 

 

 

コンパで女の子に映画化をダシにして、モテたかったんだっけ。

 

 

 

作家になって、人からすごいねと、ベストセラーを書きたかったんだっけ。

 

 

 

有名人になりたかったんだっけ。

 

 

 

講演家として、お金を稼ぎたかったんだっけ。

 

 

 

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あの時、電車でどれも違う気がしたけれど、答えをだせなかった。

 

 

 

「葉田さん、やりたい事が分からないんですけど、どうしたらいいですか?」

 

 

そんな質問に、講演会で自信満々で答えていた、自分が一番、分からなくなっていった。

 

 

 

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あれから、色々な事があった。

 

スーダンで川原先生と出会った

カンボジアで新生児を亡くしたお母さんと出会った。

長崎大学熱帯医学講座に行った。

医師として離島や地域で働いた。

国際NGOワールドビジョン・ジャパンさんと出会った。

新生児科医の新生児蘇生法を教えてくれる嶋岡先生と出会った。

カンボジアの僻地に病院が建って、笑ってくれたお母さんと救われた命があった。

JICAと連携させてもらってラオスで新生児蘇生法講習会をはじめた、

タンザニアの新病院プロジェクトがはじまった。

 

 

恥ずかしいけれど電車で泣いたあの日から、僕を救ってくれたのは、綺麗事かもしれないけれど、人との出会いと、自分の小さい頃の夢だった。

 

 

 

 

自己啓発本にのっている事は、時々役にたつけれど、一番大事だったのは、人との出会いと、自分の夢だった。

 

 

 

 

 

本も、NPOも、講演も、メディアにでる事も、目的ではなく全部手段だった。

 

 

 

 

綺麗事かもしれないけれど、世界の僻地で亡くなっている命を救いたい。そんな目的だけが、自分の背中をおしてくれた。

 

 

 

 

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僕たちは世界を変えることができない。は当時僕なりに3つの意味を込めた。

 

世界を変えることができなくても、僕たちは、行動する。

世界を変えることができないから、みんな協力してほしい。

世界を変えるなんて、横暴で、現地の人にとっては、世界を変える必要なんてないんじゃないか。

 

 

 

 

映画化以降の苦悩や、出会いは拙著「僕たちはヒーローになれなかった」にまとめさせてもらっています。

 

 

 

 

これから先、物事がうまくいくと、僕は、また調子にのってしまうんだろうか。

 

 

 

 

そうならない様に、あの日から少し学んで、NPOを一緒にやっている5人のメンバーは、僕にすごいねとか、憧れを一切持っていない人と一緒にやっている。

 

 

たまに、ディスりがひどくて、もう少し優しくして欲しい時もあるけれど・・・

 

 

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今はもう世界を変えるとか、変えれないとか、ヒーローになるとか、なれないとか正直どうでもいいかもしれない。

 

 

ただ、関わった目の前の命を、みんなで救いたい。そして、そんな事を、これから増やしていきたい。

 

 

 

そのためには、勉強しなくちゃいけないこと、努力しなくちゃいけないことが、山の様にある。

 

 

 

もし、あの時の僕の様に、何がやりたいか分からない人がいたら

 

昔の自分の夢を参考にしてください。そこにヒントはあって、あとは、無責任だけれど、人との出会いが、きっと助けてくれます。

 

 

偉そうにすみません。

 

 

 

 

完全に終わり方が、分からなくなった。

 

 

 

 

 

なんだか良く分からないけれど、やっぱり僕は、また、頑張ろうと思うよ。

 

 

やっぱり人の笑顔が見たいと思うから。 

 

 

 

 

そんな事が大切だと、色々な人が、自分に教えてくれたから。

 

 

 

 

 

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まとめ:迷ったら、小さい頃の自分の夢と、出会いを大切に。

    調子に乗る人は、調子に乗らない様にしてくれる人と一緒にいる。

    まだまだ頑張る。

 

 

 

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 
僕たちはヒーローになれなかった。

けれど

みんなと一緒になら、目の前の命を救うことができる。



NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

 

 

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出版記念 47都道府県全国ツアー 第4弾

 

12月21日(土)14:00~17:15@宇都宮

 

× 嶋岡鋼 (NPO法人あおぞら アドバイザリースタッフ 小児科・新生児科医 日本周産期・新生児医学会新生児蘇生法(NCPR)インストラクター AAP Helping Babies Breathe Program マスタートレイナー)

 

peatix.com

 


出版記念 47都道府県全国ツアー 第5弾

12月28日(土)19時00分~20時45分@宮崎

× 杉本恭佑(株式会社油津応援団 コミュニティマネージャー)
ーヒーローを目指した僕たちの今ー

 

peatix.com

 

 

 

出版記念 47都道府県全国ツアー 第6弾 

2020年1月18日(土)14時00分~16時00分@岡山

×小倉恵美(紬屋旅館女将/元女子アナ/世界一周経験者)
ー僕たちはヒーロになれなかった。それでも世界を動かすチカラー

 

bokuherovol6.peatix.com

 

素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part6

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僕たちは世界を変えることができない。」が公開されてからは、もう訳が分からなさ過ぎて、あんまり覚えていない。

 

 

 

突然の人生の変化に驚くほかなかった。

 

 

 

メンズノンノに向井さんとでたり、雑誌の写真の撮影も色々あった。

 

 

 

向井さんは雑誌の撮影の時、シャッターの度にポーズを変えていく。僕はそんな事できる訳なく、直立不動、一心不乱にカメラを見つめる証明写真ポーズを決めていた。

 

 


 

向井さんは、撮影でかたまる僕を見て、「顔かたいでしょ」といって、時々僕の緊張をほどいてくれていた。

 

 

 

松坂桃李さんも、向井さんも、皆何通りもポーズを変えながら写真撮られている。

 

 

 

これはまずいと、当時付き合っていた彼女に、左右の口角をあげて微笑をうかべるテクニックを披露したが、「気持ち悪い、不自然」と散々に言われて 

 

