葉田甲太 ブログ。

医師 NPOあおぞら代表 5万人の命を守るタンザニア病院建設まで。

素人から出版しようとして、うまくいかなくて、自費出版して、5000部売れて、映画化になった話。part1

昨日は、タンザニアで色々な事を書いた。

 

命の話をするとちょっと、だいぶあれなので、閑話休題させてもらって

もうちょいライトなやつを書こうと思う。

 

 

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もう10年ぐらい前の話だから、今の状況にあてはまるか、分からない、

 

今ならネットでバスる→出版の流れが多いのかもしれない。

 

 

 

 

 

2006年当時、医大の3年生、22歳(1浪しているのだ)だった僕は、カンボジアの小学校継続支援のために、本を書くことを、なぜか思いついた。

 

 

 

 

 

本など、書いたことある訳がない。国語の授業で点数が良かった訳でもない。

 


ただ、カンボジアの通訳のブティさんの話、ツールスレン虐殺博物館色々な小学校建設までの経緯を世の中に、人に伝えなきゃいけないと、壮大な勘違いをしてしまった。

(今も、その気はあるけれど・・・)

 

 

 

 

当時、22歳の僕は

 

 

 

 

 

「これだけ、世の中に本があるんだから、本をだすための本があるはずだ。

 

なぜか無駄に確信して、新宿の大型書店にいった。

 

 

 

学生葉田「すみません、本を出版するための本を探しています。」

 

 

書店員さん「ちょっと探しますね・・・・」

 

 

 

・・・・・5分後

 

 

 

書店員さん「ちょっと、見当たらないですね。」

 

 

 

学生葉田「マジっすか?!。」

 

 

 

若気の至りというのは、恐ろしい。当時の僕は、書店員さんが知らなかったのだと(すみません・・・)と思い

 

ノートパソコンを使って、本をだすための本を探した。

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1時間程度すると・・・・

 

 

 

 

 

あった!

 

https://www.amazon.co.jp/自分の企画を本にしよう-―出版社に採用される「企画書-サンプル原稿」はこうつくる-畑田-洋行/dp/4769608764

 

早速、本を注文し、何度もポストを確認するほど、その本が届くのを待った。

 

 

後日その本を熟読し、全く社会人経験のない、何なら多少常識も欠如もしていた当時の僕にとってはとても、有難かった。

 

 

 

「まずは、1~2枚で企画書をつくるのか」

 

 

ふむふむ。

 

「直接営業は嫌がられるのか」

 

「送り状、目次、サンプル原稿をつけた方がいいのか」

 

ふむふむ。

 

 

今思えば、突っ込み所満載だけれど、当時の僕は真剣に

 

本に書いてあるのに忠実に企画書等を書き

 

 

インターネットに記載されている出版社、30社ほどに送る準備を

 

 

授業の合間をぬって、1週間程度で、整えた。

 

 

本をだそうとしているなんて、恥ずかしくて、当時誰にも言えなかった。

 

 

 

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企画書が入った出版社あての30ほどの封筒を、ポストの前でパンパンと手を叩いて、神頼みしてから投函した。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・2週間後

 

 

 

 

出版社、2社からメールでご連絡を頂いた。

 

 

 

飛び上がるほど、嬉しくて、この本に何度も感謝した。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の企画を本にしよう-―出版社に採用される「企画書-サンプル原稿」はこうつくる-畑田-洋行/dp/4769608764

 

 

 

ちなみに、この著者と何ら関係ありません。でも、僕は今でも感謝しています。

 

 

 

 

 

後日ヨレヨレのスーツを着て、吐きそうになるほど、緊張しながら、生まれて初めての出版社を訪れて

 

「とりあえず、書いてみてよ」と

 

 

と当時の編集長から、お声がけを頂いた。

 

 

 

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意気揚々と、原稿に取り掛かったものの、楽しくできたのは、ここまでだった。

 

 

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書いても書いても、編集長からOKがもらえない。

 

 

 

「葉田くん、これ文章じゃないよ、ただのメモ、ポエムだよ。」

 

 

「こんなの売り物にならない。」

 

 

「もう一回書いてみて×20」

 

 

 

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ひと様からお金を頂くこと、作品を世の中に発信する事、そんな事を教えてもらいながら、1年がすぎ、僕は大学4年生になっていた。

 

 

 

原稿に行き詰まり、当時住んでいた、千駄木の駅前にある二階の居酒屋に編集長に飲みに連れて行ってもらった。

 

 

 

 

僕はその方に、教えてもらった金言を未だに大事に思っていて、それを守れているか分からないけれど、今でも守ろうとしている。

 

 

 

 

「葉田くん、基本的には物語には、起承転結があって、それぞれに中にも起承転結があるんだよ。」

 

 

 

 

「人によっては、隠したい事、言いたくない事を、本当の心の底の気持ちを、人は読みたいんだよ。」

 

 

 

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結局、1年半たっても、「僕らがカンボジアに小学校を建てた理由」という原稿は完成しなかった。

 

 

大学が終わった後、誰にも言えず、一人で書いていた日々が今では懐かしい。

 

 

 

「この原稿じゃ厳しい、出版はなかった事にしよう。」

 

 

 

そんな事を結局、その半年後に通達された。

 

今ではその編集長に対して感謝しかない。

 

 

1年半近く毎日毎日書いた原稿、出版がボツになった。

 

 

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どうせなら、「僕たちがカンボジアに小学校を建てた理由」という書いた原稿を、自費出版しようと、自費出版の会社にもっていった。

 

 

 

 

 

話をもっていった自費出版の会社が、後に詐欺会社で訴えられて倒産した会社だった。

 

 

 

 

「葉田さんの文章すごいですね、センスの塊ですね、めちゃくちゃ原稿も感動しました!」

 

「つきましては、200万円を今週までに・・・・・」

 

 

 

人間落ち込んでいる時に、甘い言葉をかけられると、そちらに行ってしまいそうになる時がある。

 

 

 

 

詐欺の会社に騙されそうになった事もあった。

 

 

 

 

次に幻冬舎自費出版の会社にいった、当時はたしか300万円程度費用でかかった。

 

 

自費出版で、こちらがお金を払うけれど、

 

 

「出版ってのはね・・・」

 

 

「君の原稿はね・・・・」

 

 

 

「大体ボランティアや国際協力の本が売れる訳ないんだよ・・・・」

 

 

 

 

 

