ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください。2018年5月1日
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タンザニアは赤道近くにあり、とてもずっと暑いと思っていたけれど、夜はむしろ肌寒く、長袖を着るほどだった。
朝起きてみると、蚊帳の中に、蚊がいる事に、気づきそこら中を刺された事に一瞬で気づく。
蚊にとっては、パラダイスな環境だ。デング熱、マラリア・・・色々病名が浮かぶが。
今考えても仕方ない事は仕方ない。
ひとまず、桶にとまった水で顔を洗い、身支度を整えて、タンザニアの僻地にあるゲストハウスの朝食を頂く。
きっと、現地の方にとっては、相当豪華な朝食を頂き、車に乗り換え、国際NGOワールドビジョンのスタッフの方と共に、新病院建設予定地に向かう。
車で2時間ほどすると、タンザニア、タンガ州クウェディモマ地区にある建設予定地に到着した。
公的な医療施設が存在しなかったその地域では、2~4時間かけて、隣の村まで通う事状況が続いていた。そんな状況を改善しようと、住民が自らの力で資金を募り、建設しようと試みたが、資金難などもあり、建設は数年前にストップしていた。
ゆるやかな斜面に広がる広大な土地と、建設途中の建物をみると、本当にここに病院がたつんだろうか、と疑問とワクワクとする気持ちが混在していた。
建設予定地を視察した後、村の集会場に案内して頂き、村人の方と会合を行う事となった。
住民の方々、赤ちゃんを亡くした、お母さんを亡くした話など、クウェディモマ地区の窮状を一人一人お話された。
どれも、心にくるものであったけれど、やはりこういった会合では、男性で、立場の強い方、ご年齢が上の方から意見を発しやすい。
「女性で、特に若い方で、何かお伝えしたい事がある方いらっしゃいますか?」
この質問も、自分でも微妙だと思った。若い女の子で、100人はいる会合で、自分の考えを話すなんて、とても勇気のいる事だから、
自分の発言に若干後悔しながら待つと、一人のすらっとした少女が、後ろ方から前にでてき、僕の方をまっすぐ見ながら、発言された。
その姿は、とても勇敢で、自分の16歳とはまるで違った。
まっすぐに立って、まっすぐな目で僕を見ながら、答えた。
「私の母親は、産後の出血で亡くなりました」
タンザニア妊産婦死亡の原因は、 産褥出血(34%) • 高血圧(19%) • 他の直接原因(11%) • 敗血症(9%) • 先天性疾患(1%) • 間接的原因(17%) • 妊娠中絶(9%) となっている
ここで目をそらしたら、悪い気がして、僕もずっと彼女の目をそらさない様にした。
「近くに病院がなく、40ドルの移動費を払えずに、亡くなりました」
16歳に見えないほど、凛としていた、女の子は途中から泣いていた。
その姿を見ながら
また、泣いている人がいるなぁと思った、
カンボジアの時と、同じ様に、家族を失い、泣いている人がいた。
価値観も、食べるものも、肌の色も、学歴も、収入も、生まれた国も違うけれど
幸福も、この人とはきっと違うけれど
家族を失う悲しみは、ほとんど全く同じ様な気がした。
途中で、その少女は、泣いて、次の言葉が出なくなった。
きっと、たくさんの住民の方の前で、自分の母親が亡くなったことを、話すのはどれだけ勇気がいったのだろう。
たくさんの大人の前で、泣くのはどれだけ嫌だったのだろう。
それほど、伝えたい思いや、今回の新病院プロジェクトに対する思い入れがあったのかもしれない。
数秒程度たった後
「ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください」
そんな言葉を、また僕の目をまっすぐ見ながら答えた。
残念ながら、そんな力は僕にないかもしれない。否定するのも悪いし、完全に肯定していいのかも疑問が残る。
その場を切り抜ける様に
「わかりました。」
と咄嗟に答えた。
一時間半程度の会合を終え、昼食を食べ、午後はその症状の家に詳しくお話を伺う事とした
今は祖母と、妹と3人暮らしで、お家は仮住まいだという。
お父さんは、お母さんが亡くなってから、いなくなってしまったという。
1時間程度、インタビューさせてもらた後、最後に16歳の少女は答えた。
「お母さんにもう会えないのは分かっているけれど、お母さんにもう一度会いたいです。」
その顔は、やっぱり16歳ぐらいの女の子の顔に見えた。
世界の妊産婦死亡率(MMR)は、1990年には10万人の出生に対して380人の妊産婦死亡だったが、2013年には、10万人の出生に対して210人の妊産婦死亡とかなりの改善が見られたが
世界の妊産婦死亡数は、年間30万3000人で、毎日830人、ジャンボジェット機が2機毎日墜落している事になる。
そして、バングラディシュだけれど、お母さんを失った子供は10歳までに25%程度しか生存できないという論文もある。
母親が亡くなる事で、子供が亡くなる可能性が高くなる。
なんとか、生きてきた。
そんな表現が近いのかもしれない。
車でまた、2時間程度かけて、ゲストハウスに戻った。
少し休憩をして、なんとも言えない気持ちになりながら、夕食を食べた。
午後9時に、時間通りにお湯をもってきてもらって、昨日のごとく、小さな洗面台で体を洗った。
あとで、どうやって水を温めているのだろうと、見に行くと、ゲストハウスのスタッフの方が一生懸命薪で、あたためてくれていた。
綺麗な水があった、近くに病院があった、アスファルトの道路があった。国民皆保険制度があった。
部屋に戻り、長袖を着て、今度は寝る前に、蚊取り線香を炊いて寝た。
「あれがあれば」
「あんな事があったから」
「もう若くないから」
「経験がないから」
「自分はすごくないから」
ベットに入り、16歳の女の子を思い出しながら、自分は今まで、どれだけの言い訳をしてきたのだろうと思った。
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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。
NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。