もうどうしようもないと、覚悟を決めて、証明写真ポーズを決めながら、その場その場でたくさんの人にお世話になりながら、撮影させて頂いた。

 

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(前にだした、この写真も僕はこのポーズだけで、向井さんは何十通りとポーズを変えられています。)

 

 

 

 

王様のブランチに2回自分も出演したり、向井さんがいいともにでたり、ネプリーグにであたり、テレビのCMも流れたり、なんだかすごかった。

 

 

 

 

 

 

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ある時、向井さんと映画のPRで北海道に行く事になった。

 

 

 

 

 

それが羽田ー北海道で、人生初のファーストクラスだった。

 

 

 

いいのかなと思っていると、プロデューサーの佐藤さんから

 

 

「いや、葉田くんはエコノミーでいいしょ。」

 

 

となんだか、イジられて、その感じが、その関係性が僕はすごく心地よかった。

 

 

 

 

 

僕は未だに芸能関係の事はよく分からないけれど、その時

 

 

 

 

とにかくファンの方々がすごかった。

 

 

 

日帰りの北海道だったんだけど、行くところ行くところにファンの方々がいらっしゃた。

 

 

 

向井さんも全員には対応できないので、ファンの方々も全員向井さんと握手できない。

 

 

 

差し出した手をそのまま戻す訳にもいかないので、コバンザメの様に、向井さんの横で歩いているよく分からないやつ(僕)に、とりあえず、なんとなく、手がのびる。

 

 

 

 

向井さんのファンの方々も、この人は誰なんだろう?ときっと思いながら

 

 

僕は、向井さんの横で、向井さんのファンと握手をした。

 

 

 

一般人がファンの方々と各地で、握手をするという奇妙な光景が繰り広げられていった。

 

 

 

ファンの方々、あの時はすみません・・・

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不思議なもので、僕も緊張していたのか、色々話をさせてもらったはずなのに向井さんと何を話したのかあんまり覚えていない。

 

 

北海道で分刻みのPRが終わり、札幌のお寿司屋さんで、つかの間の夕食で、ウェイトレスの方が、緊張していたのか、あたたかいお茶を向井さんのカバンに全部こぼしたのは良く覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

向井さんは、決して「お腹がすいている子供がいれば、食事をとにかく無償であげ続ければいい。」みたいな考え方ではない。

 

 

 

 

 

とても頭の良い人で、カンボジアや国際協力の話をする時、僕なりに言葉を大分選んでから、会話させてもらっていた。

 

カンボジアの全般的な話をする時、向井さんの方が詳しいぐらいだった。

 

 

 

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映画公開、PR、メディア出演、とんでもなく非日常な日々が過ぎていった。

 

 

あの時の日々で、僕は一つだけ後悔している事がある。

 

 

 

 

僕は、これからどんな事をしたいか、全然向井さんに言う事ができなかった。

 

 

 

病院で働き、映画化の事もあって、毎日毎日を生きるのに、精一杯で、これからも小学校継続支援を続ける事ぐらいしか言えなかった。

 

 

 

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あれから時間がたったけれど、もう一度、向井さんに会ったら、あの時言えなかった事を言いたい。

 

 

こんな問題があって、こんな人と出会って、僕はこんな事をやっていきたいんですと。

 

 


そして、少ないかもしれないけれど、それで笑ってくれた人がいて、僕も今は笑っていて、これからそんな事を、続けていきたいんですと。



 

 

 いつか、会った時、そんな事を伝えられたら、すごく素敵な事だと思う。

 

 

 

上手く伝えられる自信は、今でも、あんまりないけどさ。

 

 

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(ネックレスは現地の方々からのプレゼント(マサイ族の英雄??)です))

 

 

 

 

 

 

 

まとめ:ファーストクラスはやばかった。

 

    有名になるから、幸せになるのではなく

    人が笑ってくれるから、幸せな気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 
僕たちはヒーローになれなかった。

けれど

みんなと一緒になら、目の前の命を救うことができる。



NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

 

 

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素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part5

 

 

 

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僕たちは世界を変えることができない。

 


映画化がきまったものの、全く現実感がなくすぎていった。

 

 

 


ある日、ヤフーのトップニュースで、

 

向井理 初主演は医大生役!」

 

 

と並んだ。

 

 

 

 

本当に、昔ちょっと僕は本当によく分からなくなっていて

 

 


「あっ、向井さん、医大生役の映画にでるんだ!何の映画だろう?」

 

 

 

と思いクリックしたら、自分の事でめちゃくちゃあせった。

 

 


それぐらい現実感がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は今でもそうたけれど、医大生、お医者さんの自分と、本を書いたりNPOしたり講演したりしている自分を分けている。

 

 

 


数学と、国語ぐらい使う能力も、キャラも違うものだから、本をだすときも、映画になったときも、今も昔もほとんど、学校や病院で言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それは単純に、滅茶苦茶恥ずかしいからだ。

 

 

 

 

 

 

 


人にいったら、笑われるかもしれない、本心みたいなものを、講演や、本で書いている。

 

 

 

 

 

 

友人1「葉田くん、本だしてるんだって?」


葉田「うん?まぁ、あの、ちょっとよくわからないけど、昼ごはん食べた?」

 

 

 

 


友人2「葉田ちゃん、映画になるんだって?」


葉田「いや、本当になるかまだ全然分からないし、そーいえばさ、あいつさ、あれだってよ!」

 

 

 


友人3「葉田くん、カンボジアに小学校たてたんだって?」

 


葉田「建てたかな?建てた様な気もするけれど、まぁまぁ。なんか喉乾いたな・・・」

 

 

 


と、学校や病院で、本や映画、NPOの話をされると、頭の切り替えがうまくいかなくなって、今でもなんとか、話を変えながら切り抜けている(切り抜けているのか?)