話を聞きにいったはずが、1時間程度説教されて帰って、帰り道で悔し涙を流した。

 

300万円なんて、大金を払えるはずがなかった。

 

 

 

もうこれで、ダメだったら、辞めよう・・・

 

 

最後に、パレートという新しい自費出版の会社が見つかった。

 

www.p-press.jp

 

 

元々、デザインの会社が母体となっているその会社の事務所は、当時東京駅のマンションの一室にあった。

 

 

 

それまでで訪れた、自費出版の会社で、最も小さいオフィスだった。

 

 

下牧さんという、可愛くてきれいな女性にご対応頂いた。

 

 

 

言語化するのは、難しいけれど、下牧さんが良い人だった。

 

 

自費出版するなら、この会社でだしたい。

 

 

 

そう思ったけれど、3000冊で当時120万円の印刷費がかかるといわれた。

 

 

 

自費出版の会社では当時、最安に近い料金だった。

 

 

 

120万円

 

 

 

 

 

その金額にビビりながら、帰宅した。

 

 

 

 

 

 

家に帰り、もう諦めようと思った。2年弱毎日毎日、頑張っても一向に結果はでない。

 

 

詐欺の会社につかまりそうになるし、延々と説教されるし、本が3000冊も売れる根拠も全くない。

 

 

 

 

 

当時、一緒に活動していた、サークルの友達の直子という女の子に伝えた。

 

 

 

「色々、2年間近く自分なりに、頑張ったんだけど、無理だった。出版は諦めます。」

 

 

近しい人に、本を出版するといっていた僕は、オオカミ少年の様になっていた。

 

 

2年間近く、本を出版すると言い続けて、結局出版できなかった。

 

 

恰好悪かった。そばで応援してくれた、その女の子に素直に謝った。

 

 

そうすると、全く予想しなかった反応が返ってきた。

 

 

 

 

「私は、私みたいに悩んでいる人のためにも、葉田さんの本を世の中にだしたい。」

 

 

 

と涙を流しながら、言った。

 

 

ものすごく狭い、かつ昔話で恐縮だけれど、当時MIXIが流行っていた。僕の日記には、いつも高橋直子の、足あとがあって、僕の文章になぜかいつも元気をもらっていたという事だった。

 

 

 

本当に涙を流して泣くのに、驚きつつ、その時に半分ヤケクソになりながら、覚悟が決まった。

 

 

 

 

「誰に何を思われても良いから、ただこの人のためだけに、本を書いてみよう。」

 

 

 

 

2年弱かけて書いた「僕たちがカンボジアに小学校を建てた理由」という原稿をパソコンから消去した。

 

 

 

くるりのロックンロールと、サンボマスターの美しき人間の日々と、銀杏BOYZの東京と、weezerを爆音で聞きながら、一から書き直して1日で書いた。

 

 

 

 

他の人にどう思われても良いから、国際協力やっている人にキレられるだろうなと思いながら、もはやそんなのどうでも良いと思って、一人の色々悩んでいる20歳の女の子に向けて、書いた。

 

 

 

題名は大好きな銀杏BOYZの曲から拝借して「僕たちは世界を変えることができない。」とつけた。

 

 

 

 

 

20代前半の将来への希望と不安が混ざった、もう二度と書けない、心の叫びみたいな、なんとも言えない原稿を書いた。

 

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2008年3月、120万円ローンを組んで、「僕たちは世界を変えることができない」を

3000冊自費出版した。

 

 

 

この時、将来5000部売れる事も、映画化になる事も、自宅のアパートで全く想像できていなかった。

 

 

もうすぐ僕は大学5年生になろうとしていた。 

 

 

 

あの時泣いてくれた人がいなければ、本も、映画も、色々な人との出会いも、すべてなかったんだと思う。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

 

 

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ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください。2018年5月1日

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タンザニアは赤道近くにあり、とてもずっと暑いと思っていたけれど、夜はむしろ肌寒く、長袖を着るほどだった。

 

 

朝起きてみると、蚊帳の中に、蚊がいる事に、気づきそこら中を刺された事に一瞬で気づく。

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蚊にとっては、パラダイスな環境だ。デング熱マラリア・・・色々病名が浮かぶが。

 

今考えても仕方ない事は仕方ない。

 

 

ひとまず、桶にとまった水で顔を洗い、身支度を整えて、タンザニアの僻地にあるゲストハウスの朝食を頂く。

 

 

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きっと、現地の方にとっては、相当豪華な朝食を頂き、車に乗り換え、国際NGOワールドビジョンのスタッフの方と共に、新病院建設予定地に向かう。

 

 

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車で2時間ほどすると、タンザニア、タンガ州クウェディモマ地区にある建設予定地に到着した。

 

 

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公的な医療施設が存在しなかったその地域では、2~4時間かけて、隣の村まで通う事状況が続いていた。そんな状況を改善しようと、住民が自らの力で資金を募り、建設しようと試みたが、資金難などもあり、建設は数年前にストップしていた。

 

 

 

 

ゆるやかな斜面に広がる広大な土地と、建設途中の建物をみると、本当にここに病院がたつんだろうか、と疑問とワクワクとする気持ちが混在していた。

 

 

 

建設予定地を視察した後、村の集会場に案内して頂き、村人の方と会合を行う事となった。

 

 

 

 

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住民の方々、赤ちゃんを亡くした、お母さんを亡くした話など、クウェディモマ地区の窮状を一人一人お話された。

 

 

どれも、心にくるものであったけれど、やはりこういった会合では、男性で、立場の強い方、ご年齢が上の方から意見を発しやすい。

 

 

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「女性で、特に若い方で、何かお伝えしたい事がある方いらっしゃいますか?」

 

 

 

この質問も、自分でも微妙だと思った。若い女の子で、100人はいる会合で、自分の考えを話すなんて、とても勇気のいる事だから、

 

 

自分の発言に若干後悔しながら待つと、一人のすらっとした少女が、後ろ方から前にでてき、僕の方をまっすぐ見ながら、発言された。

 

 

 

その姿は、とても勇敢で、自分の16歳とはまるで違った。

 

 

 

まっすぐに立って、まっすぐな目で僕を見ながら、答えた。

 

「私の母親は、産後の出血で亡くなりました」

*1

タンザニア妊産婦死亡の原因は、 産褥出血(34%) • 高血圧(19%) • 他の直接原因(11%) • 敗血症(9%) • 先天性疾患(1%) • 間接的原因(17%) • 妊娠中絶(9%) となっている

