僕たちは世界を変える事ができない2

スーダン→カンボジア→地域医療→長崎熱帯医学→離島医療→カンボジア病院建設。

スーダン② 人と比べる幸せはやめたんよ。 2015年3月8日

夢に向かって生きるというのは、どんな生き方なんだろう。

それには特別な能力や、意志が必要なんだろうか。

 

 

 

スーダンに行く事になった。

 

行くといったが、そもそも、どこ??である。

 

 

 

かろうじて、アフリカという事はわかる。

 

というか、アフリカの国の正確の位置なんて、僕はエジプトと、南アフリカと、エチオピアシエラレオネの4つぐらいしか分からない。地理もっと、勉強しとけばよかった。先生はきっと教えてくれたはずなのに。申し訳ない。

 

 

当時は、エボラ出血熱や、イスラム国のニュースがほぼ毎日でていた。

 

恐る恐る外務省のスーダンの治安情報をみてみると、南スーダンの国境付近は別にして、首都のハルツームは、4つある危険度のうち、一番低いレベル1の「渡航に注意してください。」だった。それほど危険ではなさそうだった。

 

とりあえず、死ぬのはまずい。

 

何より、まず自分が死にたくない。そして、自分が死ぬと、スーダンや、川原先生や、日本国にまで迷惑がかかる。

 

それだけは、避けたい。

 

川原先生に色々聞いたりして、エボラ出血熱の発生状況を確認してから、スーダンに向かった。

 

ビザを取得するのにも、推薦者がいるらしく、事前に東京で取得してから、スーダンに向かった。

 

スーダンには、ドバイ経由で入る。

 

ドバイで川原先生に合流して、ハルツーム航空に入る。

 

入国審査で待っていると

「葉田くん、カメラはバックにしまって置いた方がいい。」

 

「な、何ですか?」

 

スーダンは、NPOのスパイがいるんじゃないかって思っている。空港や政府の施設をバシャバシャとっているとカメラは没収される」

 

海外旅行に何度かいったことがあるが、自由にカメラを撮っちゃいけない国に、はじめてきた。

 

入国に少し時間がかかった後、スーダンハルツーム空港に降りる。

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はじめてのアフリカだ。人類発症の地である。

 

感慨深く、一歩目を考えていると、みんなはもうスタスタと前を歩いていた。

 

今回は、御子息の健太郎くんと、NPOをやっているドウジくんと、小説家志望の片桐くんの4人で訪れさせてもらっていた。

 

 

車に乗り込み、NPOロシナンテスの事務所まで向かう。車内から、スーダンの首都ハルツーム町並みを眺める。

ATMもある、ショッピングモールもある、大きな病院もある。

 

 

発展途上国といっても、首都は栄えている国がほとんどである。

一方、地方にでは、水道も電気も整備されていない。

 

貧困とは、国全体が貧しいということでなく、貧富の差が非常に拡大している事をいうのだろう。

 

はじめて眺めるアフリカの景色に興奮しつつ、30分ほどで、リヤドという比較的に裕福な地域にあるNPOロシナンテスの事務所に着く。

 

NPOのスタッフの方に、ご挨拶し、日本から持ってきたというソーメンをみんなで頂く。

気温が常時30度を超えるスーダンでは、ソーメンが日本で食べるより10倍はおいしい。

 

ソーメンの後、ミィーティングが開かれた。

 

NPOロシナンテスが、行っている母子保健事業、教育事業、スポーツ事業について、話し合いが進められていく。

 

1時間ほどミィーティングが行われた後、みんなでお茶を飲みに行く事になった。

 

 

露店に、コーヒー、紅茶、カルカデと呼ばれるハイビスカステが売っているので、それを頼み、道端に腰掛け、みんなで、お茶を飲む。

 

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お茶を飲むと、辺りは、もう夕方になっていた。

 

事務所に徒歩で帰っている時に、聞きたかった事を聞いてみた。

 

「川原先生、ちょっと聞いてもいいですか?」

 