 

 

 

 

 

 

 

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映画の撮影が進んでいた頃、一度現場を、見学させてもらう機会を頂いた。

 

 

 

 

撮影現場である、日本のクラブ(ディスコ)にお邪魔した。

 

 

 

 

 

 

僕は、芸能界はめちゃくちゃ華やかな世界だったと思ってた。

 

失礼ながら、映画も1、2回リハーサルをして、ポンポン本番で撮影していくものだと思っていた。

 

 

 

 

その日に映画の撮影現場をみた、僕は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 


むちゃくちゃ長い・・・・

 

 


マジで、何回リハーサルやるんだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が想像していた華やかな世界ではなく、愚直に同じ事を繰り返しながら、より良いものを作ろうとしているプロの集団がいた。

 

 

 

 

 


その中でも、強烈に覚えているのは

 

 

 

 

こんにちは!

 

 

 


まるでちょっとした友達の様に、フランクに接してくれる窪田正孝さんが、

 

 

 

演技になると、

 

 


むちゃくちゃ顔も、雰囲気も、発しているオーラも一瞬で変わったことだった。

 

 

 

 

もうだいぶ前の事だけど、こういう人を天才と言うのだろうと思った。

 

 

 


ただただ、目の前のことに対して努力して、毎日ベストを尽くす。

 

 

 

 

華やかにみえている芸能界でも、映画でも、医療でも、本でも、やる事は、変わらないんだなぁ。

 

 

 

 

嬉しい様な、なんだか自分も頑張らなきゃいけない様な気がして、

 

 

 

撮影現場をみさせて頂いた後、

 

 

 

 


国家試験、エイズドキュメンタリーそれでも運命にイエスというの制作を頑張ろうと思えた。

 

 

 

 

映画公開以降は、向井さんたちと、忘れられないプロモーションがはじまった。

 

 

 

 

 

 

最後に、だいぶ前の事で、恐縮ですが、窪田さんに拙著「それでも運命にイエスという。」を献本させてもらったら、ブログで紹介して頂いた事があった。どれだけ良い人なんだと、思って、ずっと応援しようとあの時思った。

 

佐野和真 窪田正孝 松岡佑季オフィシャルブログ「改造劇」 それでも運命にイエスという。

 

僕は今でも窪田さんのファンで、ダイハツのロッキーを買おうか真剣に悩んでいるんだ。

 

 

 

 

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まとめ:どの世界でも、きっと原理原則は一緒。

    毎日ベストをつくして、コツコツ、積み重ねていくこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 
僕たちはヒーローになれなかった。

けれど

みんなと一緒になら、目の前の命を救うことができる。



NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

 

 

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素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part4

向井さんの事を、書いたらブログのアクセスが跳ね上がった。

 

さすが向井さん・・・

 

 

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向井理さん主演が決まると、映画化までのスピードがそれまでと比べられないほど、すすんでいった。

 

 

 

 

そんなある日、東映ビデオの佐藤さんから電話がかかった。

 

 

 

「映画の関係者の方に葉田くんの思いを話してくれませんか?」

 

 

 

 

パソコンをもって、練馬にある東映の撮影所に向かった。

 

 

 

 

若気の至りと言いたい。今はそんな事しないと言い切れる。

 

 

 

その時の僕は、少し変だった。

 

 

 

カンボジアを舞台にした映画をつくる、HIVと共に生きる方々の事も映画にでる、ツールスレンも通訳のブティさんのお父さんが亡くなった事も、ポルポトの大虐殺の事も映画にでる。

 

 

 

その方たちに、迷惑をかけてはいけない。人の命にふれる場面がある。

 

 

講演を聞いて頂き、「良かったですよ。」気をつかって頂いたそんな感想より

 

心に刺さって、色々批判があったり、感動しましたとか、そんな感想が欲しかった。

 

向井理さん、松坂桃李さん、窪田正孝さん、柄本佑さん、映画関係者の方々に真剣に聞いて頂きたかった。

 

 

 

 

東映の撮影所に通して、頂き、入り口から最も奥にある建物にある入り、二階に通され、俳優の方々、映画の関係者の方々待ってくださっていた。

 

 

 

 

 

もう一回言います。

 

 

 

若気の至りと言いたい。今はそんな事しないと言い切れる。



その時の僕は、少し変だった。

 

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挨拶もそこそこに、僕は服を脱いだ。

 

 

トランクスだけになって、服を脱ぎすてた。

 

 

 

自分には、何もない。とにかく、自分の話を聞いてくださいと、自分の覚悟を当時は見せたかったんだと思う。(今の自分でも、カバーできない・・・)

 

 

 

 

 

 

服を脱ぎ捨て、叫ぶ様に講演をはじめると、深作監督は笑顔で、僕をみつめていた。

 

 

 

向井さんは、鋭い眼光でみていた。

 

 

 

 

僕は、なんだか恥ずかしくなった。

 

 

脱ぎ捨てた服を拾いなおしたか、裸のまま講演したかは、もう覚えていない。

 

 

 

きまずくて、俳優の方々の顔はみれなかったけれど、全身全霊をかけて講演した。

 

 

 

どれだけこの映画がカンボジアの影響をあたえるか、当事者の方々が大きな悲しみを背負ってきたか。

 

 

 

 

 

20分程度講演して頂き、着衣し、打ち合わせの会場をあとにし、外に用意してくださったタクシーに乗り込んだ。

 

 

 

 

向井さんの鋭い眼光が忘れられなかった。

 

 

怒らせたかな?はー、どうして僕は事しちゃうんだろうな。

 

 

 

普通に講演すれば、良かったかな。

 

 

 

タクシーのまま、ため息をなんどもつきながら、最寄りの駅にむかった。

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後日、向井さんに「怒ってましたか?」と聞くと、「いや、映画で演じる人を仕草とか動きをしっかり見ていた。」

 

 

 

と、どこまでもプロ意識が高い方だった。

 

 

 

 

 

 

 

後日、深作監督とまた、お話させて頂く機会があった。

 

 

 

葉田くんが最後のシーンで伝えたい事は何かありますか?という事だった。

 

 

 

僭越ながら答えた。

 

 

 

 