 

 

ここで目をそらしたら、悪い気がして、僕もずっと彼女の目をそらさない様にした。

 

 

 

 

「近くに病院がなく、40ドルの移動費を払えずに、亡くなりました」

 

 

 

 

16歳に見えないほど、凛としていた、女の子は途中から泣いていた。

 

 

 

その姿を見ながら

 

 

また、泣いている人がいるなぁと思った、

 

 

カンボジアの時と、同じ様に、家族を失い、泣いている人がいた。

 

 

 

価値観も、食べるものも、肌の色も、学歴も、収入も、生まれた国も違うけれど

 

 

幸福も、この人とはきっと違うけれど

 

 

家族を失う悲しみは、ほとんど全く同じ様な気がした。

 

 

 

 

途中で、その少女は、泣いて、次の言葉が出なくなった。

 

 

 

 

きっと、たくさんの住民の方の前で、自分の母親が亡くなったことを、話すのはどれだけ勇気がいったのだろう。

 

 

 

たくさんの大人の前で、泣くのはどれだけ嫌だったのだろう。

 

 

 

 

それほど、伝えたい思いや、今回の新病院プロジェクトに対する思い入れがあったのかもしれない。

 

 

 

数秒程度たった後

 

 

 

「ドクター、もうお母さんを亡くして、泣く人がもうこの先いない様にしてください」

 

 

 

 

そんな言葉を、また僕の目をまっすぐ見ながら答えた。

 

 

 

残念ながら、そんな力は僕にないかもしれない。否定するのも悪いし、完全に肯定していいのかも疑問が残る。

 

 

 

その場を切り抜ける様に

 

 

 

「わかりました。」

 

 

 

と咄嗟に答えた。

 

 

 

一時間半程度の会合を終え、昼食を食べ、午後はその症状の家に詳しくお話を伺う事とした

 

 

 

 

 

 

 

 

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今は祖母と、妹と3人暮らしで、お家は仮住まいだという。

 

 

お父さんは、お母さんが亡くなってから、いなくなってしまったという。

 

 

 

 

1時間程度、インタビューさせてもらた後、最後に16歳の少女は答えた。

 

 

 

 

 

「お母さんにもう会えないのは分かっているけれど、お母さんにもう一度会いたいです。」

 

 

 

その顔は、やっぱり16歳ぐらいの女の子の顔に見えた。

 

 

世界の妊産婦死亡率(MMR)は、1990年には10万人の出生に対して380人の妊産婦死亡だったが、2013年には、10万人の出生に対して210人の妊産婦死亡とかなりの改善が見られたが

*2

 

世界の妊産婦死亡数は、年間30万3000人で、毎日830人、ジャンボジェット機が2機毎日墜落している事になる。

 

 

そして、バングラディシュだけれど、お母さんを失った子供は10歳までに25%程度しか生存できないという論文もある。

*3

 

 

 

 

母親が亡くなる事で、子供が亡くなる可能性が高くなる。

 

 

 

 

 

なんとか、生きてきた。

 

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そんな表現が近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

車でまた、2時間程度かけて、ゲストハウスに戻った。

 

 

 

 

少し休憩をして、なんとも言えない気持ちになりながら、夕食を食べた。

 

 

 

午後9時に、時間通りにお湯をもってきてもらって、昨日のごとく、小さな洗面台で体を洗った。

 

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あとで、どうやって水を温めているのだろうと、見に行くと、ゲストハウスのスタッフの方が一生懸命薪で、あたためてくれていた。

 

 

 

 

綺麗な水があった、近くに病院があった、アスファルトの道路があった。国民皆保険制度があった。

 

 

 

 

部屋に戻り、長袖を着て、今度は寝る前に、蚊取り線香を炊いて寝た。

 

 

 

 

「あれがあれば」

「あんな事があったから」

「もう若くないから」

「経験がないから」

「自分はすごくないから」

 

 

 

 

ベットに入り、16歳の女の子を思い出しながら、自分は今まで、どれだけの言い訳をしてきたのだろうと思った。

 

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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*1:UNICEF:Maternal and Newborn Health Disparities

*2:Dr Lale Say et al. Global causes of maternal death: a WHO systematic analysis, Lancet,May 05, 2014

*3:Effect of parent's death on child survival in rural Bangladesh: a cohort study.
Ronsmans C, et al. Lancet. 2010.

アフリカンマッサージと妊産婦死亡の3つの遅れ。 2018年4月30日

 

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まず、思ったのは、正直なところ、タンザニアってどこ??

 

 

である。

 

 

 

 

南半球、東アフリカに位置し、インド洋と接している。かつてイギリスの植民地だった様だ。

 

ザンジバルタンザニアの一部で、世界遺産ストーンタウンがある、有名なリゾート地だ。

 

 

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1ヵ月じゃ足りない!?ずっといたくなる街 ザンジバル(タンザニア)|COLUMN | MOTHERHOUSE MAGAZINE

 

 

(見てるだけで、行ってみたくなる!!!・・・視察や仕事など多すぎていける訳もなく・・・がーん)

 

 

www.mofa.go.jp

 

外務省のホームページを参考にすると

 

 

 面積は日本の約2.5倍

 

 

 

人口は約5600万人ぐらい

 

 

 

 

首都はなんだかややこくして

法律上の首都はドドマだけど

 

 

事実上の首都機能を有し,経済面でも中心となっているのはダルエスサラーム

 

 

となっている。

 

 

ダルエスサラームって、最近ようやく耳になじんできた・・・

 

 


民族は約130あり、多彩な言語はあるが、国語であるスワヒリ語は皆話せるという。

 

 

英語も役人や医師などは話せる様だ。

 

 

 

宗教はイスラム教(約40%),キリスト教(約40%),土着宗教(約20%)

 

 

 

治安も外務省のレベル1 十分注意程度で、それほど危険ではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

がっ

 

最近、こんなニュースもあるので、まずは公衆衛生的にも適切な情報集、報告を

タンザニア政府にして頂きたいと思います・・・

 

www.jiji.com

 

 

 

 

 

タンザニアダルエスサラームまでは、成田国際空港関西国際空港からエミレーツ航空(ドバイ経由)や、羽田や成田からカタール航空(ドーハ経由)で約24時間かかる。

 

 

最近、オンラインでビザが取得できる様になりました。

 

eservices.immigration.go.tz

 

 

