セカイの果ての物語。

 医師 『僕たちは世界を変えることができない。』   スーダン→ラオス→カンボジア→地域医療→長崎熱帯医学→離島医療→カンボジア病院建設

【スーダン国際医療③】 医療の原点。

 

暑い。

マジで暑い。

夜中、汗でビショビショニなりながら、起きた。

 

スーダンでは、昼間太陽に照りつけられた家の壁が熱を蓄えてしまので、明け方になっても室内は軽く30度を超えてしまうらしい

 

もはや、外で寝た方が、涼しくて風もあって気持ちいい。

よく考えたら、日本だって、昔はクーラーはなかったはずだ。人生修行がまだまだ足りない。

 

汗だくのまま悶々と朝になるのを待ち、午前7時頃に一階に降りて、みんなにアサッラームアライクム(心の中に平穏を)と覚えたので変な発音で、挨拶をした後、朝ごはんを食べにいく事になった。

 

露天で、紅茶と、揚げパンに砂糖をまぶした朝ご飯を食べた。コーヒーが飲めない甘党の僕は、とてもおいしい。

 

 

f:id:kotahada:20170627164952j:plain

途上国でも、NCDとよばれる高血圧や糖尿病といった生活習慣病が問題になっているが、目の前においしい物があれば、やっぱり僕だって食べる、

 

朝食を食べた後、イブン・シーナー病院の見学に行く事になっていた。

 

川原さんの

「病院は事務所から、近いから、歩いていこう!」

という鶴の一声で、歩く事になる。

 

外国人が珍しいのか奇妙な眼差しをスーダン人に向けられながら、20分ほど歩くと、イブン・シーナー病院に着いた。

 f:id:kotahada:20170630191207j:plain

 

イブン・シーナー病院は、1985年に日本の無償提供で建設された病院だ

現在は、消化器科、泌尿器科、耳鼻科の三つの科があり、ベット数は150床。

首都であるハルツームで中心的な機能を果たしている病院の一つだ。

 

 

f:id:kotahada:20170703113953j:plain

病院を見学していると、透析室で透析を受けている患者さんがいた。ここは、川原さんが、政府機関、医療機器、医療機関に話を持ち込み、作られた透析室だ。

支援を開始した当初、透析機器の問題というより、その前提の水処理が問題であるという事が分かった。病院の水質の調査をすると、日本であれば、緊急停止するほどのレベルであったという。

 

もちろん、透析を必要としている患者さんにとって、透析を行える施設がなければ、心不全等で、亡くなるのを待つ事になってしまう。まだまだ数は足りていないけれど、透析で救える命があり、その環境を整備するのは、とても大切な事だ。

 

 

 

f:id:kotahada:20170630191411j:plain

 

f:id:kotahada:20170630191315j:plain

 

たくさんの方々の、尽力があり、この病院があり、待っている患者さんの命を救っている。

現場に行って、診察して薬をだしたり、手術をするだけが医療ではなく、こうやって持続可能な範囲で、環境を整えていくことも、それと同じか、それ以上に大事な事なんだろう。

 

 

病院を見学させて頂いた後、暑すぎて、みんなでアイスクリームを食べにいった。リアルにサーティンワン級においしかった。

 

f:id:kotahada:20170703114227j:plain

 

f:id:kotahada:20170703113755j:plain

スーダンは紛争やテロのイメージもあるけれど、スーダンには美味しいアイスクリーム屋さんや、良い人がいっぱいいた。

 

 

 

 

アイスクリームを食べた後、日本で言えば東大にあたるハルツーム大学に向かう事になった。

 

 

 

NPOロシナンテスの文化交流の一環として、ハルツーム大学の中央図書館に、日本文化センターを設立された。

 f:id:kotahada:20170630190709j:plain

 

ここハルツーム大学の図書館の中に

スーダン人にとって日本を理解してもらい、日本人にとってイスラム文化を理解してもらう「場」として、NPOロシナンテスが尽力し、「無東西」という名前の和室が作れた。

 

 

この無東西で、数人のスーダンの学生と話をさせてもらった。

何人かとお話をさせてもらっていると、一人真剣な様子で、僕に質問する学生さんがいた。

「将来、日本に留学したいんだけど、日本ではdiscriminationはある?」

 

Discriminationという単語が、普段使わない単語で、何だか久々に聞いて、一瞬意味が思い出せなかった。

回答に時間がかかっていると、その学生が続けた。

「僕は黒人だし、イスラム国の影響もあるし。」

 

その追加の言葉を聞いて、discriminationの意味を思い出した。

 f:id:kotahada:20170630190734j:plain

 

 

 