「小学校を一つ建てたところで、子供たちの人生が変わるか分かりません。僕たちが全面的にとても良い事をした、といえば嘘になります。でも、開院式で、僕たちと子供たちが笑った事だけは、誰に何を言われても真実です」

 

 

 

 

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(学生時代。)

 

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(医師になってから)

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まさか、映画で向井さんたちが服を脱ぐことも、最後のナレーションで僕の意見を採用して頂けるとは思っていなかった。





 

 

まとめ:大人になれば凄い人をたくさん知り、できなくなる事がある。

    若いからこそできる事がある。 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


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医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

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素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part3

 

 

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東映ビデオの佐藤さんから、「僕たちは世界を変えることができない」の映像化について、大学5年生の時に連絡をもらい

 

 

はっきり覚えていないけれど、日暮里の駅の近くの、ドトールの2階でお会いした。

 

 

正直、僕は生まれてから、芸能関係者、芸能人というものに、ほとんど会った事も話した事もなかった。

 

 

 

映像化について、違う芸能関係者にもお会いしたことがあったのだけれど、

 

 

「葉田くん、その日テッペンまでいけるの?」

 

「スケジュール、フィックスするよ」

 

 

と業界用語もあり、よく分からず、なんだか佐藤さんに会う前にめちゃくちゃ緊張した。

 

 

 

 

 

東映ビデオの佐藤さんは、そんな業界用語は全く使わず、ドトールでお会いした時、失礼だけれど、ただ良い人そうだなぁと思った。

 

 

そして、映画が大好きで、めちゃくちゃ映画にあつい人で、恰好良くみえた。

 

 

 

佐藤さん「今度、深作監督と会って、話そう。」

 

 

 

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ドトールでお会いした後、僕はツタヤに直行し、深作監督の映画を全部借りた。

 

 

 

あの仁義なき戦いのご子息で、バトルロワイアルⅡの監督さんなのか!

 

 

その日、「同じ月を見ているという」映画に、感動して泣けた。

 

 

 

数週間後・・・・

 

 

 

 

僕は、深作健太監督が本当に来るか疑問を持ちまくり、お顔をネットで検索し記憶してから、お食事会に向かった。

 

 

スーツにした方がいいのか、ジーパンは失礼かな、さすがに襟付きシャツかな・・・

 

服装まで散々考えたあげく、結局背伸びしても仕方ないと、普段着でのぞむ事にした。

 

 

 

有楽町の近くの、地下にある小料理屋で、東映ビデオの佐藤さん、深作健太監督とお会いした。

 

 

 

 

「本当に、深作健太監督がきた!!」

 

 

 

 

生ではじめてみる芸能人に、この時、この話が詐欺や嘘ではなく、はじめて、本当に自分の本が映画になる可能性がある事に気づいた。(めちゃくちゃ遅い・・・)

 

 

 

 

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とにかく、緊張しすぎて何を言ったかあんまり覚えていない。

 

 

深作健太監督は、とても物腰柔らかい方で、医大5年生の戯言をうんうんと、優しく聞いてくださった。

 

 

 

僕は、一つだけ、深作監督に僭越ながら伝えた。

 

 

 

「どうか、僕を恰好悪く描いてください。カンボジアに箱ものである小学校を一つ建てたところで、何も変わらないかもしれません、それに対する批判をたくさん、いれた映画にしてください。」

 

 

 

 

3時間程度あつい話をかわし、深作監督と、東映ビデオの佐藤さんと別れた。

 

 

 

 

あの日、僕は心に深く思った。

 

 

 

 

「この人たちなら、きっと思いをまっすぐ伝えてくれる。」

 

 

 

 

 

映画化はもう僕の手の届く範囲ではない、全てお任せして、僕のやるべき事をやろう。

 

 

 

そう思い、僕は「それでも運命にイエスという。」というカンボジアエイズドキュメンタリーの製作と、実習に取り組んだ。

 

 

 

https://www.amazon.co.jp/それでも運命にイエスという。-小学館文庫-葉田-甲太/dp/4094086579

 

 

 

 

 

それから数か月後・・・・・・

 

 

今でも、あの景色を僕ははっきり覚えている。

 

 

 

 

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関連病院がある山形で、病院実習をさせて頂いている朝に、佐藤さんから電話がかかってきた。

 

 

 

僕はちょうど、テキストを取りにもどるため、築50年は超える極寒の病院の宿舎に戻っていた。

 

 

 

 

 

佐藤さん「葉田くん、映画にでてくれる俳優さんが決まりました。」

 

 

学生葉田「はい。」

 

佐藤さん、一人ずつ、出現してくださる俳優の方々のお名前を頂いた。

 

ちょうど、なにげなく、僕は宿舎のテレビをつけていた。

 

 

佐藤さん「向井理さん・・・・」

 

 

学生葉田「すみません・・・存じ上げません・・・」

 

 

佐藤さん「ゲゲゲの女房にもご出演されていて、ウルルン滞在記でもカンボジアに行かれた経験をお持ちです。」

 

 

 

テレビのチャンネルをNHKに変えると、ちょうど、ゲゲゲの女房が流れていた。

 

 

はじめて拝見した時、向井さんは、めちゃくちゃイケメンで、めちゃくちゃ顔が小さい方だと思った。

 

 

 

松坂桃李さん・・・窪田正孝さん・・・柄本佑さん・・・・」

 

 

 

そうそうたるメンバーが並んでいる僕は、芸能関係に疎い僕は、気づいていなかった。

 

 

 

学生葉田「分かりました、ありがとうございます。」

 


電話の後、僕はNHKゲゲゲの女房に出演されていた向井さんをずっと拝見した。

 

 

 

なんだか、イケメンでとても聡明そうな方だな・・・

 

 

 

山形で実習している、極寒の病院宿舎で毛布にくるまりながらテレビをみている医大生が

 

 

テレビの中の向井理さんに、本当につながるのだろうか。

 

 

ゲゲゲの女房が終わると、強烈に空が晴れて、太陽が部屋に差し込んだ。お借りしたPHSに指導してくださる先生から電話かかってきた。

 