 

 

2018年4月29日当時は、そんなものはなく、アライバルビザで1時間程度格闘した。

 

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午後4時ごろに、タンザニアダルエスサラームに長時間フライトで腰がバキバキになり到着した。

 

この日は、首都にあるホテルで一瞬だけ優雅なひと時を過ごさせて頂き。

 

 

 

翌日2018年4月30日に、建設予定地であるクエディモマ地区に首都ダルエスサラームから10時間ほどかかる道のりを出発した。

 

 

約4時間ほど、中継地点であるハンデニまではアスファルトの快適な道路だったし



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途中で、サルに遭遇したり、とても快適だったけれど。

 

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建設予定地のクウェディボマまで、中継地点でもあるハンデニを過ぎると道が劣悪になる。

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ワールド・ビジョンタンザニアのスタッフの方が

 

車内で頭と手をぶつけながら、小刻みにシェイクする僕をみて

 

「Dr Hada、イッツア、アフリカンマッサージ!!」

 

と言って元気をつけようとしてくれた。

 

 

 

 

 

道路が劣悪、そんな事、昔医療とは何ら関係ないと思っていたけれど、妊産婦の方や急病の時に、道路の道が整理されているか、移動できるかは直接医療と関係しているのだろう。

 

 

 

発展途上国の妊産婦死亡には、3つの遅れが関係していると言われている。

 

 

1.決断の遅れ

女性の社会的地位が低く決定権がないために、体調が悪くなっても、異常に気づいても、夫や家族の誰も病院や診療所に行くかどうかの決断ができないまま、手遅れとなってしまうことがある。

 

2.搬送・アクセスの遅れ
病院や診療所までの距離が遠く徒歩ではたどり着けない、代わりの交通手段もないという地域がたくさんあり、仮に交通機関があっても、料金を払えないケースもある。


3.治療の遅れ
やっとの思いで病院や診療所に着いても、適切な治療が受けられないことがある。
帝王切開などの手術や輸血が必要でも、必要な機材や医薬品が不足していたり、専門の医師がその場にいないことがある。そもそも、必要な医療費が払えないこともある

*1

 

 

 

 

 

道がガタガタ、雨季で利用できないなど、道路の環境は、医療と密接に関係している。

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、ヘロヘロになりながら、NPOあおぞらのスタッフの近藤とゲストハウスに到着した。

 

 

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当然の様に、シャワーや水はでないので、午後9時に薪の匂いがついたお湯が配られる。

 

 

 

リアルに100度近くあるので、冷めるを待って、小さ手桶で掬いながら、体を洗う。

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日本から24時間かけてタンザニアの首都、ダルエスサラームに着き。

 

そこから、10時間近くかけて、なんとか建設予定地であるクウェディボマの近くのゲストハウスに、腰がバキバキになって到着した。

 

 

ベットに入ると、全身に、お湯にしみつていた薪の匂いがした。

 

 

 

寝る前になんだか知らないけれど、自分はアフリカに来たんだと、笑った。

 

 

 

泥の様に眠り、明日の視察に備えた。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

経費を除き、NPO法人あおぞらを通じて、印税全額をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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葉田さん、タンザニアのクウェディモマ地区はどうでしょうか。 2018年2月

  


 

 

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小学生1年生の時に、国境なき医師団の活動を見た。

 

 

餓死している子供たちをみて、聴診器をあてている医師の姿をみて

 

 

いつか、自分もこんな活動をしてみたいと思う様になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっとあの時に見たテレビを20年以上、心の隅っこで思い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、医大に入り、カンボジアと出会い、本を出版させてもらい、映画にして頂き、新生児を亡くしたお母さんと出会い、長崎に行き、僻地で働かせてもらい、ワールドビジョンさんと出会い、NPOをつくり、カンボジアのサンブール保健センターを新設し、小児科の嶋岡先生と出会い、新生児蘇生法講習会をして、なんとか数字上も結果がでて

 

 

 

そんなすったもんだがあった。

 

 

 

 

3年半前、2016年5月に、ワールドビジョンの谷村さんに、夢をかたった。

 

 

 

「いつか、カンボジアの事が上手くいったなら、アフリカに対しても医療支援させて頂きたい。」

 

 

 

 

実際は、そんな事を忘れるほど、2年間かけたカンボジアのサンブール保健センター建設は大変だったけれど。

 

 

 

 

 

自腹をたくさんきり、色々な人に迷惑もかけながら、それ以上にたくさんの方にご協力頂き、カンボジアのサンブール保健センターのプロジェクトが落ち着いた、2018年2月頃に、国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンで会合を行った。

 

 

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病院、スタッフ、医療技術、医療機材があっただけでは、結果はでない。

 

 

教育、水衛生、貧困、保健ボランティアの要請、行政との結びつき、そんな複合的な要素にアプローチしなければ、病院を建てたところで意味がない。

 

 

そして、そんな膨大な多様な支援をされている国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンさんと一緒に活動できたからこそ、成り立ったプロジェクトだった。

 

 

突然、今回のタンザニアのプロジェクトがでた訳ではなく、2016年春の出会い、電話から一歩ずつ、信頼を得られる様に、時々色々な事がありながらでも、一緒にゆっくり歩かせて頂いた。

 

 

 

「お母さん、赤ちゃんを失い泣いている人の涙をとめたい。」

 

 

そんな非科学的なことを達成するためには、

 

 

科学的にロジカルに、現実的に、考える。

 

 

ひたすら、結果がすべてだと、言い聞かせて、自分のやりたくない事もやる。

 

医師として、できる事があればやるし、できないなら、誰かにプライドを捨てて頭を下げにいく。

 

 

 

そんな思いを達成するために、国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンさんが支援されていた、タンザニアのクエディモマ地区が支援の候補地に挙がった。

 

 

タンザニアの保健状況をみると、

 

妊産婦死亡 398人/10万人(日本の100倍)

*UNICEF:Maternal and Newborn Health Disparities

 

 

 

さらにJICA保健セクター情報収集・確認調査・保健セクター分析報告書(2012)を参考にすると、

 

妊産婦死亡の内訳は、2011 年の国連児童基金UNICEF)のCountry Profile 2010 [14]によると、産褥出血 (34%)、高血圧( 19%)、他の直接原因(11%)、敗血症(9%)、先天性疾患(1%)、間接的原因(17%)、 中絶(9%)となっており、産褥出血、高血圧による妊娠高血圧症候群妊娠中毒症)、敗血症など、医療施設での出産ならば死に至ることが予防可能な原因による死亡が全体の 60%を占める。 