イメージの力は大きい。それを払拭するのは、こうやってその当事者と話す事が解決の一つ、なのかもしれない。

現に、僕もここに来る前までは、スーダンに対して、色々なイメージを持っていった。きっと、川原さんは、今までそのイメージと今まで闘ってきて、それを払拭して欲しかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生さんと話をした後、大学の脇にある露店で、カレーを食べた。スーダンでは、食事をする時に、大きな皿を囲んで、そこから取り分けみんなで一緒に食べるらしかった。昔の日本もこうやって、みんなで食卓を囲んでご飯を食べたんだろう。

 

f:id:kotahada:20170703113415j:plain

 

 f:id:kotahada:20170703114835j:plain

 

 

食事の後、慣れない気候で無理すると体調を崩すからとの計らいで、一旦事務所に戻りシャワーを浴びた。

シャワーを捻れば、水がでて、なんだか、少し感謝した。

 

 

 

休憩させてもらった後、ロシナンテスで巡回診療を担当しているターハー医師から、 巡回診療先のヘルスボランティアの、家に招待されているとの事で、支援先の村に行く事になった。 その支援先の村は、首都ハルツームから車で1時間ほどの距離にあった。

 

 

 

 

首都のハルツームをでると、近代的な建物はなくなり、景色は一変した。

車の中から、時々国道のそばに、集落が出現するのに気づく。

「あれは、何ですか?」と僕が聞くと

「難民キャンプからでて、首都に住めない人がこうやって、集落を作っているんだよ。」

と回答を聞く。

難民キャンプ・・・同じ時代を生きている世界で、起きている事なんだと改めて思う

スーダンは、イギリスの植民地時代を経て1956年に独立したが、南を中心に内戦が続き、1980年代には、飢餓も起こり、地域全体の住民が栄養失調に陥った。

栄養不足で、うずくまった子供を獲物としてねらうハゲワシを撮影した、「ハゲワシと少女」が撮影されたのは、南スーダンだった。

 

2005年にようやく包括的合意が締結されたが、教育は行われず、内戦の影響で、人たちは逃げ惑い、飢えに苦しみ続けた。

 

何とも言えない気持ちになりながら、車の中から、車外の光景を眺めた。

 

 

 

 

1時間ほどすると、目的地である巡回診療先のヘルスボランティアのご自宅に着いた。

f:id:kotahada:20170630190646j:plain

 

川原さんのおかげで、僕たちは客人という事で、食事でもてなして頂いた。

 

 

 

食事の後、タンブールという琵琶を小ぶりにして引き伸ばしたような、イスラム圏独特の、弦楽器と、3つの太鼓が一つになったドラムと使い、日本の民謡に遠くないスーダンの音楽を演奏してもらった。

 

その演奏を、僕は見ていると、川原さんのご子息である健太郎くんと、その先輩の銅治くんが、謎のダンスを踊ったり、寸劇をしたりと、その場を盛り上げはじめた。

 

そのノリがスーダン人に、大ウケして、みんなが一斉に踊りだした。

しまいには、長老の様なおじいちゃんが、杖をつきながら、踊りだした。

 f:id:kotahada:20170630191011j:plain

なんだか、美しい光景だなと思った。

 

言葉も生まれも、育ってきた環境も全く違っているけれど、こうやって笑う事ができる。

 

ついには、川原さんと息子さんが相撲をとるという、もはや意味不明のノリになり、盛り上がった。

 

 

ひとしきり盛り上がり、みんな汗だくになった後、川原さんが村民の方にスピーチをした。

 

私は医者です。こうやって、みんなと歌って踊って、医療の原点を思い出す事ができました。病院や診療所における薬をつかった医療も医療と呼ぶべきものですが、この様にみんなで、歌い踊り、そして笑い合い、それも根源的な医療である事に気づかせて頂きました。」

 

スーダンイスラム教の国なので、もちろんアルコールはみんな、飲んでいない。それでも異様に熱狂したパーティーだった。

 

スピーチの後、興奮が冷めないまま、川原さんやご子息と唄を歌いながら、帰った。

 

 

 

病院や診療所で、お医者さんが働く時に、そこには戦争がなく、ある程度の治安があり、上下水が整備され、電気があり、受診に結びつく住民の信頼があり、受診できる社会保証があり、薬や血液を適宜補給してくれるシステムがあり、その他たくさんの方の助けがあって、お医者さんは、活躍できる。

 

 

そうなると、どこまでが、医療になるのだろう。

 

どこまで、医療で解決できるのだろう。

 

 

 

 

帰りの車で、川原さんやご子息の歌を聞きながら、近代的な夜のハルツームを眺めながら、そんな事を思った。

 

 

f:id:kotahada:20170630190755j:plain