 

「葉田くん、今どこにいるの?」

 

 

 

「あっ、すみません、すぐ戻ります。」

 

 

 

 

宿舎のテレビを消して、玄関の扉を開けて、空を見た。

 

 

 

 

やっぱり、めちゃくちゃ晴れていた。

 

 

夢みたいだなぁと、あの日、山形で24歳の時に思った。

 

 

 

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まとめ:浮かれず、調子に乗らず、一歩ずつ。

 

 

 

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

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素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part2

 

昨日書いた記事を意外と、当事者たちが読んでいて、連絡をもらった。

 

今一緒に活動していなくても、昔一緒にやってた事は変わらないから、僕にとってはいつでも良い思い出だ。

 

 

あの時、どうもありがとう。

 

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2008年3月、大学4年生の時に、「僕たちは世界を変えることができない」を借金だらけで、自費出版した。

 

 

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保管する場所もなく、一時的に僕のアパートが、本であふれかえった。

 

 

 

3000冊を見ながら、めちゃくちゃ後悔した。

 

 

朝起きても、売れる保証なんて、全くない自費出版の本が自分の部屋を覆いつくしている。

 

朝起きても、ため息しかでない。

 

本を見て、ふてくされて再度寝て、また起きても、本がある。

 

当初のカンボジアの小学校の継続支援のために、本をだそうなんて、考えはもう正直ほとんどない。

 

 

 

 

 

この自分の部屋を覆いつくす自費出版の3000冊をどうするか。

 

 

 

 

そんな解決策をすぐに思いつく訳もなく 、自分の考えられる行動をまずは、やってみた。

 

 

 

とりあえず、本屋さんに置いてもらわなきゃいけない。

 

 

 

 

スーツを着て、まずは書店を一人で、まわる事にした。

 

 

 

 

 


学生葉田「すみません、この度本をだしまして・・・」


書店員さん「どなたでしょうか?」


学生葉田「日本医科大学医学部4年の葉田と申します。」

(名刺すらない・・・)


書店員さん「えーっと学生さんが、何の御用でしょうか?」


学生葉田「この本を・・・」


書店員さん「考えときますねー」

 

 

 

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そもそも、学生が自費出版した本なんて、置いてくれる訳がない。

 

 

 

何回も足を運んで、「この本絶対売れるので置いてください!」と何度も何度も頭を下げた。

 

 

辛かったのは、なんとか書店に置いてもらったものの、書店でほとんど売れずに何回も書店員さんを失望させた事だった。

 

 

 

「売れるって言ってたのに、全然売れないじゃん。もう来なくていいから。」

 

 

 

そう書店員さんに言われた時は、自分の力不足と、書店員さんへの申し訳なさがとてもあった。

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何度も通い置いてもらった本屋さんで、時に罵倒されて帰ったら、山積みの本が家にある。

 

 

ため息をつきながらでも、同じ失敗を繰り返す事だけはしてはいけない。

 

失敗したらなら、それを分析して違う方法をためすしかない。

 

 

 

規模の小さい話で恐縮だけれど、

当時流行っていたMIXI経由で、amazonから、学生さんが本を少しだけ買ってくれていたのを見た。

 

 

 

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色々な人に買ってもらうのは難しくても

 

同じ学生さんなら読んでくれるかもしれない。

 

大学生生協をまわって、本を置いてもらう事にしよう!

 

 

 

そう考えた僕は、同級生の芝田と、同じサークルの直子さん、なおよしとレンタカーを借りて

 

 

春休みに関東の生協をまわる短い旅にでた。

 

 

 

みんなでスーツを着て、ひたすら、大学生協で頭を下げた。

 

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4人の男女の学生が、ヨレヨレのスーツを着て関東の生協をまわるという異様な光景があり

 

ちょこちょこと、置いて頂ける生協が増え、当時活動していた、学生国際協力団体のSIVIOやCREDOなどにも協力してもらい、徐々に借金だらけで出版した「僕たちは世界を変えることができない」は、少しだけ売れていった。

 

 

 

 

 

 

 

頭を下げる、そんな地道な作業をなんども続けて、なんとか2000冊程度、売れた。

 

 

 

 

 

 

3000冊まであと1000冊・・・というか約40万の借金・・・

 

 

 

 

思いつく方法はすべて、試した・・・・

 

 

 

自分が頑張る方法ではもう限界があった。

 

 

 

なにか、本を売る方法がないか、書店に置いてもらえるか、その後調べていくと

 

 

 

 

当時書店へFAXダイレクトメールを送るという営業があった。

 

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注文書とチラシが一体となった1枚のFAXを全国の書店に送って、注文をとるという方法だった。

 

 

 

そして、そのFAXダイレクトメールで注文をとるためには、テレビに出演した方法が良いという事であった。

 

 

1日がかりで、素人がテレビに出られるが番組を調べると・・・

 

 

当時、NHK 一期一会という意見の異なる二人が30分程度、議論するという番組があった

 

 

 

諦めるのはいつだって、できる。どうせ、諦めるなら、可能性が低い事でも、すべてやってから諦めればいい。

 

 

 

世界を変えられる!なら、きっと出演できないだろうなとも思い、世界を変えられないという立場で、応募してみた。

 

 

 

 

 

 

一週間後・・・

 

 

 

 

 

出演のメールがきて、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと「世界を変えられるか」というテーマで出演する事になった。

 

 

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再放送も含めて4回ぐらいNHK 一期一会でその模様が放送された。

 

 

 

 

それをもってFAXダイレクトメールを作成し、結局増刷しなきゃいけないほど2000冊程度を注文をとることができた。

 

 

 

 

 

いつしか、僕は大学5年生になっていた。

 

 

 

やっと、借金・・・・じゃなかった・・・3000冊が売れた。

 

 

 

カンボジア小学校建設について本を書いてみよう。そう思ってから、なんどもうまくいかずに、ようやく自費出版だけれど、たくさんの方のおかげで、結局5000部売る事ができた。

 

 

 

 

