中村哲先生が亡くなった事と、NHKに出演したことと、僕より若い方々へ。
ブログで、今まで色々言えなかった、僕たちは世界を変えることができない。
について書くと
たくさんの人から連絡をもらった。
どうもありがとう。
2019年12月5日、タンザニアから帰ってきて、時差ボケが残っている時だった。
ニュースで、中村哲先生が亡くなられた事を拝見した。
このブログを書いている2019年12月20日でも僕は、まだ心にぽっかり穴が空いていて
未だに中村先生関連のニュースをみると、泣きそうになる。
僕も学生時代、中村哲先生の著書を何度も読んだ。
そもそも、紛争や災害の急性期以外で、人々が必要としているのは、水であったり、仕事であったり、教育であったり、そもそも平和であったり、安定した政治であったりする。
そんな状況を目の当たりにして、医師一人ができる事は、それほど多くない。
でも、中村哲先生は、そんな状況の中で、白衣を脱ぎ、重機にまたがり、時に聴診器を置き、人々と対話しながら、現地にとって何が必要かを第一に考えながら、きっと一歩ずつすすんでこられた。
1年ならきっと、続けられるかもしれない。お金がなくても、危険でも、短期間なら若い時に、活動できるかもしれない。
30年以上になると、もうこれは偉人と呼ぶしかない。
2019年12月5日、タンザニアから帰り、時差ボケが残る中、僕は深作健太監督の舞台である「里見八犬伝」に恐縮ながら、ご招待を受けて
僕は、東京の明治座というところにいた。
明治座は、おそらくファンの若い女性ばかりで、緊張しながら、舞台を拝見した。
大人の本気をみせられた様だった。
そして、最後の言葉は、なんだか深作監督の感じがして、とても嬉しくて変わっていない様な気がして、何だか泣きそうになった。
自分も頑張らないといけないと、身を引き締めて、原宿に向かった。
僕は、人込みが苦手で、普段、原宿なんてまず行かない。
そんな時に、NHKからNPOあおぞら経由で電話がかかってきた。
「中村哲先生の意思を受け継ぐ一人として、コメントをしてほしい」
大層な話だなと思った。
自分より、適任な人はたくさんいる様な気がしたけれど、タンザニアから帰ってきて、ちょうど滅多にいかない原宿に向かっていて、何かの縁な様な気もして
原宿の用事を整理して、渋谷に19時頃に向かった。
「僕たちはヒーローになれなかった。」で中村哲先生の事も少しだけ書かせて頂いた関係もあって、あさ出版の吉盛さん、古垣さんにも来て頂いた。
NHKのインタビュアーの方が、おっしゃった。
「中村先生に影響を受けて、30代で、色々な結果をだしている葉田さんだから、今言える事があると思うんです。」
(いや、そんな事ないっすよ・・僕なんて・・・)
と言いかけた。
でも今まで亡くなった方を思いだした。
日本の病棟で、担当させてもらって、自分より年下で、亡くなった患者さん。
僕よりも2世代上の、もうお亡くなりになった国際協力、国際保健に尽力してきた医療者の方々。
調子にのっているかもしれないけれど、そんな方々が頭にうかんだ。
そんな事を考えながら、恐縮だけれど、自分なりに、一生懸命答えた。
グローバルファンドの國井修先生、NPOロシナンテスの川原尚行先生、最近活動をほとんど拝見できなくなった、宇宙船地球号の山本敏晴先生など
僕はたくさんの先生に憧れ、その先生方の話が、血と肉になり、これまでやってきた。
そんな先生方が亡くなり、発信できなくなり、
僕はいつも
葉田さん、すごいですね!と言われるたびに、もっとすごい先生方がいる事を知っていたので、その先生方を紹介したくなった。
でも、きっと、それはもう違うのだ。
自分がそんな先生方と肩を並べていると、微塵も毛頭思わないけれど
あの日、昔、僕が中村哲先生に憧れた様に
若い方々が、僕に同じ様な何かを感じてくれている方が、少ないかもしれないけれど
きっと、あるのだ。
時間はたっていく、時代は流れていく。
中村哲先生がお亡くなりになり、たくさんの素晴らしい方々から影響を多大に受けたものがある。
だから、ものすごい恐縮だけれど、僕は僕で一生懸命頑張って、下の世代に、その一部で伝えていかなきゃいけないのだ。
小さい頃に、憧れた先生の様になれる様に、背伸びしながら日々成長して、僕らしくその役割を全うしなきゃいけないのだ。
全部、勘違いかもしれないけれどさ。
この前、東京でイベントがあった。僕よ若い世代のNPOコンフロントワールドの荒井くんと、講演させてもらった。
講演の後、何人かの方に、憧れですと言って頂いた。
「ありがとうございます、憧れになれる様にこれからも、頑張ります。」
と全くキャラにもない事を言った。
その後、軽く、荒井くん達と飲んだ。なんだか、僕とは少し価値観が違うところもあった。
でも、荒井君たちは笑っていた、これからも彼らは彼らしく活動を続けると思う。
中村先生の100万部の1でも伝えられただろうか。
そんな自信は本当はないよ、勘違いだって知っているよ。
それでも、僕は、今まで凄い先生方から教えてもらった事の一部を若い世代の方にこれから伝えられたら、それはそれで、とても素敵な事だと思うんだ。
だから、色々あるけれど、その分まで頑張っていこうと思う。
まとめ:中村哲先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
頂いたものを次世代にも、つなぐこと。
向井理さん推薦!
~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~
映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。
僕たちはヒーローになれなかった。
けれど
みんなと一緒になら、目の前の命を救うことができる。
NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。
出版記念 47都道府県全国ツアー 第4弾
12月21日(土)14:00~17:15@宇都宮
× 嶋岡鋼 (NPO法人あおぞら アドバイザリースタッフ 小児科・新生児科医 日本周産期・新生児医学会新生児蘇生法(NCPR)インストラクター AAP Helping Babies Breathe Program マスタートレイナー)
出版記念 47都道府県全国ツアー 第5弾
12月28日(土)19時00分~20時45分@宮崎
× 杉本恭佑(株式会社油津応援団 コミュニティマネージャー)
ーヒーローを目指した僕たちの今ー
出版記念 47都道府県全国ツアー 第6弾
2020年1月18日(土)14時00分~16時00分@岡山
×小倉恵美(紬屋旅館女将/元女子アナ/世界一周経験者)
ー僕たちはヒーロになれなかった。それでも世界を動かすチカラー