 

 

保健人材も少なく、定着率も極めて低い 医療施設へのアクセスへの障壁:「治療費を捻出できない(24.1%)、「施設までの距離(19.2%) 「医療施設に行くのに許可を取ること」は2.4%のみ

 

 


PHC サービス供給の要の施設であるヘルスセンターの数が、他の施設に比べ圧倒的に少なく、一つの県 に対し、ヘルスセンターが 4 施設程度しかない計算となる。タンザニアの総人口推計が 43,739,000 人 (2011 年)であることから、1 つのヘルスセンターがカバーする人口が、単純計算では、96,700 人程度 となる。タンザニアPHC サービス供給施設の数が大きく不足していることがわかる。 

 

 *JICA保健セクター情報収集・確認調査・保健セクター分析報告書(2012

 

 

 

 

ヘルスセンターに置き換わる、適切な日本語がほとんどない。カンボジアタンザニアではヘルスセンターの規模もカバーする人口も全く違う。

 

 



カンボジアは8000人規模、今回はタンザニアで5万人、。

日本でいえば、二次救急、市中病院クラスの公的医療施設を、タンザニアの僻地に新設する事になる。


「きっと、大変だろうなぁ。」


当時、僕は漠然と思った。

 

 

 

 

大変だろうなぁと思っていたけれど、今思えば、ほとんど分かっていなかった。

 

 

すべてにおいて、余裕がなかった。

 

 

2018年春~2019年12月にかけて、ラオスカンボジアタンザニアの活動、メンバーの入院、クラウドファンディング、本出版などもあり、NPOあおぞらの活動もアップアップした。

 

 

 

 「きっと、大変だろうなぁ」

 

 

 

そんな思い以上に何倍も大変な、忘れられない2年間がスタートした。

 

 

 

2018年5月に、僕と近藤でタンザニアへ視察させて頂く事となった。

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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16歳で学校に行けなくなったあなたと僕へ。東京イベント終了。

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昨日、東京で「僕たちはヒーローになれなかった」出版記念のイベントがあった。

 

 

aozorasaisho.peatix.com

 

 

設営でアタフタしながら、なんとか開場し、先に税所 篤快(特例認定NPO法人 e-Education創業者)君にご講演頂いた。

 

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税所くんの講演をはじめて、拝見したんだけど、まぁすごかった。

次から次へと、行動に起こしてそれを実現していく。

そして、25歳までの事、それからの事、その悩みを等身大で語ってくれた、その姿になんだか、税所くんの事がもっと好きになった。

 

 

余計なお世話かもしれないけれど、税所くんも色々考えている。

僕も30歳の時に、散々悩んだ。

30歳前後は、そんな時期なのかもしれない。

 

 

 

良い時は、たくさんの人が来る。

悪い時は、多くの人が離れていく。

 

 

けれど、その中でも、離れない人がいる。

 

色々な方に感謝しているけれど、その時にそばにいてくれた人は、本当に感謝している。

 

だから、僕は、税所くんと講演がしたかった。

 

 

良い時じゃなくて、悪い時に、側にいる人間になりたい。

 

 

税所くんは、これからも何かをする人だ、それは大小に関わらず、きっと誰かを笑顔にしてくれると、僕は今も思う。

 

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続いて、僕の講演の番になった。

 

相変わらずだった様に思う、その場その場で思いつく言葉を話した。

 

ただ一つ違ったのは、中村哲先生へ黙祷を捧げて、中村先生のほんの一部の意思を

誰かに伝えていこうと思った事だった。

 

 

 

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アフタートークでは、この日のために、愛媛から講演のために来てくれた方がいた。

 

 




ちょっと、個人情報もあるから、事実を少し変えるけれど。

 

 

 

家庭内で暴力があり、中学に行けなくなり、愛媛を飛び出し、関東でマックの790円のバイトをしながら

 

シェアハウスで暮らしている16歳の男の子がいた。

 

 

 

 

打ち上げで一緒にウーロン茶をすこし一緒に飲みながら、自分の高校時代を思い出した。

 

 

 

僕は高校時代、友達が一人もいなかった。

 

 

 

今思えば、僕がほとんど、悪かったんだけど、関西学院という大学までエレベーター式の学校で、医学部を目指していた僕は、なぜか周囲となじめなかった。

 

 

休み時間は、いつもヘッドホンをして、音楽を聴いて

 

フロイトとか、アランとか、ラッセルとか、中島らもとか、ウィリアム・バロウズとか、カフカとか、サリンジャーを分かった様な気になって読んでいた。

 

 

 

 

高校生時代は、めんどくさい、からみたくないやつMAXだった。

 

 

 

別に誰のせいでもなく、当時の自分のせいなんだけど、当時は自分なりに辛かった。

 

 

 

誰も友達がいない高校生活は、いつも空を見上げて、音楽を聴いて、監獄にいる様だった。

 

 

高校をやめるわけにもいかず、鳥かごの中で生活している様だった。

 

 

 

時々お腹が痛くなった。学校も休みがちになって、具体的な数字は覚えてないけれど、50日ぐらい年間休んで、内申書もたしか、2.4だった。

 

 

 

医大生時代に仲良かった、佐野ちゃんにその話を言っても信じてくれなかった。

 

 

医学部に入学する人はほとんど、内申書は4以上ある。

 

「いや、医学部入ったのに、内申書2.4はないw」と信じてもらえなかった。

 

 

 

おかげで、自分のせいだけど、入試の時にだいぶ苦労した。

 

 

 

 

その時、高校の先生に言われた一言が、僕は強烈に覚えている。

 

 

 

「葉田な、おまえ学校よく休むけど、世の中いったら、社会人になったなら、今の何倍も辛い事あるからな。」

 

 

高校生だった、僕は、世の中が地獄に思えた。

 

 

 

誰も友達がいない、学校でもほぼ空気の様におしだまり、1秒1秒過ぎていくのを祈る様な気持ちだった僕は、大人になる事が恐怖になった。

 

 

 

 

でも、出版イベントで、昨日であった16歳に伝えたい事が、あった。

 

 

 

自費出版した時に、何度も何度も怒られながら、書店員さんに頭を下げた。

 

カンボジアの小学校建設の時に、偽善者とののしられた。

 