大学の実習から、帰ってきたある日、メールを開くと、自費出版のパレートいう会社の下牧さんからメールがきていた。

 

 

 

 

「葉田くん、東映ビデオの佐藤さんから、映像化についての話が来てますよ!!」

 

 

 

なんとも失礼な話だが、東映ビデオが東映と関係している事を当時の僕は知らなかった。

 

 

 

正直、メールの意味が全然分かっていなかった。

 

 

 

 

なんとも失礼な話だが、よく分からないメールがきているなぁ、怖いなぁと

 

東映ビデオの佐藤さん、深作健太監督に会うまで、これから自分にどんな事が起こるのか

 

 

全然分かっていなかった。

 

 

 

今思えば、自費出版の会社のパレードの下牧さん、東映ビデオの佐藤さん、深作健太監督、あの時僕は、ただただ出会いに恵まれていた。

 

 

 

www.p-press.jp

 

 

 

 

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まとめ:同じ失敗をしない。

    失敗を分析して、うまくいくまで、ひたすらやり続ける。

 

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

f:id:kotahada:20191205233621j:plain

 

 

映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

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素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part1

昨日は、タンザニアで色々な事を書いた。

 

命の話をするとちょっと、だいぶあれなので、閑話休題させてもらって

もうちょいライトなやつを書こうと思う。

 

 

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もう10年ぐらい前の話だから、今の状況にあてはまるか、分からない、

 

今ならネットでバスる→出版の流れが多いのかもしれない。

 

 

 

 

 

2006年当時、医大の3年生、22歳(1浪しているのだ)だった僕は、カンボジアの小学校継続支援のために、本を書くことを、なぜか思いついた。

 

 

 

 

 

本など、書いたことある訳がない。国語の授業で点数が良かった訳でもない。

 


ただ、カンボジアの通訳のブティさんの話、ツールスレン虐殺博物館色々な小学校建設までの経緯を世の中に、人に伝えなきゃいけないと、壮大な勘違いをしてしまった。

(今も、その気はあるけれど・・・)

 

 

 

 

当時、22歳の僕は

 

 

 

 

 

「これだけ、世の中に本があるんだから、本をだすための本があるはずだ。

 

なぜか無駄に確信して、新宿の大型書店にいった。

 

 

 

学生葉田「すみません、本を出版するための本を探しています。」

 

 

書店員さん「ちょっと探しますね・・・・」

 

 

 

・・・・・5分後

 

 

 

書店員さん「ちょっと、見当たらないですね。」

 

 

 

学生葉田「マジっすか?!。」

 

 

 

若気の至りというのは、恐ろしい。当時の僕は、書店員さんが知らなかったのだと(すみません・・・)と思い

 

ノートパソコンを使って、本をだすための本を探した。

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1時間程度すると・・・・

 

 

 

 

 

あった!

 

https://www.amazon.co.jp/自分の企画を本にしよう-―出版社に採用される「企画書-サンプル原稿」はこうつくる-畑田-洋行/dp/4769608764

 

早速、本を注文し、何度もポストを確認するほど、その本が届くのを待った。

 

 

後日その本を熟読し、全く社会人経験のない、何なら多少常識も欠如もしていた当時の僕にとってはとても、有難かった。

 

 

 

「まずは、1~2枚で企画書をつくるのか」

 

 

ふむふむ。

 

「直接営業は嫌がられるのか」

 

「送り状、目次、サンプル原稿をつけた方がいいのか」

 

ふむふむ。

 

 

今思えば、突っ込み所満載だけれど、当時の僕は真剣に

 

本に書いてあるのに忠実に企画書等を書き

 

 

インターネットに記載されている出版社、30社ほどに送る準備を

 

 

授業の合間をぬって、1週間程度で、整えた。

 

 

本をだそうとしているなんて、恥ずかしくて、当時誰にも言えなかった。

 

 

 

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企画書が入った出版社あての30ほどの封筒を、ポストの前でパンパンと手を叩いて、神頼みしてから投函した。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・2週間後

 

 

 

 

出版社、2社からメールでご連絡を頂いた。

 

 

 

飛び上がるほど、嬉しくて、この本に何度も感謝した。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の企画を本にしよう-―出版社に採用される「企画書-サンプル原稿」はこうつくる-畑田-洋行/dp/4769608764

 

 

 

ちなみに、この著者と何ら関係ありません。でも、僕は今でも感謝しています。

 

 

 

 

 

後日ヨレヨレのスーツを着て、吐きそうになるほど、緊張しながら、生まれて初めての出版社を訪れて

 

「とりあえず、書いてみてよ」と

 

 

と当時の編集長から、お声がけを頂いた。

 

 

 

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意気揚々と、原稿に取り掛かったものの、楽しくできたのは、ここまでだった。

 

 

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書いても書いても、編集長からOKがもらえない。

 

 

 

「葉田くん、これ文章じゃないよ、ただのメモ、ポエムだよ。」

 

 

「こんなの売り物にならない。」

 

 

「もう一回書いてみて×20」

 

 

 

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ひと様からお金を頂くこと、作品を世の中に発信する事、そんな事を教えてもらいながら、1年がすぎ、僕は大学4年生になっていた。

 

 

 

原稿に行き詰まり、当時住んでいた、千駄木の駅前にある二階の居酒屋に編集長に飲みに連れて行ってもらった。

 

 

 

 

僕はその方に、教えてもらった金言を未だに大事に思っていて、それを守れているか分からないけれど、今でも守ろうとしている。

 

 

 

 

「葉田くん、基本的には物語には、起承転結があって、それぞれに中にも起承転結があるんだよ。」

 

 

 

 

「人によっては、隠したい事、言いたくない事を、本当の心の底の気持ちを、人は読みたいんだよ。」

 

 

 

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結局、1年半たっても、「僕らがカンボジアに小学校を建てた理由」という原稿は完成しなかった。

 

 

大学が終わった後、誰にも言えず、一人で書いていた日々が今では懐かしい。

 

 

 

「この原稿じゃ厳しい、出版はなかった事にしよう。」

 

