僕たちは世界を変える事ができない2

スーダン→カンボジア→地域医療→長崎熱帯医学→離島医療→カンボジア病院建設。

スーダン①  夢のはじまり。  2014年10月25日

小さい頃、国境なき医師団の活動をみた。

テレビの前で、

「いつか、アフリカにいって診察したい」と思った。

 

なぜか、カッコイイと思った。僕は泣きながら、受験勉強をして一郎の末、大学に入学して、すったもんだで社会人になった。

 

アフリカにいって、診察したい。

 

そんな夢が現実を帯び出すと、迷いに迷った。

 

死ぬかも知れない事。日本に患者さんは一杯いる事。給料は5分の1ぐらいになる事。

 

「アフリカにいって、診察したい。」

 

そんな夢はどう考えても、非現実だった、

数年なら続けられるかもしれない。

 

その夢とは違うけれど、国際強力に携われる仕事は、国連やJICA等とか、行政機関で働く方法があった。

 

これなら、安全でもあるし、給料も良い。

 

 

現実的に、考えた僕は、29歳の時に、行政機関で働こうと、大学院の受験のために渡航の準備をしていた。

 

それは、正直なところ、人のためというより、自分の保身を考えた選択だった。

 

 

 

 

 

渡航の準備をしている時だった。

 

そんな時に、熊本大学の講演会で、スーダンで活動している医師の川原先生と出会った。

 

川原先生は、外科医として臨床を積んだ後、医務官としてスーダンに赴任され、スーダンの現状に触れスーダンの人のために何かしたいと、安定した職業であった医務官を退職して、NPOロシナンテスをはじめた。

 

講演会では、熊本大学の講堂のスクリーンには、川原先生のこれまでの活動がうつしだされていた。

 

プロジェクターには、スーダンの巡回診療の様子、井戸建設、学校建設事業、スポーツ事業、何よりもスーダンの方の笑顔をうつしだされていた。

 

それは、僕が小さい頃に、憧れていた夢の光景に、とても似ていた。

そして何より、50歳にもなる川原先生がとても、楽しそうに見えた。

自分の夢を楽しそうに語っていた。

 

学生時代、何が一番楽しくて、笑っただろう?

何もないのに、なんであんなに楽しかったのだろう?

 

 

講演会の後、川原先生に話かけた。

数分話をした後、川原先生が、僕に言ってくれた。

「葉田くん(僕の名前)、スーダン来てみる?」

今、思えばこの一言が、僕の人生を変えてくれた。

 

 

人生に、将来に迷っている時に、導いてくれた「光」の様な存在だった。

 

 

 

 

f:id:kotahada:20171013162057j:plain

 

 

スーダン基本データ

 

正式名称 スーダン共和国(The Republic of the Sudan)

 

面積 250万6000km2 (日本の約7倍 アフリカ大陸最大)

言語 アラビア語 英語

元首 オマル・ハサン・アフマド・アル・バシール

日本との時差:-6時間

 

一人当たりの国民総所得 

平均寿命 58歳

識字率  61.1%

乳児死亡率  109人/1000人

妊婦死亡率 450/出生10万人あり

引用 もうひとつのスーダン

www.amazon.co.jp