「葉田くん、先生というのは、もうやめよう。川原さんって呼んでくれ。」

 

変な習慣だと思うのだが、大体お医者さんには先生をつけて呼ぶ。

この時の僕には、なぜ、「川原さん」と呼ばせたのか理由が分からなかった。

 

 

 

「川原先生・・・じゃなく川原さん、なんでこういう活動をされているんですか?」

 

川原先生は間髪いれずに応えた。

「ワシはね、ドキドキしていたんよ。不謹慎かもしれないけれど、こうやって活動する事で、笑ってくれる人がいて、それがとても楽しいんだよ。」

 

その一瞬で返したストレートな答えに、なんだか驚いた。

 

「川原さん、失礼な事言ってすみません。僕も人の笑顔をみられたら、嬉しいです。でも、僕は先生の様に、医務官年収1000万円を捨てて、無給でNPO活動をはじめたなのなら、1~2年は頑張れると思います。でも、10年も活動すれば、お金を稼いでいる人が羨ましく思えたりするかもしれません。やめたいと思うかもしれません。先生は、やめたいと思ったり、誰かを羨ましく思ったりする時はなかったんですか?」

 

 

川原先生は、また間髪いれずに、こたえてくれた。

「うーん。人と比べる幸せは、やめたんよ。」

 

 

「はい。」

アフリカのスーダンを歩きながら、その次の言葉に、全身神経を集中させた。

 

 

「たしかに、友たちにはたくさん稼いでいる人もいる。教授になった人もいる。でもね、もう、人と比べて幸せはやめたんよ。お金は大事だけれど、ある程度稼ぐとそれ以上に稼いでも、幸せには比例しない。今はこうやって、活動しているのが、ワシの幸せなんよ。」

 

その答えを聞いて、次の質問がでてこなくなった。

ただ、笑顔で、まっすぐ僕の目を見て、答えてくれたその言葉に、嘘はない様に思えた。

そして、言葉通り、「幸せ」そうに見えた。

 

その後、「同じ様な事を慈恵医科大学の血管外科教授の小木先生も言っていたなぁ」と話をした後、事務所に帰った。

 

部屋に入り、汗を拭き、新しいTシャツに着替えた後、みんなで近所のレストンに行った。

 

スーダンは基本的にイスラム教を信仰されている方が多いので、お酒はなく、コーラを飲んだ。元々、お酒が弱い僕にはちょうど良かった。

 

ご飯を食べていると、レストランのお客さんや、通行人が一斉に、一方向を向いて、お祈りをしはじめた。

 

イスラム教では、1日に5回メッカの方を向いて、祈る。その一回の様だった。

 

夜でも熱い気温とコーラで何だから酔っ払った様な気分になった後、事務所にもどった。

 

疲れていたので、シャワーを浴びずに、ベットに飛び込んだ。

 

 

「人と比べる幸せはやめたんよ。」

 

今日、川原さんに教えてもらった事を思い出していた。

 

たぶん、幸せは主体的なものだ。

 

その自分の決めた幸せに向かって、シンプルに自分の人生を生きていけたら、本当はどれだけいいだろう

 

 

本当は、どれだけ幸せだろう。

なぜ、僕はそんな事を時々、忘れてしまうのだろう。

 

幸せだなーと、ふと思うのは、誰かからありがとうと言われたり、好きな人と手をつないだり、できない事ができる様になったり、いつも、お金が、かからない事だった様な気がする。

 

 

ご飯を食べられる

朝がくる

夕日がみれる

生きてる

家族がいる

あれがない、自分は駄目だと、思いすぎたら、きっと、今ある幸せも、見逃してしまう。

自分が好きな人と、好きなところにいって、ある程度好きな食べ物を、食べられる。

それだけで本当は、幸せなはずなのに。

 

なんで、僕はその幸せを忘れて、時々人の思う幸せを思い求めてしまうのだろう。

 

そんな事を、思いながら眠りについた。

 

 

 

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