 

 

そんな事を結局、その半年後に通達された。

 

今ではその編集長に対して感謝しかない。

 

 

1年半近く毎日毎日書いた原稿、出版がボツになった。

 

 

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どうせなら、「僕たちがカンボジアに小学校を建てた理由」という書いた原稿を、自費出版しようと、自費出版の会社にもっていった。

 

 

 

 

 

話をもっていった自費出版の会社が、後に詐欺会社で訴えられて倒産した会社だった。

 

 

 

 

「葉田さんの文章すごいですね、センスの塊ですね、めちゃくちゃ原稿も感動しました!」

 

「つきましては、200万円を今週までに・・・・・」

 

 

 

人間落ち込んでいる時に、甘い言葉をかけられると、そちらに行ってしまいそうになる時がある。

 

 

 

 

詐欺の会社に騙されそうになった事もあった。

 

 

 

 

次に幻冬舎自費出版の会社にいった、当時はたしか300万円程度費用でかかった。

 

 

自費出版で、こちらがお金を払うけれど、

 

 

「出版ってのはね・・・」

 

 

「君の原稿はね・・・・」

 

 

 

「大体ボランティアや国際協力の本が売れる訳ないんだよ・・・・」

 

 

 

 

 

話を聞きにいったはずが、1時間程度説教されて帰って、帰り道で悔し涙を流した。

 

300万円なんて、大金を払えるはずがなかった。

 

 

 

もうこれで、ダメだったら、辞めよう・・・

 

 

最後に、パレートという新しい自費出版の会社が見つかった。

 

www.p-press.jp

 

 

元々、デザインの会社が母体となっているその会社の事務所は、当時東京駅のマンションの一室にあった。

 

 

 

それまでで訪れた、自費出版の会社で、最も小さいオフィスだった。

 

 

下牧さんという、可愛くてきれいな女性にご対応頂いた。

 

 

 

言語化するのは、難しいけれど、下牧さんが良い人だった。

 

 

自費出版するなら、この会社でだしたい。

 

 

 

そう思ったけれど、3000冊で当時120万円の印刷費がかかるといわれた。

 

 

 

自費出版の会社では当時、最安に近い料金だった。

 

 

 

120万円

 

 

 

 

 

その金額にビビりながら、帰宅した。

 

 

 

 

 

 

家に帰り、もう諦めようと思った。2年弱毎日毎日、頑張っても一向に結果はでない。

 

 

詐欺の会社につかまりそうになるし、延々と説教されるし、本が3000冊も売れる根拠も全くない。

 

 

 

 

 

当時、一緒に活動していた、サークルの友達の直子という女の子に伝えた。

 

 

 

「色々、2年間近く自分なりに、頑張ったんだけど、無理だった。出版は諦めます。」

 

 

近しい人に、本を出版するといっていた僕は、オオカミ少年の様になっていた。

 

 

2年間近く、本を出版すると言い続けて、結局出版できなかった。

 

 

恰好悪かった。そばで応援してくれた、その女の子に素直に謝った。

 

 

そうすると、全く予想しなかった反応が返ってきた。

 

 

 

 

「私は、私みたいに悩んでいる人のためにも、葉田さんの本を世の中にだしたい。」

 

 

 

と涙を流しながら、言った。

 

 

ものすごく狭い、かつ昔話で恐縮だけれど、当時MIXIが流行っていた。僕の日記には、いつも高橋直子の、足あとがあって、僕の文章になぜかいつも元気をもらっていたという事だった。

 

 

 

本当に涙を流して泣くのに、驚きつつ、その時に半分ヤケクソになりながら、覚悟が決まった。

 

 

 

 

「誰に何を思われても良いから、ただこの人のためだけに、本を書いてみよう。」

 

 

 

 

2年弱かけて書いた「僕たちがカンボジアに小学校を建てた理由」という原稿をパソコンから消去した。

 

 

 

くるりのロックンロールと、サンボマスターの美しき人間の日々と、銀杏BOYZの東京と、weezerを爆音で聞きながら、一から書き直して1日で書いた。

 

 

 

 

他の人にどう思われても良いから、国際協力やっている人にキレられるだろうなと思いながら、もはやそんなのどうでも良いと思って、一人の色々悩んでいる20歳の女の子に向けて、書いた。

 

 

 

題名は大好きな銀杏BOYZの曲から拝借して「僕たちは世界を変えることができない。」とつけた。

 

 

 

 

 

20代前半の将来への希望と不安が混ざった、もう二度と書けない、心の叫びみたいな、なんとも言えない原稿を書いた。

 

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2008年3月、120万円ローンを組んで、「僕たちは世界を変えることができない」を

3000冊自費出版した。

 

 

 

この時、将来5000部売れる事も、映画化になる事も、自宅のアパートで全く想像できていなかった。

 

 

もうすぐ僕は大学5年生になろうとしていた。 

 

 

 

あの時泣いてくれた人がいなければ、本も、映画も、色々な人との出会いも、すべてなかったんだと思う。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

 

 

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ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください。2018年5月1日

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タンザニアは赤道近くにあり、とてもずっと暑いと思っていたけれど、夜はむしろ肌寒く、長袖を着るほどだった。

 

 

朝起きてみると、蚊帳の中に、蚊がいる事に、気づきそこら中を刺された事に一瞬で気づく。

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蚊にとっては、パラダイスな環境だ。デング熱マラリア・・・色々病名が浮かぶが。

 

今考えても仕方ない事は仕方ない。

 

 

ひとまず、桶にとまった水で顔を洗い、身支度を整えて、タンザニアの僻地にあるゲストハウスの朝食を頂く。

 

 

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きっと、現地の方にとっては、相当豪華な朝食を頂き、車に乗り換え、国際NGOワールドビジョンのスタッフの方と共に、新病院建設予定地に向かう。

 

 

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車で2時間ほどすると、タンザニア、タンガ州クウェディモマ地区にある建設予定地に到着した。

 

 