医師国家試験の勉強しながら、ドキュメンタリーつくって、全ての時間をつかって本を書いた。

 

 

地域医療で火曜日と木曜日しか家に帰れず、週100時間以上働いた事があった。

 

40時間以上一睡もできず、フラフラになりながら、働いた時があった。

 

 

タンザニアの新病院プロジェクトで、圧倒的な仕事量で、夜ほどんど寝れない時があった。

 

 

 

どれも、大人になりしんどかったけれど、高校時代の悩みや、苦しさに比べたら、明らかに楽だった。

 

 

 

 

逃げ場所もない、居場所ない、光も見えない苦しさに比べれば、社会人になって身体的には色々辛かったけれど、あの時の比べると楽だった。

 

 

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悩んで悩んで、学校を辞めた16歳の男の子がいた。

 

 

 

今なら、言える気がする。

 

 

 

社会人の方が、学生より苦労しているだなんて、言い切る事はできない。

 

 

 

 

 

そんな事を彼に伝えると、彼は言った。

 

 

 

少年「地元で、中高生のためにプログラミングを教えたい」

 

 

葉田「おー、それいつにする?」

 

 

 

少年「・・・・・うーん、じゃあ二月で」

 

 

 

葉田「五月に愛媛で講演があるから、その時に、じゃあどうなったから聞くからね!」

 

 

 

 

その後、少しだけ彼の目標をかなえるために、どうすればいいか一緒に考えた。

 

 

 

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関西学院高等部だった16歳の僕が、今の自分をみたら、どう思うだろうか。

 

 

大学で友人がたくさんできた、

 

NPOをつくった、本を3冊書いた、医師となり診療させて頂いた。本が映画になった。ドキュメンタリー映画をつくった、アフリカに支援を開始した。

 

 

 

今の僕は当時からしたら、信じられない場所にいる。

 

 

1日頑張っても何も変わらないかもしれない、。

1年頑張っても何も変わらないかもしれない。

だけど、5年頑張れば、きっと人生を大逆転できる時がある。

今では考えられない場所にいけるかもしれない。

 

 

 

 

だから、僕は彼を応援する。

 

学校辞めた事に対して、色々言う人がいるかもしれない。

 

 

99%の人が笑ったとしても、僕は彼の未来を信じたい。

 

 

時間をかければ、今からは考えられない場所に行けるかもしれないから。

 

 

 

頑張れ、負けるな。

 

 

 

またどうしたらいいか一緒に考えよう。

 

 

 

 

 

 

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なんだか、話が重たくなってしまった。どこにも言ってない話を書いてしまった。

 

 

 

 

明日からもうちょいライトなやつを書きたいと思います。

 

 

協力頂いたすべての方々ありがとうございました!

 

 

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『僕たちはヒーローになれなかった。』
目標10万部!出版記念 47都道府県全国ツアー 第1弾

葉田甲太(医師 NPO法人あおぞら代表)× 税所 篤快(特例認定NPO法人 e-Education創業者)
ー大人になった僕たちの今。 国際協力×本出版ー

日時:12月6日(金)18時30分~20時30分

場所:東京・入谷
   SOOO dramatic!(ソードラマチック)
   http://sooo-dramatic.com/

ポスターカード・写真提供:NPO法人あおぞら理事中西貴大
47都道府県「僕たちはヒーローになれなかった」出版ツアーメンバー:寺村 ひろか
当日スタッフ:鈴木さえみ 吉盛絵里加 大竹恵実 
Thanks: 税所くん 来場者のみなさま

 

 

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「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


~献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語~

 

 

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映画化以降の8年間の苦悩、悔しさ、涙、仲間の大切さ、出会い、自分の幸せ、収入やキャリア、夢や目標の叶え方、なぜ僕たちは働いているのか?色々なものを詰め込みました。

 

 

NPO法人あおぞらを通じて、印税をタンザニア新病院プロジェクト、ラオスの新生児蘇生法講習会、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動等に使わせていただきます。

 

 

医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

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大人になった僕たちは。カンボジア病院建設編、終了。

 

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当たり前だけれど、ここに書いた事は一字一句僕が書いた。でも、その内容のほとんどは、日本やカンボジアで、NPO活動を通して出会った方、指導してくださった先生、診させて頂いた患者さん、関わって頂いたすべての方が、僕に教えてくれたものだ

 

 

 

まだまだ自分自身も成長していかなくちゃいけない。今でも日夜頑張っている医療者の方を考えると、とても大それた事を書いたかもしれない。

 

 

 

有名になりたい気持ちになんて、本当はない。臨床医として有名になる事にほとんどメリットはない。でも、誰かに何かを伝える、ファンドレイズの観点から、ある程度こうやって本を書いたり、ピエロかもしれないけれど、世にでる事も必要な部分もあるのかもしれない。

 

 

 

NICU、僻地医療など、医療者の先輩方のある意味ワーキングバランスを無視した働き方で、命や健康を守ってこられた方がいた。

 

 

 

やっぱり僕は、その人たちに、頭が上がらない。珍しい事をやっているが故に、時々すごいといわれるけれど、そんな先輩方の事を考えると、僕はまだまだ足元にも及ばない。

 

 

 

 

個人的な思いを言わせてもらうと、正直なところ、ガッカリされるかもしれないけれど、本当は自分は国際協力をしているという感覚も、世界を良くしようとか、そんな崇高な心はない。

 

 

 

 

ただ目の前に困っている人がいて、出会って泣いている人がいて、その人の力になれたら、何か嬉しいなと思って、涙を止めたいと思って、日本やカンボジアで、働いている。

 

 

 

普段、僕は10ヶ月ほど日本の僻地などで働かせてもらい、2ヶ月ほどNPO活動をやらせてもらっている。

 

 

 

 

僕の今の日常を円グラフにすれば、臨床医、NPO活動、家族との時間の3つしかほぼ項目がでてこない。皆が羨むキャリアではないかもしれない。それでも僕は、僕でとても満足している。

 

 

 

綺麗事かもしれないけれど、やっぱり人が笑顔になった瞬間が、僕は好きだ。

 

 

 

そんな瞬間をつくれる様に、まだまだ努力が必要だけれど、頑張ってみたいと思う

 

 

 

そんな思いを教えて頂いたすべての方に、感謝します。

 

 

 

僕の事を嫌いな人がいたしても、その方にも感謝します。こうやって何かのきっかけで、知ってもらえただけでも、意味がある様な気がするから。

 