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公的な医療施設が存在しなかったその地域では、2~4時間かけて、隣の村まで通う事状況が続いていた。そんな状況を改善しようと、住民が自らの力で資金を募り、建設しようと試みたが、資金難などもあり、建設は数年前にストップしていた。

 

 

 

 

ゆるやかな斜面に広がる広大な土地と、建設途中の建物をみると、本当にここに病院がたつんだろうか、と疑問とワクワクとする気持ちが混在していた。

 

 

 

建設予定地を視察した後、村の集会場に案内して頂き、村人の方と会合を行う事となった。

 

 

 

 

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住民の方々、赤ちゃんを亡くした、お母さんを亡くした話など、クウェディモマ地区の窮状を一人一人お話された。

 

 

どれも、心にくるものであったけれど、やはりこういった会合では、男性で、立場の強い方、ご年齢が上の方から意見を発しやすい。

 

 

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「女性で、特に若い方で、何かお伝えしたい事がある方いらっしゃいますか?」

 

 

 

この質問も、自分でも微妙だと思った。若い女の子で、100人はいる会合で、自分の考えを話すなんて、とても勇気のいる事だから、

 

 

自分の発言に若干後悔しながら待つと、一人のすらっとした少女が、後ろ方から前にでてき、僕の方をまっすぐ見ながら、発言された。

 

 

 

その姿は、とても勇敢で、自分の16歳とはまるで違った。

 

 

 

まっすぐに立って、まっすぐな目で僕を見ながら、答えた。

 

「私の母親は、産後の出血で亡くなりました」

*1

タンザニア妊産婦死亡の原因は、 産褥出血(34%) • 高血圧(19%) • 他の直接原因(11%) • 敗血症(9%) • 先天性疾患(1%) • 間接的原因(17%) • 妊娠中絶(9%) となっている

 

 

ここで目をそらしたら、悪い気がして、僕もずっと彼女の目をそらさない様にした。

 

 

 

 

「近くに病院がなく、40ドルの移動費を払えずに、亡くなりました」

 

 

 

 

16歳に見えないほど、凛としていた、女の子は途中から泣いていた。

 

 

 

その姿を見ながら

 

 

また、泣いている人がいるなぁと思った、

 

 

カンボジアの時と、同じ様に、家族を失い、泣いている人がいた。

 

 

 

価値観も、食べるものも、肌の色も、学歴も、収入も、生まれた国も違うけれど

 

 

幸福も、この人とはきっと違うけれど

 

 

家族を失う悲しみは、ほとんど全く同じ様な気がした。

 

 

 

 

途中で、その少女は、泣いて、次の言葉が出なくなった。

 

 

 

 

きっと、たくさんの住民の方の前で、自分の母親が亡くなったことを、話すのはどれだけ勇気がいったのだろう。

 

 

 

たくさんの大人の前で、泣くのはどれだけ嫌だったのだろう。

 

 

 

 

それほど、伝えたい思いや、今回の新病院プロジェクトに対する思い入れがあったのかもしれない。

 

 

 

数秒程度たった後

 

 

 

「ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください」

 

 

 

 

そんな言葉を、また僕の目をまっすぐ見ながら答えた。

 

 

 

残念ながら、そんな力は僕にないかもしれない。否定するのも悪いし、完全に肯定していいのかも疑問が残る。

 

 

 

その場を切り抜ける様に

 

 

 

「わかりました。」

 

 

 

と咄嗟に答えた。

 

 

 

一時間半程度の会合を終え、昼食を食べ、午後はその症状の家に詳しくお話を伺う事とした

 

 

 

 

 

 

 

 

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今は祖母と、妹と3人暮らしで、お家は仮住まいだという。

 

 

お父さんは、お母さんが亡くなってから、いなくなってしまったという。

 

 

 

 

1時間程度、インタビューさせてもらた後、最後に16歳の少女は答えた。

 

 

 

 

 

「お母さんにもう会えないのは分かっているけれど、お母さんにもう一度会いたいです。」

 

 

 

その顔は、やっぱり16歳ぐらいの女の子の顔に見えた。

 

 

世界の妊産婦死亡率(MMR)は、1990年には10万人の出生に対して380人の妊産婦死亡だったが、2013年には、10万人の出生に対して210人の妊産婦死亡とかなりの改善が見られたが

*2

 

世界の妊産婦死亡数は、年間30万3000人で、毎日830人、ジャンボジェット機が2機毎日墜落している事になる。

 

 

そして、バングラディシュだけれど、お母さんを失った子供は10歳までに25%程度しか生存できないという論文もある。

*3

 

 

 

 

母親が亡くなる事で、子供が亡くなる可能性が高くなる。

 

 

 

 

 

なんとか、生きてきた。

 

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そんな表現が近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

車でまた、2時間程度かけて、ゲストハウスに戻った。

 

 

 

 

少し休憩をして、なんとも言えない気持ちになりながら、夕食を食べた。

 

 

 

午後9時に、時間通りにお湯をもってきてもらって、昨日のごとく、小さな洗面台で体を洗った。

 

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あとで、どうやって水を温めているのだろうと、見に行くと、ゲストハウスのスタッフの方が一生懸命薪で、あたためてくれていた。

 

 

 

 

綺麗な水があった、近くに病院があった、アスファルトの道路があった。国民皆保険制度があった。

 

 

 

 

部屋に戻り、長袖を着て、今度は寝る前に、蚊取り線香を炊いて寝た。

 

 

 

 

「あれがあれば」

「あんな事があったから」

「もう若くないから」

「経験がないから」

「自分はすごくないから」

 

 

 

 

ベットに入り、16歳の女の子を思い出しながら、自分は今まで、どれだけの言い訳をしてきたのだろうと思った。

 

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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*1:UNICEF:Maternal and Newborn Health Disparities

*2:Dr Lale Say et al. Global causes of maternal death: a WHO systematic analysis, Lancet,May 05, 2014

*3:Effect of parent's death on child survival in rural Bangladesh: a cohort study.
Ronsmans C, et al. Lancet. 2010.