 

大人になった。おじさんになった。お腹もでてきた。あつい事も言わなくなった。難しい事もたくさん覚えた。

 

 

それでも、僕は、僕たちはやっぱり、誰かの笑顔がみたかった。

 

 

 

そして、それ以上に嬉しい事など、ありそうな気がしたけど、やっぱりあんまりなかった。

 

 

 

読んでいただき、どうもありがとうございました。普段の僕は、ここに書いた様な事はなんだか恥ずかしくて、こんな事言わない。どこかで出会ったら、その時はどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

元気にしてますか?未だに僕はあの日と変わらずに、こんな事をやっています。無責任だけれど、あなたの人生が、幸せであります様に。

どうも、ありがとう。

 

 

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そして、今日、「僕たちはヒーローになれなかった」の出版記念イベントが東京である。

 

aozorasaisho.peatix.com

 

満員御礼です。ありがとうございます。

 

 

 

そして、お亡くなりになられた中村哲先生に、大変恐縮ながらコメントをださせて頂きました。

www3.nhk.or.jp

 

 

 

辛い事がある、未来が明るいかなんて誰にも分からない。

惨めで哀れなこれからが待っているかもしれない。

 

それでも、これから素晴らしい未来が待っていると信じたい。

信じるかどうかだけは、自分で決められる事だから。

 

 

 

 

 


NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

 

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

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向井理さん推薦!


献身(ボランティア)とは何か
愚直に自分と向き合う医師の現在進行形の物語

 

 


 
向井理主演『僕たちは世界を変えることができない。』から8年後
映画化後、有名人の様にチヤホヤされて一方で
建設したカンボジアを再訪すると、生後22日目の赤ちゃんを亡くして泣いてるお母さんがいた。
 
自分の無力さ、偽善、キャリアや、収入、なぜ僕たちは働いているのか?
本当の幸せ、自分らしい人生と向き合いながら
カンボジアに病院を建設し、世界の果てに医療を届ける活動を広げるまで。

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自分の力は微力でも、力を合わせれば、自分たちだけの力だけじゃなく影響を受けて頂いた方まで含めれば、世界は少しずつ良くなっていくんじゃないか。


そんな願いや、夢を込めて、この本を出版しました。

 


印税は、NPO法人 あおぞら を通してタンザニア新病院プロジェクト、カンボジアのサンブール保健センター継続支援、グラフィス小学校栄養指導、検診活動、ラオスの新生児蘇生法講習会に使用させて頂きます。


誠に恐縮ですが、ご購入頂けると大変幸いです。

お忙しい中読んで頂きありがとうございました。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


医師  NPO法人あおぞら 理事長
葉田甲太

 

「僕たちはヒーローになれなかった。」

 

peraichi.com

 

 

カンボジア病院建設 その後。 2018年10月18日

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医学は科学だから、論理的に数字で示さなきゃいけない側面がある。

 

 

お腹が痛い患者さんがいたら、可愛そうだなぁ楽にしてあげたいなと思う気持ちと、胆嚢炎だろうか腸閉塞だろうかと、冷静な科学的な気持ちと、片方ではなく両輪がきっと大切だ。

 

 

「色々言っているけど、結局実際に、赤ちゃんは救えているのか?」

 

 

「自分がやった事は、意味があったのだろうか?」そんな根本的な疑念は建設後も自分の頭から消える事はなかった。

 

 

2018年10月18日、開院式から概ね半年後に、建設したサンブール保健センターを再訪した。

 

 


病院の新設、水衛生設備の整備を通して、 2017年と2018年2~7月の半年の期間で比較すると、外来患者数は3903人から5209人と1306人増加し、分娩数は22人から40人と約2倍に増加し、ワクチンの摂取者数も約1.3倍と増加した。

 

 


以前、赤ちゃんを亡くして泣かれていたお母さんも、新しい病院で無事に次の赤ちゃんを出産する事ができ、新生児仮死で産まれた赤ちゃんは講義で教えた新生児蘇生法により、救われた命もあった。

 

 

 

 



そして、これからも医療技術支援、病院の水衛生設備の改善など、裏方から現地で、持続的に、現地の方の手で、赤ちゃんの命が救われる様なお手伝いを、みんなで継続していきたいと思っている。

 

 

 

そしてGRAPHIS小学校の小学校検診、2歳以下のちゃんを持つお母さんへの栄養指導も助産師さんと続けている。

 

 

 

もし「葉田おまえのやっている事なんて、全く意味ないよ。」と言われたら、今なら言える気がする。

 

 

 

 

 

 

多くはないけれど、少なくとも一人以上の赤ちゃんをみんなの力で救えたのは事実だから。一人の命が救われて、全く意味のなかった事なんてはきっと、絶対ないだろうから。

 

 

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(2018年に新しい保健センターで 無事に双子の赤ちゃんが生まれました)

 

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 (赤ちゃんを亡くしたご両親は新しい命を、新しい保健センターで安全で出産する事ができました。)

 

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

 

続きを読む

亡くなった赤ちゃんとお母さんが教えてくれたこと。 2018年10月20日

 

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開院式の後、ワールドビジョンスタッフ、支援者のみなさんと一緒に、カンボジア名物の焼き肉を頂いた。

 

 

 

なぜか分からないけれど、そのレストランで、ギターをひきながら、嶋岡先生と「青空」を音程を外しながら熱唱した。講習会や開院式が一応うまくいって、お互いタカが外れた様だった。ツアーの参加者にはプロのドラマーの方もいて、むちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 

 

よく分からない飲み会の次の朝、午前4時に起きて、2006年に建設したGRAPHIS小学校に向かった。

 

 

 

今回の開院式のツアーに参加して頂いた方からは、「普段の私たちの暮らしとの違いにびっくりして、衝撃を受け人生が変わりました。」とか「諦めかけていた助産師の夢を追ってみようと思います」等の嬉しい感想を頂いた。

 

 

4時間ほどバスを走らせると、午前10時頃にコンポントム州にあるGRAPHIS小学校に到着し、衛生指導を子供たちに行った。

 

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建設した小学校では、今も子供たちが通っていて、日本の支援者の方が楽しそうに綱引き等のアクティビティを通して、笑顔で交流してくれていた。

 

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騒がしい声が小学校に響いていた。

 


2005年4月、大学二年生の時に、渋谷の郵便局で「150万円あれば小学校が建ちます」とのパンフレットを見つけ、人生が良いか悪いかは今となっては、よく分からないけれ

ど、それまでの人生が僕なりには変わっていった。

 

 

カンボジアと出会うまで、僕は普通の人生を歩んできた様に思う。何が普通かは難しいけれど、少なくとも何かで一等賞をとった記憶もないし、


何か特別秀ででいる事もなければ、特殊な経験もしてなかった様に思う。

 

 

 

 

 

2014年、小学校の継続支援を続けていた時に新生児を亡くしたお母さんがいた。また、そんなお母さんとの、出会いから人生が変わっていった。カンボジアに小学校を建てて、その本が映画になり、色々あったけれど、一方では生後22日目に亡くなっている方がいた。

 

 

 

 

4年間、自分なりにガムシャラに行動したけれど、もっとすごい人なら大きなアウトカムをだせた方もしれないし、もっとスマートに行動できたかもしれない。

 


建設した小学校には、たくさんの子供たちが集まってくれていた。

 

 

与那国島で出会ったミクさんを中心に、開院式のツアーの参加者と、小学校の子供たちに手洗い指導を行った。

 

 

手洗い指導の一貫で、小さい子供たちにも必要性を分かってもらえる様な寸劇をまずは行う事になった。

 


子供たちの前で、奮闘するミクさんを見ながら、きっと、良いお医者さんになって、たくさんの患者さんを救ってくれる。医師でなくても、将来きっとたくさんの人を笑顔にしてくれる。

 

 

 

そんな思いで、日本から持ってきた白衣と聴診器を、手洗い指導の時にミクさんに貸した。

 

 

 

 

ミクさんは、「やばいです」と照れていた。

 

 


寸劇では、たくさんの子供たちの、笑い声が聞こえていた。

 

 

 


そんな声を聞きながら、小学校の近くの、生後22日目で亡くなった赤ちゃんのお墓に手を合わせた。

 

 

 

 

 

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22日間の人生は、どうだったでしょうか。

 

 

少しでもお母さんに抱っこされて、幸せだったでしょうか。

 

 

もう少し長く生きたかったでしょうか。

 

 

20才の時に、渋谷の郵便局でパンフレットをみてから、まさかこんな人生になるとは思ってはいませんでした。

 

29才の時に、お母さんに出会いました。

 

 

人を幸せにすることは、とても難しい事です。

 

 

人の幸せは、もちろん人それぞれです。

 


ただ一つだけ確実だった事は、お母さんは、ワンワン泣いていました。

 

 

話をされる時、ずっと泣いていました。

 

 

 


お母さんの涙を減らせるように、救える「命」をすくえる様に

 

 

僕だけの力じゃ、到底無理だけれど、力を合わせて、これからも続けていこうかなと、思います。

 


そんな事をしても、意味ないよと笑う人がいるかもしれないけれど

 

 

どれだけ、小さい行動だったとしても、日々の日常の中でも、目の前の人なら、きっと笑顔に貢献できる事もあるのかもしれません。

 

 

世の中には、いろいろな価値観があって、人それぞれの幸せがあります。

 

 

 

高級料理を食べたら、嬉しいし、きっと幸せな気持ちになれます。

スポーツカーに乗れたら、幸せな気持ちになれるかもしれない。

 

 

 

でも、そういった種類の別の、幸せがある様な気がします。

 

 

医療的な、国際保健の難しい話なんて、すべて置いておいて

 

 

泣いていた人が、笑ってくれた時に

 

 

辛かった人が、笑ってくれた時に

 

 

 

時々だけれど、生きていてよかったなと思う時があります。嬉しくて涙がでそうな瞬間があります。

 

 

 

変な笑顔がとまらなくなる瞬間があります。

 

 


その瞬間は、いつも、自分ができることで、人が笑ってくれた事で、誰かがそばにいた時でした。

 

 

 

もうおじさんになって、経験も知識も増えて、お腹も少しでてきて、色々な幸せも俗物的な幸せも正直増えましたが、でもやっぱり、そういった種類の幸せは、あまり変わりませんでした。

 

 

 

綺麗事だと、中二病だと、イタイ奴だと笑われたって、そんな瞬間は、やっぱり変わりませんでした。

 

 

 

世界なんてものは広大で、国も、地域ですら変える力は僕にはないかもしれません。

 

 

 

それでも、日常の中で、たくさんの思いをこめれば、それをみた人が、何かを感じて行動してくれる事を

 

 

離島で出会った中学生が、もう一度僕に教えてくれました。

 

 

 

そしてそんな大切な気持ちを、もう一度、あなたや、あなたのお母さんが、色々な経験を通して、教えてくれてくれました。

 

 


自分の能力に限界がある事も知っています。自分自身がこんな偉そうな事を言える立派な人間ではない事を、矛盾を抱える存在である事も知っています。

 

 


でも、こんな事を、伝えていこうと思います。

 

こんな文章でも、楽しみにしてくれている人が、一人はいるだろうから。

 

 

 

どこかの学校で、どこかの病室で、どこかの会社で、何かを感じてくれる方が、一人いるかもしれないから。

 

 

その一人が、何かを変えてくれるかもしれないから。

 

 

恥をしのんで、そんな活動を、やっていこうと思います。今は、アフリカの病院建設プロジェクトの話をでています。

 

 

 

大変そうだけれど、色々な人が色々な事をいうけれど、

 

 

生きたくても、生きられなかった人に比べれば、僕の苦労など、足元にも及ばないだろうから。

 

 

 

そして、そんな生き方が、本当は、自分がなにより、幸せな気もするから。

 

 

 


その時まで、やっぱり僕は、笑われても、真剣に生きてみようと思います。

 

 


大切な事を、教えてくれて、どうも、ありがとうございました。

 

 

笑顔を、みんなのチカラでつくれる様に、頑張ってみます。

 

 

どうもありがとう。

 

 

おそらく、50年もしないうちに、そっちにいきます。

 

 

 

いつか会ったら、その時は、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

小さかった頃に医者さんになろうと決めた、お医者さんを目指した大切な気持ちを、思い出させてくれてありがとうございました。

 

 

 

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NPO法人あおぞら

npoaozora.org

 

カンボジア保健センター継続支援、栄養指導、検診活動、タンザニアでの5万人の命を守る新病院プロジェクト、JICAと連携したラオスでの新生児蘇生法講習会等、母子の命を守る活動を広げるためマンスリーサポーター募集中です!

 

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